▼ 大人じゃないけど、子供じゃない5
群青の部屋にはいるなり、椛はがちがちに緊張してしまっていた。群青はあまり椛を意識させないように、何食わぬ顔で先にベッドに入って間延びした声で椛を誘う。
「ほら、入れよ」
「う、うん……」
おずおずと椛はベッドにちかづいてきて、群青の隣に潜り込んだ。ちら、と群青を見上げればかあっと顔を赤くしている。ものすごく意識されているなあ、なんて思って、群青はやっぱり悪いことをしたなあなんて頭が痛くなってくる。
「あ、あの……ベッドで寝るのは、久しぶりかもしれない」
「そうだなー、おまえの部屋は和風だから。布団だし」
「子供の時は洋風の部屋だったのに。なんで和風の部屋に変えさせられたのかな」
「おまえが和風の部屋好きそうだったからじゃないの。小さいころ、いつもあの部屋に意味もなくきていたし」
「そう……だったっけ」
緊張していない風を装って、椛はもぞもぞと落ち着かない。
「……あの、なんで群青は、見回りのときは着物着ているの?」
「いや、こっちのほうが俺は好きだから。外に出ないときはこっち着ていたいんだよ」
「……その服装……夢にでてきた群青と同じ格好だから……ちょっと、照れるかな」
「夢?」
「……柊さんの、記憶の夢」
椛は以前、頻繁にみていた夢を思い出して体が熱くなるのを感じた。あの夢をみていたときはわからなかったが、あれは柊の生まれ変わりである自分が、柊の記憶を夢としてみてしまっているのだということに最近気付いた。だから、群青は柊に対してはあんな風に話していて、そして、柊をあんな風に抱いていたのだと……そう思って恥ずかしくなる。情事のときの群青はあんな顔をするのだと、――あの表情を、自分にむけられたらどうなってしまうのだろうと。どきどきしてしまうのだった。
あの顔――本当に、色っぽい顔だったな、なんて。夢のなかの群青を頭に浮かべる。柊を押し倒して、余裕そうな顔で意地悪な言葉を吐いているくせに、その目にははっきりと情欲が揺れている。柊が手を伸ばして、もっと欲しいと請うと、少しずつ余裕が崩れていく。最後には必死に、いっぱいいっぱいになって柊を求めて、「愛している」と何度も何度も言うのだ。あんな顔をされたらひとたまりもないだろうな、なんて椛は考える。あの顔を独占できた柊が羨ましい。
……柊さんには、かなわないのかな。
「……群青」
「ん?」
「……柊さん。綺麗だった?」
「……ああ。すごく、綺麗だった。……あのころは……ずっと柊様のことをみていたかも。本当に綺麗だったから」
「柊さん、優しかった?」
「……うん。はじめはさ、本当に冷たい人だったんだ。でも、俺と一緒にいて……少しずつ、心をひらいてくれて。俺のこと、考えてくれるようになって……愛してくれて。優しかった。今まで人を愛したことのなかったあの人が、必死になって俺のことを愛して、俺を幸せにしようとがんばって……本当に愛おしかった」
「……柊さんのこと……好きだった?」
「――愛していた」
椛はそっと、顔をあげて群青の表情を伺う。……本当に優しい顔をしていて、目を奪われた。同時に、ずきりと心が傷んだ。自分は柊の生まれ変わりなのに、柊のようには愛されない。柊のように愛して欲しいのに、柊の生まれ変わりという目で彼に見られたくない。でも……
「……ねえ。僕からは、柊さんの匂いがするんでしょ?」
「……少し」
「柊さんにしたこと、したいとか考えない?」
「……だっておまえは、柊様じゃない」
柊の代わりでもいい、だからあの顔を自分に向けて欲しい。そんなことを考えてしまう。
自分の傷つく選択肢をとってしまうくらいに、椛は必死だった。それくらいに、群青に見て欲しかった。いつの間にか、群青に恋をしていた。
「椛、おまえ、」
群青は椛の言葉を聞いて、戸惑ったような声をだす。「自分を見て欲しい」と悩んでいた椛が、「柊のように扱って欲しい」なんて言っている。
「馬鹿なこと、考えてんじゃねえよ」
そんなに、自分のことを好きなのかと。群青の心はかすかに揺れる。傷ついたように眉をひそめ、じっと自分を見つめている椛を抱き寄せて、ぽんぽんと頭を撫でてやる。
「……俺は、柊様のことを愛していた。でも大丈夫、椛、おまえのこともちゃんと見ているから」
「だったら、柊さんと同じことしてよ……僕だって……群青に、必死になってほしい。余裕のない顔をみたい……!」
「だって、おまえは、まだ……」
「――子供扱いしないで……!」
椛はがば、と体を起こして群青の上に乗る。ぎょっとした群青に、そのまま口付けた。がつ、と歯があたって少し痛い。
「僕だって……もう、だ、抱かれること、できる……」
「……」
顔を真っ赤にして自分を見下ろしてくる椛を、群青は黙って見上げた。やがて、肘を使ってゆっくりと体を起こし、椛と距離をつめる。はっと目を見開いた椛の顎に手を添えて、群青はすっと目を細めてみせた。
「……せめて、もっと上手にキスができるようになってから、だな。それは」
「な、なに……」
「――キスは、こうやるんだよ。下手くそ」
え、と息を飲んだ椛の唇を、群青はそのまま奪ってしまった。
「んっ……!?」
