甘い恋をカラメリゼ | ナノ
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 白柳さんが、俺に何を伝えたかったのか――それを、一から十までは理解できない。白柳さんが言うことはやっぱり俺には少し難しくて、呑み込んでみても分解しきれない。けれど、もらったヒントはきっと、そんな白柳さんの言葉を理解する鍵となるだろう。そう思って俺は、まっすぐに家に帰ることにした。

 親と、向き合ってみようと思ったのだ。



「ただいまー……、父さん。母さんは、まだ帰ってないの?」

「おう、お帰り〜。母さんはまだ帰ってきてないぞ〜」

「そっか」



 けれど、家に帰ってみれば母さんはまだ帰宅していなかった。もう、夕方近くになる。この時間まで母さんが家に帰ってこないというのはめずらしくて、俺はちょっと拍子抜けしてしまった。母さんに、将来のこととか相談してみようと思っていたから。父さんに相談するのは、ちょっとためらいがあった。

 俺の父さんは、いい人だ。でも、母さんと違って口数が少ない。込み入った話をすると居心地が悪くなってしまうような気がして、俺は父さんと難しい話を今までにしたことがない。



「梓乃。またこれから、外に出るのか?」

「ううん。もう、今日は家からでないよ」

「そうか。晩酌でも付き合わないか」

「まだ夜にもなっていないのに」

「メシの前に一杯やるのがまた楽しいんだよ」



 でも、そんな俺の思惑を押しのけるように、父さんは俺に声をかけてきた。手に持った缶ビールを持って、にかっと笑って。

 ……父親と二人で飲むの、実は憧れていたんだよな。なんて。

 先のまどろっこしい想いよりも、父さんとの晩酌への期待が勝って、俺は素直に父さんの隣に座った。



「母さんは? 買い物?」

「いーや。エステとか言ってたぞ」

「……エステ?」



 父さんのお猪口にお酒をつぎながら、俺は母さんのことを聞いてみる。稀に、母さんは帰りが遅い。それは、友だちと食事に行っているとか、スーパーのタイムセールに行っているとか、理由は様々。今日の理由は……どうやら、エステに行っているから、らしいけれど。



「なんで突然エステ?」

「明日のためかなあ……なんて俺は思ってるんだ。へへ」

「明日……? ……あっ」



 そこまで猛烈に美容に関心があるというわけでもない母さんが、なぜ突然エステなんかに。父さんはその理由を察しているようで、俺も、そんな父さんの表情を見て気付いた。同時に――カレンダーに、目を移す。



「や、やばい! 明日結婚記念日だった! 俺、何も準備してない!」

「梓乃〜。それはないだろ〜」

「ご、ごめん……すっかり忘れていた……」



 カレンダーには、赤いペンで明日の所にハートが書いてある。母さんが書いたのだろう。いつもの俺なら、それを見逃すことなんてなかったけれど……今年はうっかり、見逃していた。自分のことでいっぱいいっぱいすぎたのだ。

 けれど、そんなのは言い訳にすぎず。俺は両親の結婚記念日という大切な日を忘れていた――その事実は変わらない。とんでもない失態に俺は頭を抱えてしまう。



「ごめん……旅行とかプレゼントできればよかったのにね」

「別に金かかるもの欲しいなんて言わないよ。お祝いしてくれれば、母さんは喜ぶぞ〜」

「うん、」



 そんな、なんとも親不孝な俺に、父さんは笑いかけた。実際のところ、父さんは記念日とかにこだわりがある人ではない。母さんさえ喜んでくれればいいと思っているのだろう。だから、今のうちに何か考えていろ――そう思っている。

 本当に、俺の父さんは母さんのことが大好きだ。特別夫婦らしいことをするというわけではないけれど、母さんの前ではいつもにこにこと笑っている。父さんと母さんは――俺の理想の夫婦像かもしれない。



「……、」



 そこまで考えて、俺はふと思う。

――理想の、夫婦像。幸せそうな父さんと母さんのような未来を理想とすること、望むこと。それは、今の俺に必要なことなのではないかと。ごく近い将来の就職こそが俺の未来の全てだと思っていたけれど――その先に、俺の未来はまだまだあるのではないか、と。




「ねえ、父さんってさ、今どんな感じ?」

「……ざっくりな質問すぎて意味がわからないな」

「いや、えっと……その〜、……なんていうか……ほら、俺くらいの歳のころ、色々考えていたでしょ? こういう大人になりたい、とかさ。今の父さんは、そのころの夢とくらべて、どうなの?」



 俺が、父さんくらいの歳になったとき、俺はどうなっているのだろうか。歳が一回り以上も違う、俺の父さん。俺が父さんと同じくらいの歳になるまでには、長い時間がかかるだろう。その間に起こる出来事を全て今決めるなんて、絶対に不可能だ。

 俺は、父さんを見てしみじみと思う。父さんみたいな大人になるのに必要なことは、こうして焦ることではないのではないかと。



「俺はな〜、お前くらいの頃、就職は適当にやったんだ。あんまり金のない家だったから、大学もいかないですぐに就職した。とにかく無事に就職することしか考えていなかったな〜。まあ、でも今はこうしてそれなりに楽しくやってるし? 将来のことなんて考えていなかったけれど、俺はまあ、幸せっていうのかねえ」

「……ちなみに幸せっていうのはどういうこと?」

「おまえ、それを言わせるかね」



 ゆったりとした口調で話す父さんは、俺の質問に僅かに顔を赤らめた。そして、わし、と俺の頭を掴むと、そのままわしゃわしゃと撫でてくる。



「家族がいることだよ、おまえも含めてな」

「……っ!」



 つられて、俺もかあーっと顔が熱くなる。父さんからそんなことを言われるとは思っていなかった。けれど、心臓がばくばくとなるくらいには嬉しくて、俺は照れ隠しににやにやと笑うことしかできない。

 はあー、とわざとらしくため息をつきながら、父さんがお酒をぐいっと飲む。空になったお猪口に俺がすかさずお酒を注げば、「さんきゅー」とぼそりと言われた。

 父さんの言う幸せは、すごく、ささやかなことだと思う。そして、当たり前すぎて気づかなかったことだ。けれど、こんな未来に俺はこの瞬間、すごく憧れた。愛する人と一緒にいられるって、なんて幸せなことなんだろう……そう思った。



「……父さん」

「なんだ」

「そ、そのー……ありがとうございます。それから、結婚記念日おめでとうございます」

「はいはい、」



 照れなのか、お酒なのか。顔を赤くしっぱなしの父さん。父さんは俺を見て――にかっと子どものように笑った。




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