甘い恋をカラメリゼ | ナノ
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 新見さんが働いているというカフェは、それはもうオシャレなカフェだった。宿泊客以外の人もわざわざくるというカフェ。パリの街道を思わせるここは、入った瞬間にほのかな珈琲の匂いが鼻をかすめる。

 新見さんに渡されたチケットを店員に渡すと、窓際の席を案内された。綺麗な景色を見下ろせるこの場所は、きっと特等席だろう。最も良い席で、最高のスイーツを食べて欲しいと新見さんは考えているのかもしれない。



「ちょっとドキドキしますね」

「そうだねえ」



 智駿さんは落ち着かない様子だった。やっぱり、しばらく会っていなかった新見さんの作品が気になって気になって仕方ないようだ。俺は、智駿さんの気を紛らわすために何も気付いていないふりをして、高級カフェを楽しんでいる風を装ってみる。この雰囲気にわくわくしているのは決して嘘ではないけれど、正直智駿さんの様子が心配でそれどころではない。でも、ここで俺まで不安をみせたら智駿さんの気分が本当に落ち込んでしまうと思ったのだ。



「うわっ、智駿さんみてください、コーヒー一杯千円超えてる!」

「あはは、いくら儲けでるんだろうね」

「そういう話はNGですよ!」



 俺が色々とテンション高めに話していけば、智駿さんの表情もほぐれていく。そうだ、たしかに色々ある相手の店だけど、だからって緊張しっぱなしで食事をするのはもったいない。せっかくの美味しいものは楽しく食べて欲しいって、そう思う。



「……!」



 でも、智駿さんはメニューをみてまた表情を固くしてしまった。いや、たぶんはたからみればわからない程度だけれど、俺にはわかる。

 メニューには、新見さんのつくったと思われるスイーツが並んでいて、そのどれもが芸術品のようにきらきらとしていた。見た目も、そして使われている材料も。普通は思いつかないような、そんな奇抜さがあって……でもすごく美味しそう。



「わぁー、すごい、全部可愛い〜」



 そんな風にメニューをみていると、後ろの席で女性のグループが声をあげていた。俺たちとほぼ同じタイミングで席についた彼女たちは、俺たちと同じようにメニューを見始めたところだった。メニューを見ながらきらきらと目を輝かせて、彼女たちは話している。



「あれでしょ、この店ってこの前テレビにちょっとでていたパティシエの」

「すっごいオシャレだよね〜! みてるだけでわくわくする!」



 ……どうやら新見さんはテレビにも出たことがあるようだ。それなりに名前の通ったパティシエらしい。智駿さんはそんな彼女たちの会話を聞きながら微妙な顔をしている。



「すごいな、写真だけであんなに喜ばせられる作品を考えられるなんて」

「!」



 俺はすぐさま智駿さんに視線を戻す。また智駿さんのテンションが下がっている。なんつータイミングできゃいきゃいするんだ君達今の智駿さんはナイーブなんだぞ!なんて、彼女たちに言いたくなったけれどさすがに我慢だ。



「ちっ、智駿さんのだってすっごく素敵じゃないですか!」

「いや、自分のつくったものを貶すつもりはないよ、僕だって僕なりの精一杯でやってるんだし。でも、なんだかんだ新見のほうが僕のやりたかったことをできているなあって」

「へっ?」

「人を喜ばせたいって思ってパティシエになりたいって思ったけれど、有名になればそれだけ多くの人を喜ばせられるわけで」



 ぐうの音もでない。智駿さんの言っていることは、その通り。有名なパティシエになれば、客の絶対数が増えるから喜ばせることのできる人数も増える。でもそういうことじゃなくて……智駿さんにはそういうことで悩んで欲しくなくて……ぐるぐると色んな思いが頭の中を渦巻いているけれど、それをうまく言葉にすることができない。今の智駿さんにかけてあげられるほどに良い言葉なんて、しょぼい人生しか送ってこなかった俺には浮かんでこない。



「……あれ、梓乃くんどうしたの?」

「いっ、いえ」



 恋人が悩んでいるのにまともに励ますこともできない自分に嫌気がさして、俺は一人で不機嫌になっていた。それが顔にでてしまっていたということに焦って、俺は慌ててぷるぷると顔を振る。

