アリスドラッグ | ナノ


▼ 惑い人1


―――――
―――
――


『群青……』

「――……」



 何回も何回も抱いて、くたりとした柊を抱きしめながら、群青は横になっていた。先ほどから、何度も頭のなかに柊の声が響いている。その度に苦しくて、悲しくて……わけがわからなくなった。



「……柊様」

「……うん?」

「俺……現世で、貴方の生まれ変わりと一緒に暮らしているんですよ」

「……ふうん」

「あまり……うまくいっていないんですけどね」



『群青』



 胸を締め付けるような、なによりも甘い、声。この柊の声が、自分が一番愛している彼のものであると……群青は気付き始めていた。彼が生きているときに、何回もこの声を聞いていた。記憶は、声からまず忘れていくというけれど――群青は、この声が本当の柊の声であると、なんとなくわかってしまった。大好きな、本当に大好きな人のものだから。



「……柊様の魂は、あの生まれ変わりの子が持っています。魂はひとつしかないのに……ここに、本物の柊様がいるわけが、ない」



 だから、――この柊が、偽物であると、群青はわかってしまった。



「……ねえ、貴方は誰ですか?」

「……僕?」



 群青が尋ねれば、柊の顔をした彼は優しく微笑んだ。



「……僕も、柊であることは間違いないよ」

「……」

「おまえの記憶のなかの柊から生まれているから。おまえが一番幸せだった、あのころの記憶が……僕を生んでいる」



 偽物――それなのに、ここまで本物の柊とそっくりな理由。群青が覚えている全て、柊の記憶が全て反映されているからだ。表情のひとつひとつも、匂いも、どこまでもあのころの彼と同じ。そして――群青を愛しているということも、同じ。



「僕は……おまえを幸せにしたい」

「俺の記憶から生まれたっていうなら……貴方に、感情なんてないでしょう……」

「感情がなくても――僕は、おまえを幸せにするためにここにいる。苦しんでいるおまえを……もう一度、幸せにするために……」



 ぽろ、と彼の瞳から涙がおちた。彼は、決して群青を騙そうとしているわけではない。群青を幸せにするために生まれた、それは間違いないのだから。



「……柊様」



 もし……もし、この柊から逃げて椛のもとへ行ったら、自分はどうなるだろう。どうせ、自分は椛のことは愛せない、救えない。椛のところへいったところで……自分は幸せにはなれない。目の前に柊の魂があるのに触れてはいけないという、あまりにも残酷な苦しみに、これからもずっと耐えなければいけない。



「柊様」



 柊が死んでから、数百年。もう、十分すぎるほどに苦しんだ。これからも、自分が死ぬまで……



「……助けて、柊様」



 限界だ。もう、限界。これ以上苦しみたくない。

 この柊と共にいれば、自分は幸せになれる。失った幸せな過去を取り戻せる。



「柊様、柊様……」



――偽物でもいい。もう、幸せになりたい。俺を、殺してくれ。



「群青……いいんだよ、僕を愛して。ずっと、僕といよう、群青……」


「……う、」

「んっ……」



 群青は、彼に口付ける。涙があふれてくる。触れた唇の温度は、追憶の彼方へと消えた柊のものと全く同じ。耳をくすぐる甘い声は、あの愛おしいものと同じ。



「柊様……笑って……笑ってください……」

「うん……」



 微笑んだその顔は……ずっとずっと、希っていた笑顔。救えなかったと、絶望に塞ぎこむ心を誤魔化してくれる。

 白い肌に唇を寄せて、吸い上げる。紅い痕を点々と、花びらのように散らしてゆく。ひとひら、ひとひら散る度に彼は身体をぴくりと跳ねさせて秘めやかな声をあげた。口に手をあてながら、頬を紅潮させて、群青の愛撫に歓んでいる。



「あ……あぁ……」



 もう何度も抱いたから、彼の下腹部はどろどろになっていた。すっかりやわらかくなったそこからは、たくさん注ぎ込んだ群青の精がとろりとこぼれている。そこに、再び熱をしずめてゆくと……彼は濡れた瞳で群青をみあげながら、嬉しそうに微笑んだ。



「あ、あ……ぐんじょう……」

「柊様……」



 あの世と呼ばれるここは――天国か、地獄か。体に羽が生えたと錯覚するほどの極上の幸せに満ち溢れ、浮世の悲しみを忘れるほどに奈落のそこへ堕ちてゆく。いずれにせよ、現実から逃げていることには変わりない。でも、それでいい。もうあんな悲しみには耐えられない。一生をここですごし、体が朽ちるまで……この柊と共に過ごしたい。



