▼ 焦燥
「ねえ、ヘンゼルくん……大丈夫?」
部屋をでて、少し暗い廊下を歩く。悠々と歩くヴィクトールの腕にしがみつくようにしてなんとか歩いているヘンゼルは誰がみても「変」だった。覚束ない足取りで、息を荒げ、ヴィクトールの肩に頭をあずけるようにしてふらふらと歩く。
「「止めて」あげてもいいよ?」
「……い、いい……!」
「ふうん、じゃあ「強く」してあげるね」
「……ッ!? あっ……あぁあっ!」
がくん、とヘンゼルはその場に座り込んだ。そんなヘンゼルの様子をみてヴィクトールはにやにやと笑っている。
「あれ? 全然大丈夫ってさっき言ってたよね? お尻にバイブ挿れたくらいどうってことないんでしょ?」
「ひっ……ん、あぁっ……」
「もしかして、気持ちいいの?」
「ち、ちが……っ」
「じゃあ、立ちなよ。そして歩いて」
――シャワーからあがったヘンゼルを待ち構えていたのは、とあるヴィクトールの命令。『バイブを挿れた状態で「ホール」までいくこと』。まだ後ろに挿れられることに慣れていないヘンゼルに用意されたのは、指二本ほどの太さの遠隔操作を可能とするバイブだった。それをシャワーからあがるなり挿れられ、更にはコックリングも装着され、今この状況にあるのだ。
歩こうとしても、踏み込んだ振動でバイブがイイところにあたってふらつく。常に微弱な刺激が中を満たしていて目眩がする。ヴィクトールにしがみついていなければ、まともに歩くことなどできなかった。
「僕、急いでいるんだよね。早く立って。ヘンゼルくん」
「ふ、……ぁ、あ……ま、って……でも、……」
「何? 気持ちよすぎて立てない? どうなの?」
「……う、や、ぁあ……き、もち……あぁあっ」
「聞こえない。あっ、もしかしてもっと強くしていいって言った?」
「ちっ、……ちがっ……あっ、……あぁあああッ!」
ヴィクトールがバイブのスイッチをMAXまであげる。ビクビクと体を体を震わせてイッてしまったヘンゼルの目線に合わせて座り込んだヴィクトールは、へら、と笑ってみせた。
「止めて欲しい?」
意地悪くそういったヴィクトールを、ヘンゼルは涙目で見上げた。そして震える手でヴィクトールのシャツを掴み、こくこくと頷いてスイッチを切って欲しいと懇願する。
「……そ、じゃあそれなりのお願いの仕方をしてよ」
「……おね、がい……?」
「キスして。キミから」
ヴィクトールの手が、ヘンゼルの頬に添えられる。黒髪を梳いてやれば、ヘンゼルはぎゅっと目を閉じた。親指で唇を撫でてやれば、その唇が震える。
「……」
目を眇め、ヴィクトールは「さあ、」、挑発してみせた。ヘンゼルはきゅっと悔しそうに眉を寄せたが、やがて諦めたように目を閉じた。快楽に頬を染め、涙に睫毛を濡らしたその顔は色香を放つ。ふらふらと膝立ちになり、未だ止まらないバイブの刺激に幽かな甘い声を洩らしながら、なんとかヴィクトールの肩に手を添える。そして、口づける。
触れるだけのキスだった。「これでいいの?」、そんな風に見上げてくるヘンゼルに、ヴィクトールの中の嗜虐心がふつふつとこみあげてくる。
「んっ……!?」
堪らず、ヴィクトールはヘンゼルに噛みつくようなキスをした。乱暴に後頭部を掴み、無理やり彼を引き寄せる。
ヘンゼルに覆いかぶさるようにして、ヴィクトールはその唇を貪った。力が抜けてくたりとした彼の身体を乱暴に掻き抱いて、欲望をぶつけるようなキスをした。
「んんっ、ン、ふ、」
唇をなぞるように舌を這わせれば、素直にそこを開いてくれる。彼は随分と快楽に弱いようだ。ヴィクトールは心の中で笑う。今まで極端に性から逃げてきた彼は、こうして無理やり快楽を与えられても抵抗の術を知らないのだろう。
そうした横暴な口付けは、ヘンゼルの身体を震わせる。下から這い上がってくる甘美な波がヘンゼルの防御を一気に弱めてしまった。ヴィクトールの舌の進入をあっさりと許してしまったあとは、もう、されるがままだった。
「あ、あっ……ぁあ」
唾液が唇の端から伝う。こぼれる吐息の熱さに視界が眩む。舌と舌を絡められれば境界線が解けたように、熱が交わってゆく。
「……ヘンゼルくん、」
「……ん、」
「目、あけて」
自分という存在を、この快楽とともに焼き付けてやりたい。ヴィクトールは疼く欲望を口にする。
ゆっくりと、その瞼がひらく。濡れた睫毛がきらきらと、その下に浮かぶ漆黒の瞳がゆらゆらと。
ああ、綺麗だ。心をとらえやるつもりが、囚われそうだ。再び唇を重ね、そんなことを思う。
「ん、んっ……」
ヴィクトールがそんな揺らめく想いに駆られているなかで、ヘンゼルの心にも変化は生まれていた。初めてみたときに、悪魔のようだと思ったその赤い瞳。それに見つめられると、おかしくなってしまいそうになる。ぞくぞくと、熱い波が全身に襲い来る。
……もう、だめかもしれない。
「は、ぁあっ……」
勝手にこぼれてくる甘い声。これは本当に自分のものなのだろうか。もうどうでもいい。全身がふわふわとして気持ちいい。水音に頭の中を満たされて、わけがわからなくなってくる。
