アリスドラッグ | ナノ


▼ 堕落の足音



「……?」



 体の節々に痛みを感じ、ヘンゼルはゆっくりと瞼をあける。視界に入ってくるのは、鉄の檻。ジャラ、と響いた硬質の音は自分を拘束する鎖の音のようだ。



「あれ、ヘンゼル君。おはよう?」

「ここは……」



 声をかけてきたのは、牢の前に立っていた白衣を着た男。手に持ったファイルから写真のようなものを取り出してはじっくりと眺め、そしてまたしまう……彼はそんな行為を繰り返していた。



「ヘンゼル君……君はねェ〜、醜くしてしまうのはもったいないねェ」

「……は?」

「ど〜んな改造にしようかな〜って考えているんだよ。全身に白蛇の鱗をつけるのもいいかと思ったけどねェ〜、せっかく君は綺麗な白い肌をしているからもったいない」

「ちょっと、まてよ……」



 やはり「改造」とは想像していた通りの意味のようだ。動物の体の一部を、人間に取り付け、それによって異常な体をした人間を生み出すのだ。自分がそれをされようとしている。それを理解した瞬間、ヘンゼルは体の震えが止まらなくなった。あのポスターにのっていたバケモノたちと同じにされてしまう。



「ヘンゼル君、私はねェ、君の黒髪がとてもとても素敵だと思うんだ。黒い羽でもつけたらどうかなと思って」

「……ひっ、」



 白衣の男はヘンゼルの視界から一旦はけたかと思うと、また現れる。ガラガラと檻のようなものをその手にひきながら。



「堕ちた天使のような……大きな黒羽をつけてはみないかい? そう、この鴉たちの羽根を毟り取って君に移植してあげよう!」



 檻の中には、大鴉が何十匹。ギャアギャアと喧しく鳴きながら檻の中を暴れまわっている。

 本気か。本当に、このただの鴉の羽根を、人間の背中に植え付けるつもりなのか。



「まっ、まって、ほんとに、やるつもりなのか」

「冗談でこんなこと言わないさ」

「ひっ、人の体に動物の体の一部を付けるなんて……おかしいだろ、そんな」



「ドクター! それ! そいつ捕まえてくれ!」



 ヘンゼルの言葉を、誰かの叫び声が遮った。その声と同時に、何かの足音が聞こえてくる。



「……ッ!?」



 白衣の男――ドクターの前を、得体の知れない生き物が横切る。びた、びた、と不規則に前足(?)と脚で跳ねながら、遠くから聞こえる怒声から逃げるように走っていた。緑の体、てらてらと光るのは肌を覆う粘膜……まるで爬虫類のような容貌をしたソレは、たしかに、人間だった。ギョロギョロと目を動かしながら無我夢中に走るその姿は気を違えたようにしか見えない。

 あまりにも気味の悪いその生物に、ヘンゼルの脳が拒絶反応を起こした。込み上げてきた吐き気をなんとか飲み込んで、それからはソレを視界に入れないように塞ぎ込む。



「ああ〜頭ダメにしちゃったかな〜? 使った蛙に寄生虫が宿ってたのかな〜? 頭食われちゃったか」



 ダン、と激しい音と共に、「ゲェッ!」と人間のものとは思えない声が聞こえた。ヘンゼルが恐る恐る顔を上げてみれば、そこには血塗れのソレ。ドクターは煙をふく銃をプラプラと持ちながら、にこ、とヘンゼルに笑いかけてみせる。



「大丈夫大丈夫! ヘンゼルくんはこうならないように気をつけるからさ!」

「ど、どこにそんな保証があるんだよ……! そもそも人間と動物なんて組み合わせたら変になるに決まってるだろ!」

「ちょっとくらい変になってもダイジョウブ! ね、この鴉にはちゃんと感染症予防のワクチンうってあるから!」

「知らねぇよやめろ!」



 べったりと床に這いつくばる蛙と人間の融合体をみて、ヘンゼルは本格的に恐怖を覚え半ばパニックに陥った。あんな風に死にたくない、あんな気味の悪い生物になりたくない……!

 ドクターが牢の中に入ってくる。ヘンゼルの首に付いている首輪の鍵らしきものを指で弄びながら、その瞳に知的好奇心を蠢かせて。

 ただ、震えることしかできなかった。手足が拘束されているからとか、そんな物理的な話ではない。まさしく蛇に睨まれた蛙の状態。本能的に、彼に支配されていると感じてしまったからだろう。



「さ、おいでヘンゼルくん」

「や、やめ……」



 首輪のチェーンを掴まれる。引っ張られるように、がくがくと立ち上がった。脚がばかみたいに震えて、すぐに崩れ落ちそうになって、それでも首を引っ張られて、苦しい。



「ドクター、ちょっと待って」



 どこからか、ひょうきんな声が聞こえてきた。カツ、カツ、と軽快な足音が徐々に近づいてきて、その正体がヘンゼルの牢の前までやってくる。



「あ……おまえ、は」



 現れた男は……あの、道化師だった。ヘンゼルと椛を捕らえた時とは違う服装をしているが、間違いない。ドクターは彼の声を聞くと、残念そうにヘンゼルの鎖を離し、振り返る。



