甘い恋をカラメリゼ | ナノ
 dix-huit

 彼氏がケーキとか大好きな甘党で、だから誕生日のケーキもこだわりたくて。でも男の子の好みとかわからないし、梓乃に選ぶの手伝って欲しいの。そんな惚気を聞きながら、結局俺は瑠璃に付き合わされた。

 べつにケーキを買う付き合いくらい、いくらでもしてあげていい。ただ、今、瑠璃に連れられている先のことを思って俺は動揺していた。大学から駅まできて、そして電車に乗って。この電車の行き先……もしかして、


「梓乃、前「『ブランシュネージュ』でケーキ買ったことあるんだよね? どうだった?」


 ……やっぱり、あそこだ。「ブランシュネージュ」のある駅。智駿さんの、お店。

 心の準備ができていない。智駿さんに会いたい会いたいって思っていたけれど、急に会うことになって俺は軽くパニックになっていた。

 この前会ったときにいっぱいエッチなことをしてもらった人。あのとき恥ずかしいこともかなり言っちゃったし……。どんな顔をして会えばいいのかよくわからない。

 でもブランシュネージュに行くのやめようなんて言えない。智駿さんのケーキ、色んな人に食べてもらいたし。仕方なく俺は瑠璃に着いて行って、結局ブランシュネージュに一緒に入ることになってしまった。


「――いらっしゃいませ」


 カランカランと音をたてながら中に足を踏み入れる。俺は瑠璃の後ろに隠れるようにして歩いていったけれど、まあもちろんあっさりと智駿さんに見つかってしまって。


「……あ」


 ぱちり、と目が合った。その瞬間、火がついたように身体が熱くなって、目眩がした。ぶわっとあのエッチな時間が頭の中を駆け巡って、恥ずかしくなってくる。ほんと、あのとき俺……恥ずかしいポーズとか言葉とか、すごかったような……。

 智駿さんはたぶん、そんな俺の考えていることを理解した。全身を真っ赤にして|狼狽《うろた》えている俺をみて、ふっ、とあの意地悪なのか優しいのかわからない微笑みを見せてきたのだ。


「ねえ、梓乃、梓乃ってどういうケーキ好き? 梓乃の意見聞きたいんだけ……梓乃?」


 瑠璃は当然そんな俺の事情なんて知る由もなく。陳列されているケーキをみて、困ったように俺に声をかけてきた。智駿さんの微笑みに心臓を掴まれていた俺は、ハッとして瑠璃に視線を持っていく。


「えっ、あ、ああ、俺なんでも好きだよ」

「そんなこと言われたら梓乃連れてきた意味ないじゃん!」


 曖昧な答えに、瑠璃は苦笑い。悪い、瑠璃。俺、今瑠璃と普通に会話する余裕ない。しどろもどろになる俺を観察している智駿さんの視線が気になって仕方ない。


「どうぞ、もっと近くで見てもいいですよ」

「……っ」


 入り口のあたりで遠慮がちにショーケースをみている瑠璃に、智駿さんが言う。これは瑠璃への親切もあると思うけれど……恥ずかしそうにしている俺をいじめたい智駿さんの悪戯心かもしれない。

 「ありがとうございます」と言ってショーケースに近づいてゆく瑠璃を追う俺は、案の定、智駿さんとの距離が狭まってさらに顔が熱くなってきていた。


「あのー、男性に人気のケーキとかってありますか?」

「贈り物ですか?」

「はい。彼氏の誕生日の……。この人に意見聞きたかったのにこのとおり参考にならなくて!」


 瑠璃が智駿さんに話しかける。さらっと俺のことを貶してるし、俺のこと会話にいれるから智駿さんがこっちをチラッと見るし。余計なことを言うなよ瑠璃!と心の中で叫びながらも、そんな強気な気持ちは智駿さんの手前表にだせない。

 俺が居心地悪そうにしているのを見破ってか、智駿さんがにこにことわざとらしく笑う。



「そうですか? 彼、僕のお店に何回か来てるので、彼のおすすめ聞きたいなあ」

「はいっ!?」


 智駿さんが俺に話しかけてくる。

 かあーっと顔が熱くなって、頭が真っ白になって……目を合わせれば、エッチのときに見せてきた静かに揺らめく炎のような瞳を思い返してしまって、ずくんと下腹部が熱くなった。

 もちろん瑠璃はそんな智駿さんを知らないから、あの熱は俺だけが知っているのだと思うとおかしくなってしまいそうになる。


「僕のケーキのなかで、どれが好き?」

「えっ」


 智駿さんの視線が注がれて、俺は挙動不振になってしまった。

 どれが好き、って言われても、ここにある全てのケーキを食べたわけじゃないし答えるのは難しい。ついでに言えば、ここにはない、俺だけのために特別につくってくれたあのケーキが一番好きだった。だから、どうにも答えられなくてうんうんと悩みながらショーケースを眺めていると、見たことのないケーキが置いてある。


「……新しいケーキですか? ……じぇ? て? んんん? 何て読むんだ……」

「ジュトゥヴだよ」

「……オシャレ用語?」


 どうやら新商品らしい、ジュトゥヴという名のそのケーキ。白いドーム型のシンプルな見た目をしている。


「外側はさっぱりしたヨーグルトのムースで、内側に甘酸っぱいザクロのソースが入ってるんだ」

「へえー、ザクロって珍しいですね」


 外側はシンプル、内側は甘いソース。そういえば、俺の誕生日のときに智駿さんがつくってくれたケーキに似ている。パッと見気怠げな若者だけど中身が可愛くて愛おしい、そんな俺をイメージしたなんてそんなことを言われて……あの日、智駿さんと両想いになった日のことを思い出して、思わず俺はにやけてしまった。


「このケーキ、僕の大切な人のことを思って作ったんだよ」

「んっ!?」


――何をおっしゃります、智駿さん!?