「愛しています……愛しています、ごめんなさい……俺は貴方を救えなかった……」

「ううん……おまえが悪いんじゃない、あれが、運命だったんだ」

「弱い俺を……どうか、赦して……」



 腰を揺らし、熱をぶつける。彼が群青の背に腕をまわし、ぎゅっと抱きついてくる。



「あっ、あっ……あぁっ……」

「柊様……柊さま……助けて、柊さま……」

「好き……すき、だよ……ぐんじょう……あっ、……あ、あ……! ん、っ……泣かないで、……自分を、ゆるしてあげて……」

「ごめんなさい……ごめんなさい、」



 懺悔は、快楽へ消えてゆく。このまま、このまま……溶けてしまいたい。



『群青――』

「あ……」



 声が聞こえる。ほんとうの、柊の声。



「やめて……やめてください、もう……」



 愚かな俺を、貴方が呼ぶ。



『群青――泣くな』



「俺は……」



 ……俺は、どうしたいんだっけ。俺は――



『――お慕い申し上げております。ずっと、永遠に』



 俺は、柊様を愛したかった。柊様を幸せにしてあげたかった。幸せそうに笑う、柊様の側にいたかった。――二人で、桜の花をみていたかった。



「群青……どうした」

「……柊様、」



 だから、違うんだよ、これは。俺が一人で偽物の彼と幸せになったところで……俺の本当の願いは叶わない。「貴方」と、俺は幸せになりたかった。



「……柊様、俺は……」



 貴方が幸せにならなければ――俺は幸せに、なれない。



「俺は……もう一度……貴方を、笑わせてあげたい……!」

「……群青」



 彼が、悲しそうな顔をする。ぼろぼろと群青の瞳からこぼれる涙を手で拭ってやりながら、自らも泣き始めてしまう。



「だめだ……僕から離れては、いけない」

「貴方といて自分を誤魔化していても……俺は、きっとそのうちだめになる……」

「現実の世界に戻ったほうが、苦しい……! 離れないで、群青……僕から、離れるな……! 僕は、群青に苦しんで欲しくないんだ!」

「ほんとうの柊様の魂を持った、椛を……見殺しになんてできない……あいつを見殺しにすることのほうが、きっと苦しい」

「……おまえは、椛のことは愛していないんだろう、彼は自分が柊の魂を持っているからと愛されることを、絶対に嫌がるぞ!」
「……これから、椛にちゃんと向き合う……ここで逃げたら、もう二度と! 椛は救われない! 俺は自分自身の弱さに勝てるか、そんな自信はないけれど……今が、最後のチャンスなんだ……! 今逃げたら、もう永遠に……椛も俺も、救われない」



 群青は、彼の胸に顔を伏せる。嗚咽をあげながら、彼の上で泣いた。



「柊様が、呼んでいる……逃げようとしている俺を、呼んでいるんだ……逃げたら、もっと辛いって、そう言っている」

「……」

「なんで……柊様の魂が、また俺の前に現れたのか……きっと、俺を救うため。俺に、自分の弱さと戦えって、そう言いたいんだって、……」



 彼は、自分の上で涙を流す群青の頭を抱いた。暫く、群青が落ち着くまでそうして黙っていてくれた。やがて群青の涙が引き始めてくると、静かな声で言う。



「……もう、引き返せないよ。今ならここに、残ることができる」



 彼の声を聞いた群青は、ゆっくりと体を起こした。そうすると、一緒に彼も起き上がる。じっと自分を見つめてくる彼を、群青はまっすぐに見つめた。



「……いきます。ほんとうは、まだ決心はついていません。でも……いかなくちゃ……柊様が、呼んでいるから」

「……そっか」



 彼はため息をついた。そして――微笑む。



「……がんばれ、群青」



 彼が、口付けてきた。その瞬間――二人を囲っていた部屋が、光だす。何が起こったのかと群青は目を見張ったが……瞬く間に世界は崩れていって、桜の花弁へと変わっていった。畳も、壁も、屋敷も丸ごと全部、……そして、「彼」も。全て桜の花びらと化し、舞い上がったのだ。



「……っ」



 世界が桜色に染まるほどの、大量の花弁。はらはらと散ってゆくそれらの隙間から徐々に姿を表したのは、元の世界。紅い空と醜い街並み。

 消えたのだ、全て。群青の想いが作り上げた、「幸せの世界」が。

 偽物だとしても、柊と全く同じ暖かさを持っていた彼。それが一瞬で消えてしまって、群青は急激な喪失感に襲われる。唇に微かに残る、彼の口付けの熱。一度止まったかと思った涙が再びこみ上げる。群青は、花弁でいっぱいの地面に塞ぎ込み、涙を流す。



「――……っ、」



 ここからが、本当に苦しい。ふりだしに戻っただけ。柊の魂を持った椛と、自分はどう向き合えばいい。宇都木への復讐心、そして椛自身のもつ悩み。

 答えは、見つからない。まだ、怖い。苦しい。でもいかなければ。ここで立ち止まっていたら、誰も救われない。



「……椛、」



 群青は、落ちていた自らのジャケットを拾う。そして、ポケットのなかに入っていた、紅の髪飾りを取り出した。紅の力を使えば、椛のもとへいける。

 覚悟を決める。もう、泣かせたくない。雨の夜に一人で震えさせたりなんか、しない。

 群青は意を決して――髪飾りに、口付けた。


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