魂の救済


 淺羽は、波折の「沙良にはあの人は言って欲しくないと思うかなあ」という思惑とは真逆の「沙良にこの事実を知って、その本質を見せて欲しい」といったことを鑓水に言ってきた。波折が、ずっとそばにいたらしい淺羽の考えを読み違えるだろうか。車から降りて波折の部屋に向かうまでのあいだ、鑓水はずっとそのことについて考えていた。

 ひとつ、鑓水の中に「もしかしたら」と考えが浮かぶ。

 沙良にこの事実を知って欲しくない――それは、波折自身の願望。そもそも……もし沙良が事実を知ってこちらの敵になったなら、淺羽にとっては沙良を殺せばすむことだ。そう必死に隠す必要もないだろう。だから、沙良に敵になって欲しくない、それは波折の願望なのかもしれない。沙良に死んで欲しくないと。

 でも、どうだろう。波折は本当にそれだけを思っているのだろうか。


「波折」

「……ん」


 寝起きでふらふらとしている波折に、鑓水は声をかける。部屋にたどり着いて、玄関で靴を脱ぎながら……鑓水は問う。


「……神藤のこと、どう思っているの」


 波折はぼーっとしながらふらりと鑓水の顔を見つめた。正直なところ。波折は何を考えているのか、よくわからないところがある。鑓水は必死に波折の考えを汲み取ろうとはしているが……それでも、波折の思考は常軌を逸していて、難しい。


「……どう、って?」

「神藤を自分たちの実験に巻き込みたくない。そう思ってるんだろ。でも、本当にそれだけなのかなって」

「……」


 じ、と波折が鑓水の目を覗きこむ。そして、ふ、と笑った。


「慧太ってさ、気になることはとにかく突き詰めないと気が済まないの? あんまりそれは感心しないかな」

「……どういうことだよ」

「あんまりさ、言いたくないんだけど、これ」


 波折が鑓水から離れていって、窓に向かって行く。そして、カーテンを開けて、ガラス越しに夜空を仰いだ。


「沙良は……きっと俺のやっていることは間違っているって、そう言って俺を糾弾すると思う」

「……だろうな」

「だからね、俺は……沙良に殺されたい」

「……」

「俺を、止めて欲しいんだ」


 淺羽に、沙良が真実を知ったと知られたら沙良は殺される。でも、波折は真実を知った沙良に殺されたい。これは……どうしても、波折の願いは叶わない。

 ただ、それ以前に。

 波折の言っていることは、オカシイ。俺を止めて欲しい? まるで、自分のやっていることの悪性に苦しんでいるかのようなことを言う。でも、どうだろう。波折は篠崎の死体の前で、そんな顔をしただろうか。自分の惨殺した篠崎をみて、悲しむような素振りを見せただろうか。

 波折の言動に、一貫性がない。それは、前々から感じていたことでもある。波折の考えていることが掴めない原因は、そこだ。


「波折。おまえについて、少し気になるところがある」

「なに?」

「人の心の奥にある欲が、魔術の質に影響するんだろ。だったら、なんでおまえは全ての種類の魔術で満点をとれるの。おまえの心の奥にあるものって、何」

「……」


 じろ、と波折が振り向く。肩越しに鑓水を見つめ、また、「余計なことを気にする」といった目をしている。


「俺は、完璧な人間でいて、全ての人間を惹きつけないといけない。そうやって人の本性を引き出すって、それが俺の役割」

「……ああ」

「……はじめから完璧な人間なんて存在するわけないだろ。魔術試験で満点をとるなんて、本来は不可能なんだ。魔術試験で満点をとるって、どういうことかわかる?」

「……それぞれの項目に見合った欲を、全部持っているってことか?」

「そうだね。攻撃とか、防御とか、いくつかあるそれぞれの部門にぴったりの相性の心を持っていなきゃ、満点はとれない」

「無理だろ。たとえば攻撃と防御は全く別物だ。一人の人間がその二つの魔術で満点をとるなんて、ありえない。突発的に浮かんだ欲は魔術への影響力は低い、その人間に根ざした欲が最も影響力があるって……淺羽もそう呈しているだろ。真逆の質を持つ強い欲をどっちも持つなんて、そんなこと……」

「できるよ、俺は。俺は、心臓をご主人様にあげちゃったから」


 波折が、ふふ、と笑う。ああ、またこの顔。自分自身を嘲笑う顔だ。


「俺は、自分なんて持っていない。完全にご主人様の言いなりだから。ご主人様が魔術試験で満点をとれって言ったなら、満点をとれるように心をコントロールするだけ」

「コントロールって……だから、表面上の気持ちは操れるかもしれないけど、それは魔術にはあまり影響が……」

「俺は自分の本質だって、変えられる。ありえない、なんて思われても。俺を普通の人間だと思わないでよ。俺はご主人様の実験を成功させるためにつくられた、化け物なんだから」

「化け物……」


 普段は、普通の人間。気を許した人に甘えることも、人が傷ついたなら悲しむこともある。でも、「ご主人様」が人を殺せと言ったなら……心から、人を殺したいと思う。悲しむ心を完全に自分の中から消し去ることができる。

 だから、魔術試験では全ての魔術で満点をとれるように、自らの心を完全にコントロールした。普通の人間ならば絶対に不可能のそれを、やってみせた。

 それが、波折。


「でもね、慧太」

「……」

「俺が慧太のことを好きなのは、本当だからね」


 波折の心は、淺羽が掴んでいる。波折は悪事なんてきっと働きたくないのかもしれない。でも、そんな心すら、淺羽は波折から奪っている。定まらない自らの心に挟まれて、波折はもがいて、そして願ったのだ。「殺して欲しい」と。

 早く、この化け物を殺してやれ。俺にはできないよ。波折の命を奪ってまで、波折を止めようだなんて願えない。淺羽のもとについて、もがく波折を支えるって選択肢しか俺にはない。神藤、どうか、おまえに、波折を救ってあげて欲しい。


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