 思わず突っ込みたくなるのを、我慢した。大切な人、って、俺のことで間違いないだろう。あのケーキと似ていると感じたのは、勘違いではないようだ。……でも、それを、瑠璃の前で言うなんて、恥ずかしい……!


「へえ〜! 大切な人って、恋人ですか?」

「うん」

「わー、素敵! えーっと、……花丘さん?に愛されるって幸せそう〜!」


 女の子は恋バナが好き。案の定、瑠璃は智駿さんの話に食いついてしまった。

 逃げ出したくなるのを抑えて落ち着きのない俺とうってかわって、智駿さんはまるでなんてことのないといった風に瑠璃と話を続ける。


「花丘さんの恋人ってどんな人ですか?」

「僕の恋人? すっごく可愛いよ。普段もまあ、可愛いんだけどね、たぶんあの子の一番可愛い顔を知っているのは、僕かな」

「やだー! すごいノロケ聞かされた!」


 ちら、と俺を見て笑った智駿さんは、確信犯だ。一番可愛い顔を知っているって……そりゃ、だって、ああいうエッチしたの、智駿さんとだけだし。あんなの智駿さんの前だけだし。っていうか智駿さんじゃないと俺あんなふうにならないし……。

 「あの子」のここが好きここが可愛い、そんなことを智駿さんはつらつらと述べていく。「好き」ってとはまた別の、愛の囁き。「もう恥ずかしいから結構です」とも言えないこの状況、俺はひたすらに智駿さんの「俺の好きなところ」を聞かされる。


「もう、そんなにその人のことを想って作ったケーキ、絶対美味しいですよね〜! 私、これにします! ホールじゃなくてもいいかなって思ってたし」

「ありがとうございます。何かプレートのようなものつけます? このケーキに合うように作りますよ」

「えー! じゃあお願いします! 『ハッピーバースデーよっちゃん』で!」


 俺がぷすぷすと顔から湯気を発している間、二人は「智駿さんの恋人」の話で盛り上がっていた。

 なんだか心臓が砂糖漬けにされたような気分だ。口から砂糖吐きそう。

 ここまでどろどろに愛を注がれたこととかなかったから、俺はもう参っていた。

 俺がひいひいしていれば瑠璃はようやく「智駿さんが大切な人を想って作ったケーキ」に決定したそうで、二人の会話はここで終わりを迎える。嬉し恥ずかし智駿さんの惚気話から解放されて、俺はほっとしていたけれど……


「ケーキ準備している間に、これ、どうぞ。カヌレって知ってます?」

「カヌレ? 聞いたことないです」

「ちょっと香ばしめの甘いフランスのお菓子です。最近はじめたので、試食として置いているんですよ」

「そうなんですかー! じゃあいただきます」

「どうぞ。……梓乃くんも、ほら」


「……へっ?」


 智駿さんと目が合わせられなくて俯いていると、ふいに智駿さんが声をかけてきた。顔をあげれば瑠璃がプラスチックのケースに入っているカヌレというらしいお菓子を爪楊枝で刺してとっている。じゃあ、俺も……、と俯いたまま瑠璃のところに近づいていくと。


「……え?」


 むに、と唇に何かをあてられた。恐る恐る視線をあげると――智駿さんがカヌレを取って、俺の口元に持ってきていたのだ。

 この状況は……そうだ、あれだ。「あ〜ん」ってやつ。


「ちょっ、は、恥ずかし……」

「遠慮しないで」


 こ、こんな人前でそんなことできるか!

 そう思ったけれど、にこにこと笑う智駿さんに断りをいれることがどうしてもできない。瑠璃は瑠璃で「顔真っ赤〜! 梓乃可愛い〜!」とか言うばかりでこの状況に違和感を覚えていない。つまりこれはやらないと空気読めない奴?俺は恥ずかしさいっぱいながらも、意を決して口を開く。


「……っ、」


 あれ、人に食べさせてもらうってどうやるんだっけ……。口を軽く開いて、舌、気持ち出す?目は閉じる……必要ない、あれ?

 あれこれ戸惑いながら智駿さんを待っていると、ころんとそれが口の中に入ってきた。もう、いいかなって目を開ければ(いつの間にか目を閉じてた)、智駿さんと目が合う。智駿さんの目が、ちょっと揺らめいていた。エッチをする、直前のときのような……。


「……あはは、ドキッとする食べ方するね」

「えっ、なんですか、それ!」


 わけのわからないことを言いながら、智駿さんはバックヤードに下がっていってしまった。恥ずかしさの余韻で顔がぽっぽっと火照ってぼんやりとしている俺に、瑠璃が「なんかやらしい食べ方してた!」なんてまたわけのわからないことを言う。

 口の中に残ったカヌレは、不思議な感じがした。外側は固め、内側はしっとり。ほろ苦い外の固い部分は噛んでいると甘みが口の中に広がって、内側の控えめな甘さのスポンジ?の部分と混じって丁度良く感じる。飲み込んだあともふわりと残る甘みは、何かに似ている。そうだ、智駿さんのことを想って恋しくなった、あのほろ苦い甘みに。



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