「ん、ん……」
「……」
とろりとした眼差しで自分を見つめてくるヘンゼルに、ヴィクトールの理性もそろそろ限界になっていた。予想外に目に悪い。くらりと眩暈を覚える。こんな声を、自分を見つめてあげているのかと思うと、きゅ、と心臓が苦しくなった。
「……!」
そのとき、ヘンゼルがヴィクトールの背に手を回してくる。これにはさすがにヴィクトールも驚いてしまう。
(いくら気持ちよくてぐずぐずだからって……タチ悪い……)
ヴィクトールの胸のなかで、何かが弾けそうになった。
ジリ、と何かが焦げるような臭いを錯覚する。その感覚は、ヴィクトールを苛立たせた。わけのわからない感情に、焦燥を覚えた。
「アッ……!?」
「あんまり……僕を惑わせないでくれるかな」
ヴィクトールはヘンゼルの下着の中に手を突っ込むと、バイブの取っ手を掴む。そして、ソレを傾けて、バイブをヘンゼルのイイところに思い切り押し当ててやる。
「あっ、だ、だめっ……ん! ア、あぁッ!」
「ほら、そうじゃないでしょ、ヘンゼルくん。キスして、僕に」
「は、ッ……ん、……」
ヘンゼルは一瞬仰け反ったが、ヴィクトールの言葉に従おうと、なんとか体制を立て戻そうとする。かたかたと震える手でヴィクトールのシャツを掴み、呼吸を整えようと、一旦彼の胸に顔をうずめる。
「ぁあ……は、ぁあ、あ」
その間も、ぐりぐりとナカを刺激してやる。自分にしがみついてくるヘンゼルに、胸が焼き付きそうになる感覚をヴィクトールは覚えていた。
「はやく……僕の命令、きけないの?」
「ふ、ぁ、」
よけいに、いじめたくなる。
ヴィクトールはヘンゼルの顔を掴み、まじまじと見降ろした。すっかり紅潮した頬。涙でぐしゃぐしゃになった肌。ひどく官能的で、愛おしい。
目にかかった前髪を払ってやると、どこか安心したような表情をする。
「自分が今、どんな表情しているか、わかっている?」
「……、」
「……ドールの調教は初めてではないけれど……こんなに僕を狂わせたのは、君が初めてだよ」
「……ンッ、」
もう一度、ヴィクトールからキスをした。きっと待っていてもヘンゼルは動くことができずに、キスをしてこない。その考えもある。しかし、それ以上にもやもやと鬱屈した心が鬱陶しくて、衝動的に自分からやってしまったのだ。
――自分のやるべきことは。
この青年を、「ドール」として一人前にすることであって、自分のものにすることではない。一時的に彼を自分の傍に置いているだけであって、最終的に彼は自分のもとから離れてゆく。彼に入れ込んではいけない。彼に特別な感情を抱いてはいけない――
初めて彼をみたときには、なんて綺麗な青年なんだろうと思った。きっと瞬間から、彼を他のドールとは違う目で見ていたかもしれない。でも、ちゃんと割り切っていた。ひとしきり彼を育てて、その間だけはいっぱいに愛でてやろうと、そう思っていた。でも、これでは。このままでは。
ヘンゼルを、手放したくないなんて。
そんな想いは……
「ンッ、ん、んっ、んん……」
ああ、イきそうなんだな。
ヘンゼルの声が段々と上擦って、呼吸の間隔が短くなってきた。シャツを握りしめる力も強くなっている。
イけ。
イっていまえ。
僕の腕のなかで、僕に抱かれて、僕にキスをされながら……
ジリジリと何かが燃えるような、ブクブクと何かが膨らんで肺を圧迫するような、そんな息苦しさを覚える。込み上げる情念に、見覚えがない。ただの嗜虐心?ちがう。それを超えた、何か。
「ん、んっ、ン――」
ヘンゼルの限界を感じ取った瞬間、ヴィクトールは思い切りバイブを彼の前立腺に押し当て、そして後頭部を鷲掴みしキスを深めた。自分の存在を刻み込むように。この快楽を与えているのは、この僕なんだと――
「――はぁ、ッ……! ん、は、ぁあ……」
ヘンゼルが絶頂に達したところで、唇を離してやる。ヴィクトールの腕に支えられてぐったりとしたようすのヘンゼルから、とめどなく吐息が零れる。
「……」
そんなヘンゼルを見つめるヴィクトールの瞳の中の光はゆらゆらと揺らめいていた。僅か、迷ったように目を伏せたかと思うと、指でヘンゼルの唇についた唾液を拭って、濡れた瞼に口付けを落とす。
「……命令、守れなかったね。君からキスしてって言ったのに」
「……すみ、ませ……」
「……いいよ、今回だけね」
「――あぁっ……」
ヴィクトールはヘンゼルのナカにあったバイブを引き抜いてやった。そうすればさみしげな声が零れて、また虐めたくなってしまう。
「立てる?」
「……」
「無理? 仕方ないなぁ」
ゆっくりと首を振ったヘンゼルに、ヴィクトールは困ったような笑顔を落とした。そして、彼を抱えると、立ち上がる。
「運んであげる」
「……」
「お礼は?」
「……ありが、……う」
「ふふ、そう。いい子だね」
もう一度、唇に優しいキスを。どこか安心したように目を閉じて、胸元に頬を寄せてきたヘンゼルに。狂おしいくらいの愛おしさを覚えた。
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