▼ 追憶・桜の花20
冬の寒さも峠を越え、夜に寒さに震えることも少なくなった。群青にとって、寝る時が最も好きな時間である。思う存分柊に触れることができるからだ。
「灯り消すぞ」
「はーい」
布団から少し離れたところにある蝋燭の火を柊が消している。橙色の光がゆらゆらと柊を照らしていて、白い肌がどこか艶かしく彩られている。すっと伸びた首筋、綺麗なうなじに群青は釘付けになっていた。
「……柊様」
「ん?」
名前を呼べば、柊が振り向く。睫毛の影がくっきりと浮かんでいる。
「消す前に、こっちに来てください」
「……うん?」
群青が手招きすると、柊は不思議そうな顔をしながらも、寄ってきた。布団に乗ったところで群青は、そっと柊を押し倒す。
「えっ……」
「……ちょっとだけ、進んでみる気はありませんか?」
「す、進むって……えっと、その……つまり、」
「いつもよりも、触れたいんです……大丈夫、しません。触るだけ……」
「ま、待ってくれ……群青……あの……」
柊は自分を見下ろす群青の視線から逃げるように、ぐっと顔を逸らした。自分を見つめるその瞳が、熱に揺れていたから。身体の奥のほうがぞくぞくとしてきて、心臓が高なってゆく。
恋人になってから、約二ヶ月。触れるだけの口付けで止まっていた。お互いにもっと進みたいと思っているのに、なかなか言い出せないし照れくさいしで、なかなか口付けの先まで行くことができない。群青のほうが少しだけ、余裕を持っているからだろうか。今回切り出したのが、彼だった。
今を逃したらまたずっと先になってしまう。ばくばくとうるさい心臓に胸が潰れてしまいそうになったが、柊も進みたいという気持ちは一緒。
「……その、……下、のほうは……ごめん、まだ……」
「うん。わかってます。本当に触れるだけです、優しく、触るだけ……」
「あ、あの……ち、違うから……怖いとか、そういうのじゃない……ごめん、群青が優しくしてくれるのは、わかってるから……でも、」
「わかってます。柊様……ゆっくりでいいんですよ。安心して、大丈夫だから……」
群青が微笑んだ。その顔に、柊はくらりと目眩を覚えた。ドクドクと跳ねる心臓のせいで、呼吸もままならない。上がってくる息、なんとかそれに耐えて……柊は囁く。
「ありがとう……群青……きて」
唇が、重なる。いつもよりも欲望をあらわにしたその口付けに、柊の体温は一気に上昇する。触れるだけのものなのに……ものすごく、熱い。薄くまぶたを開けば、じっとりと熱を孕んだ群青の視線とぶつかる。囚われた。目をとじることができなくなった。見つめ合い、熱を交わす口付けに、全身の血が茹だるような感覚を覚える。
角度を変え、何度も何度も。上がっていくる息と、不規則な口付けに、呼吸の間隔が狂ってゆく。息が苦しくて、胸が締め付けられて。ぐらぐらと視界が歪んでゆく。
「は……、あ、……」
「……大丈夫ですか……柊様……」
「……う、ん……もっと、……群青……」
「……柊様、」
群青の瞳が、揺れる。食われる、そう思った柊は、言葉を失ってしまった。全てを彼に委ねて、おかしくされてみたい。そう思ってしまうくらいに、群青の熱は、熱い。
「……舌、いれたい」
「……、」
「……口……開けて」
顔が熱い。あつすぎて、涙が出てくる。それでも柊は、群青の言葉に従った。いつの間にか従っていた。抵抗感など覚えない、言の葉に引きずられるように、唇をうっすらと開ける。そうすれば、群青が噛み付くように、唇を重ねてきた。頭の下に手を添えられて、ぐ、と唇を押し付けられる。
「ん、……んんっ……!」
入り込んでくる、舌。初めは遠慮がちだったそれも、すぐに理性から解き放たれる。咥内を掻き回すように責められて、犯されるような感覚に柊は群青にしがみつくことしかできなかった。意識を保つことでいっぱいいっぱいだ。熱く、溶けてしまいそうな……そんな深い口付けに、柊は一瞬で酔ってしまう。
でも、群青の想いに応えたかった。柊はおずおずと舌を伸ばして、群青のものと絡める。ぴく、と群青が震える。そして、突然責めが激しくなってきた。
「んッ……! ん、んー……ん、」
熱い、熱い……。もう、わけがわからない。唇の端を、唾液が伝ってゆく。はしたないことをしているんだ、それはわかっているのに、止められない。本能に引きずられる、もっともっと、深く深く彼と触れ合いたい、ひとつになりたい。どうすればいいのか、わからない……それでも柊は必死に群青と舌をまぐわらせる。
「あっ……」
唇を離されて、柊は突然の寂しさに声をあげてしまった。呼吸が一気に楽になったのに、残念な気持ちになる。
「……柊様……顔、……とろけてる」
「……群青……」
「……声も。全身、真っ赤。泣いちゃってるし。……大丈夫? 柊様」
「だいじょうぶ……」
群青がよしよしと柊の頭を撫でた。ぼんやりとした頭にそれがあまりにも気持ちよくて、柊は目を閉じてそれを受け入れる。はーはーと荒い息を吐く柊のまぶたに、群青はそっと口付けを落として囁いた。
「……続けられる?」
「……うん」
「……よかった。じゃあ……力抜いて、柊様。怖かったらすぐに言って」
群青が、柊の着物に手をかける。