何が起こったのか……わからなかった。ふ、と熱が離れていった唇に、寂しさを感じて、ようやく椛は自分の身におこったことを理解する。目の前に、群青の綺麗な蒼い瞳があって、それがじっと自分を映していて、ぎゅっと心臓が破裂するほどに締め付けられた。
「ぐ、ぐんじょ……」
「がちがちに固まってんじゃねえか。たった一回のキスでこんなになってんじゃあ……ヤんのは早えよ」
「か、勝手に決めないでよ……もう一回……もう一回、キスをして。群青……!」
瞳を震わせている椛を、群青は黙って見つめる。射抜くような視線に、椛の鼓動は急速に早まってゆく。あがってゆく息、くらくらとしてくる視界。でも、その群青の視線は、夢のなかの彼のそれよりもずっとぬるい。それなのに……自分は、こんなにも。
「……そんなに、俺としたい?」
「……したい……群青のことが、欲しい……!」
「……馬鹿だな、……そんなに、焦んなよ」
群青が椛の手を掴み、引き倒す。椛の上に乗ると、すっと見下ろした。かあっと椛の体温が上昇していく。群青は少しずつ椛との距離をつめていって、そして、唇を重ねた。
「……んっ、」
短いキス。それを、何度も何度も繰り返す。角度をかえて、髪をくしゃくしゃと掻き混ぜて、熱を交えて。息継ぎをどこですればいいのかがわからなくて、椛は息苦しさを感じてしまう。
「あ、……ん、ッ」
「ほら……まだ、終わんねえよ。しっかり……」
「は……ん、んんっ……」
頭のなかが蕩けてゆく。苦しいのに、気持ちいい。どきどきと、胸が激しく鳴っている。あまりの熱さに、涙がこぼれてくる。
触れるだけのキスなのに、こんなに自分はとろとろになって。もし、これより先に進んだら、どうなってしまうのだろう。かすかな群青の吐息が聞こえただけでも、ぞくぞくと体の奥のほうが震えてしまうのに。もっともっと、夢のなかのように愛を囁かれて、激しく愛撫されて……そんなことをされてしまったら。
でも――でも……
「は、……は……」
ようやく開放されて、椛はぐったりとしながら群青を見上げた。とろんとした顔をする椛の頬に群青は手を添えて、ふ、と笑ってみせた。
「……ほら。おまえまだ、キスでいっぱいいっぱいだろ。大丈夫だって、もっと大人になってからでいい。俺は逃げないから」
「……ぐんじょう、」
たしかに、自分はキスをされただけで全身が熱くなって何も考えられなくなって。そんなんじゃあ群青だって、それ以上のことをするのはできないかもしれない。
でも、椛にとって、余裕いっぱいの群青の顔が癪だった。もっともっと群青が欲しいのに。心を奪ってみせたいのに。
「ま、って……」
椛は再び横になろうとした群青の腕を咄嗟に掴む。びっくりしたような顔をした彼を見上げ、ぽろぽろと涙をこぼしながら、懇願するように、絞りだすように、言った。
「……いいから。僕はいいから……群青、お願いだから襲ってよ。群青にだったら何をされてもいいから……ぐちゃぐちゃにされたっていいから……! お願い……群青……!」
「……、」
群青が、固まった。目を見開いて、ぽかんと口をあけている。やがて、椛から目をそらして口に手をあてて、何か考え事をしているのか黙っていた。しばらくしてやっと動いたかと思えば、椛のおねだりも虚しく、群青は布団に潜り込んでしまう。
「……キスに、もっと慣れてからな」
「……じゃあ、キスして」
「だから……焦るもんじゃねえって」
群青はなかなか靡いてくれない。椛はさすがにむっとなってしまって、掴みかかるように自ら唇を押し付ける。固まる群青の唇に噛み付くように、自分で思う大人のキスを必死にしてみせた。しかしそれでも群青はじっと動かない。……なんで。泣きそうになりながら唇を離して、椛ははっと息を呑んだ。
「あ……」
思わず、勢い良く群青に背を向けてしまった。
――群青の目が。夢のなかでみた、あの目と同じだったのだ。
情欲と理性の狭間で揺れる、熱っぽい瞳。あれを……向けられた。
ドクン、と大きく心臓が跳ねて、椛はもう、何もできなくなってしまった。……こんなに、群青のこの顔は破壊力があるのか。自分に向けられると、こんなにドキドキするのか。やばい、と急に思ってしまった。
「……椛」
「……っ」
名前を呼ばれて、びくんと体が震える。体を群青に向けないままでいると、群青が優しい声で囁いた。
「……俺、たがが外れると本当に食いそうになるから。焦るな。大丈夫……おまえがもっと、大人になったら――」
く、と首に小さな痛みを感じた。群青に噛み付かれたのだと気付いた時、体が燃え上がるように熱くなった。
「――食ってやる」
「……っ」
ぞくぞく、ぞくぞく。今の一言だけで、イキそうになった。椛は体を丸めて、口を手で抑える。
それからは、群青は何も言ってこなかった。椛も、もう限界に達してしまっていて、迫ることができなかった。しばらくして椛の寝息がきこえてきたころに、群青はそろりと体を起こし、その寝顔を覗きこむ。幼いその寝顔をみて、面白くなさそうに唇を尖らせた。
「……さっきのは結構キたわ。油断ならねえな、まったく」
手を出してしまうのは時間の問題だな、と頭をかく。紅の、「あなたが思っている以上に大人だからね」という言葉を思い出して、ち、と小さく舌打ちをした。
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