「どうして止めるんです、団長。これからこの子の体をチェックしようとしたのに」

「ヘンゼル君ね、オープニングアクトじゃなくてショーで使うことにしたから改造はなし!」

「え、えぇ〜!? ちょっと待って下さいよ! なんでですか! これからこの子には黒い翼をつけてあげようと思ったんですよ! 絶対似合います、堕天使みたいに美しくなるって、そう楽しみにしていたのに!」

「ショーで使う子で欠番がでちゃったからさ! ヘンゼル君ならショーでも十分使えるだろう?」



 道化師がニコっと笑う。つかつかと歩み寄ってくる道化師は、手際よくヘンゼルの首輪についた鎖を牢から外した。そして、「立て」と促すように引っ張り上げる。



「うっ……」



 急に首に衝撃がかかって呻き声をあげたヘンゼルを、道化師は嬉しそうに見下ろした。そして、甘く、囁くように言う。



「堕天使になら、僕がしてあげるよ――堕ちておいで、ヘンゼル君。僕のために踊って欲しいんだ」



 化粧を施した瞳のなかの闇が深まったように見えた。ゾワッと肌が粟立った。恐怖に支配されたようにヘンゼルは素直に立ち上がったが、震える脚のせいで今にも崩れ落ちてしまいそうだ。



「か、改造をやめるって……俺をどうするつもりだよ……」

「ショーにだしてあげるってことだよ。前座じゃなくてね」

「ショーってなんだって聞いてるんだよ!」

「……それは後で教えてあげる。まずはキミをショーに出せるように教育しないと」



 再び鎖を引っ張られて、ヘンゼルは道化師を睨み上げて抵抗した。ショーとは恐らく前座――つまり改造人間たちのお披露目よりも刺激的なことをやるのだろう。そのショーに出されるなど、いったい何をされるのかわかったものではない。その場に踏みとどまるようにしていれば、やがて道化師がふっと呆れたように笑い出す。



「そんなにオープニングアクトのほうにでたければ僕は構わないけど? いやいや勿体無いねぇ……改造された人間は大抵異物を体に取り付けられることによる拒絶反応で気が狂ってしまうから……せっかくのキミの優れた容姿も台無しになってしまう。それに改造人間の寿命は精々一ヶ月。接合部から体が腐っていって蛆虫の温床になりながらあっさりと死んでしまう……そんな末路がお望みならそうしてもいいよ?」

「……ッ、だって……その、前座って奴よりも、ショーのほうがヤバイんだろ……」

「少なくともショーにでるドールは五体満足・健康的に生きることができる。どっちをえらぶ? キミは容姿のおかげで選択肢を与えられているんだ、幸福に思うといい……もっとも、ここに連れて来られた人間は与えられた選択肢以外の生き方は許されていないけどね。逃げることも、楽に死ぬこともできないよ。抵抗なんてすれば死よりも苦しい罰を与えるからね――さあ、ヘンゼル君。ショーとオープニングアクト……どっちのドールになる?」

「……ッ」



 ヘンゼルはなにも答えられなかった。絶望に目の前が真っ暗になって、抵抗する気も失せてしまった。だらりと俯いたヘンゼルをみて、道化師が笑う。



「……きまりだね。おいで、僕が立派なドールにしてあげるからね」



 鎖を引っ張られ、されるがままにヘンゼルは歩き出した。牢の出口に、先ほど撃たれた爬虫類人間が横たわっている。ビクンビクンと不規則に痙攣しているそれを、ヘンゼルは諦めたような目で見つめた。……こうならなかっただけ、マシなのか。



「――団長! 団長自らそいつ調教する気ですか!? そんな面倒なことしないで調教師に任せればいいじゃないですか!」

「彼は僕が飼育したいんだ――独占したい」



「……あっ」



 突然、勢い良く引っ張られる。ヘンゼルは思わずよろめいて倒れそうになり、なんとか目の前にいた道化師にしがみついた。



「……僕が折ってやるのさ」

「……っ」



 道化師がドクターに見せつけるように、ヘンゼルのシャツをたくしあげ背中を露出させてゆく。ヘンゼルが睨み上げて手を振り払おうとすると、道化師がちらりと爬虫類人間のほうを見た。「抵抗したらおまえもこうするぞ」、そう目だけでヘンゼルに言ったのだった。ゲェゲェと苦しそうに血を吐きながら震えているソレをみて、ヘンゼルは押し黙る。



「んっ……」



 恐怖で敏感になった肌の上を、道化師の指がなぞる。



「彼の純潔はねを折り――堕とすんだ」

「……ッあ……!」



 そして、肩甲骨に爪をたてた。



「――僕のもとへ」






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