柊がぎゅっと目を閉じた。以前傷を治すために脱がそうとして、怖がられたことを思い出す。人に肌をみられたことのない彼は、相手が男であったとしても服を脱ぐことに躊躇いを示す。
しかし、柊は抵抗しない。するするとほどくように着物を脱がされていき、ただ頬を赤らめるのみ。薄く開けられた瞼から覗く黒い瞳は濡れていて、ゆらゆらと光っている。群青を見上げ、緊張を飲み込むように、こく、と喉を鳴らす。
「久しぶりですね、俺の前で脱ぐの」
「……ああ、」
「改めてみると……すごく、綺麗です」
「……男の体に綺麗もなにもない」
「いえ……」
群青が柊の胸元に、唇を寄せる。
「あっ……」
ちゅ、と肌を吸い上げると、ほんのりと紅い痕がつく。揺れる蝋燭の炎が照らす部屋のなか、光に濡れる白い肌に。
「俺の印が残る、綺麗な肌です」
「……っ」
群青の瞳に、情欲の火が灯る。柊は思わず目を逸らした。身体の芯から、ぞくぞくと震えてしまう。欲望と理性の狭間に喘ぐ、そんな群青の表情にくらくらした。
こんな顔、するんだ。これから彼に、食べられる。
「あ、あっ……」
群青が、柊の顔に口付けを落としてゆく。額と、瞼と、鼻と、頬と。愛しているという言葉が聞こえて来るくらいに、優しい口付けをたくさん降らせてきた。
「だ、だめ……群青、……」
「……怖い? 大丈夫ですか? 今日はやめておきますか?」
「ご、ごめん……うそ、やめないで……」
「……柊様……」
「ん、んん……!」
群青が柊の唇に食らいつく。ぐ、と柊が仰け反った。ぴくぴくと震える身体を掻き抱くようにして、群青は熱をぶつけてゆく。
「あっ、……は、あぁ……」
身体に、唇を滑らせてゆく。馬鹿みたいに心臓が高鳴って、胸が苦しくて。優しく、優しく触れてくれているのに、怖いくらいに感じてしまう。身体を捩り、思わず愛撫から逃げてしまって、でも群青は追いかけてくる。
「や……あ、だめ……あ、あ……」
「……柊様、掴んで」
「……!」
群青が指を絡めるようにして手を握ってきた。……あのときのように。傷を舐められることが怖くて震えていた手を握りしめてくれた、あのときのように。
柊はぎゅっと群青の手を握り返す。大きくて、力強い手に柊は安心感を覚えて嗚咽をあげ始めた。快楽で蕩けた身体を抱きしめる、安心感。溶け出す幸福感は柊を素直にしてゆく。
「あっ、あっ、……」
肌を吸われるたびに、ちらちらと視界に白い火花が散った。上半身に余すところなく口付けられ、熱がどんどん蓄積されてゆく。時折上目遣いに群青に見つめられ、視線がぶつかると勝手に身体がびくんと跳ねた。
「あ、ふ、……ぁッ、まって……群青……へん、からだ、へん……!」
「……一回、イきましょうか、柊様」
「えっ、あっ、イ……? だめ、群青、ほんと、だめ……あっ……!」
群青は強く手を握りしめて、強く柊の肌を吸った。一般に性感帯とされているわけでもない箇所でも、柊にとっては強い刺激になってしまう。柊は身体を強張らせ……絶頂に達してしまった。
「あ……ん、……」
「柊様……しっかり。大丈夫ですか」
「……群青、」
群青はぐったりとした柊の、髪を優しく梳いてやる。柊はとろんとした目でぼんやりと群青をみつめ、ゆっくりと群青に抱きついた。
「……ごめん……群青、もう……だめ……」
「……はい、すみません……やっぱり、無理をさせてしまって……」
「ちがう……僕が……こんなんだから……ごめん、群青……我慢ばっかりさせて」
「いいえ……ゆっくりでいいんですよ。俺、ずっと待ってますから、大丈夫……一緒に、気持ちよくなりましょうね」
群青が柊の頭を撫でてやると、柊は群青の首元に縋り付いて泣き出した。群青のおかげで少しは触れられることに慣れてきたけれど……やっぱり、まだ満足に性交をするのは難しい。それが、柊にとっては申し訳なくて、苦しかった。本当は群青も満足させてあげたいのに……でも、群青の愛撫が優しくて、気持ち良くて、すぐイッてしまって。
「……群青、毎日……こういうの、して欲しい」
「えっ」
「はやく、一つになりたい……だから……」
「無理、してませんか? 俺に気を使わなくていいんですよ、柊様に合わせて、」
「ちがう……! 好きだから……群青のこと、好きだから、……今の、気持ち良かった、もっとして欲しい、もっといっぱい群青に触れてほしい……!」
(はぁ、もう、この人……愛おしすぎてどうしよう)
必死になって触れて欲しいと頼んでくる柊に、群青はどうしようもないくらいの愛おしさを覚えた。きゅん、と胸が締め付けられて、群青は柊を覆いかぶさるように抱きしめる。
「焦らないでください、大丈夫、時間はありますから……でも、夜に……いっぱい触りますね。柊様……いっぱい愛し合いましょう」
「……うん」
柊は涙を流しながら、微笑んだ。
蝋燭の火を消して、二人で布団に潜る。群青の腕に頭をのせて、柊は群青に抱きつくようにして眠りに堕ちていった。
少しずつ近付いてゆく感じに、群青の胸は満たされる。今ではすっかり自分にくっついて寝るようになった柊の姿は、昔からはまるで考えられない。自分と一緒にいて変わったのだと思うと、すごく、嬉しい。
「柊様……大好き」
群青は柊を抱きしめると、目を閉じた。
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