 どうしよう、智駿さんをどうしたら元気付けられるのかな。うんうんと悩みながら俺はメニューをみていく。とりあえず注文は二人で同じ、おすすめの商品に決定した。



「智駿さんってケーキに合わせるならコーヒーですか、紅茶ですか?」

「僕は紅茶かな」

「智駿さんって紅茶好きでしょ。智駿さんのお店に置いてある紅茶、やたらと智駿さんのつくったケーキに合うんですよ。智駿さんが選んでるんですよね」

「あ、そうだよ。知り合いが働いて言お店の紅茶なんだけど、僕のケーキに合うからうちの店でも売らせてもらってるんだ」



 さりげなく話を逸らしつつ、智駿さんのケーキの話をしてみる。こうしていると智駿さんはやっぱり自分のお店にはこだわりがあって、こんな風に自信喪失なんてしなくてもいいように思えた。こんな風に大きなホテルで出していなくたって、そんな智駿さんの小さなこだわりに気付いて智駿さんの「ブランシュネージュ」が好きだって言ってくれる人、たくさんいると思うんだけどな。

 しゅんとしている智駿さんをみながら俺までしゅんとしていると、俺たちのテーブルに例の高いコーヒーが運ばれてくる。そして続いてスイーツ。



「……!」



 自分の前に並べられたそれをみて、智駿さんが少しびっくりしたような顔をする。ウェイターさんが去っていったところで、智駿さんが苦笑した。



「……すっごい上手くなってる」



 一目見てわかるもんなのか……と俺はぼーっとみているしかできなかった。ここで悔しそうな顔じゃなくて嬉しそうな顔をするのはやっぱり智駿さんだな、とは思う。すごくきらきらとした、運ばれてきたスイーツは俺からみればほかの雑誌とかで紹介されているスイーツと何が違うのかわからない。でも、智駿さんからすれば全然違うんだなって思うと、そこはやっぱり違う世界の人って感じがする。



「デートとかでここに連れてきてもらえたら嬉しいだろうなあ」



 そして、隣に座っている女性グループをみて智駿さんが言う。その言葉に、俺はもやもやとしてしまった。今までの言葉にはどう励ましの言葉をかけたらいいかわからなくてもやもやとしたけれど、これは違うもやもや。デートって……智駿さんにとってデートに誘う相手っていったら俺だから、ここに俺がデートに誘われたら喜ぶって考えてるのかなって。いや、たしかに嬉しいけれど、俺は智駿さんのケーキが好きだし……比べるわけじゃないけど俺は誰の作品よりも……



「俺は智駿さんのケーキもらったら嬉しいですよ」

「え?」

「特別な場所に連れてきてもらわなくたって、智駿さんのケーキもらったら嬉しいもん」



 智駿さんのが好き。

 しょうもない俺の言葉なんて智駿さんにとっては大した意味なんてもたないかもしれないけれど、俺は智駿さんのケーキが好き。比べているわけじゃない、俺にとってあの小さな町で柔らかくきらきらと輝いているブランシュネージュの、智駿さんのつくったケーキが好きなんだ。



「あっ……すみません」



 ちょっと俺もいじけちゃったからか、ぶすっとしてしまった。智駿さんがきょとんとしている顔を見て、俺は自分の発言を省みる。

 でも、この気持ちはわかって欲しかったから訂正はしたくない。ここが秀でているとか値段がどうこうとかじゃなくて、俺はあの店が好きなんだってわかって欲しい。そして俺のほかにも同じことを思っている人は絶対にいるから、智駿さんにそういうところを理解して欲しい。

 智駿さんは元々自分に自信がないわけじゃないし、お客さんの一人一人を大切にしているから現状に十分満足しているはず。ただ、自分の羨んだ道に進んで成功した人を目の前で見て心が揺らいでしまっているだけだ。



「……そういえば、梓乃くんが僕の店にきたきっかけって妹さんの誕生日だったっけ」

「……はい、俺の妹、すごく喜んでいて、」

「うん」

「あの日は、俺にとっても妹にとっても特別な日になって、」

「……うん」



 智駿さんがふいっと俺から目を逸らして窓の外をみる。まだ夕方にはならない、けれど太陽が沈み始めた空。雲がふわふわと漂う青が、智駿さんの瞳の中できらきらとしている。

 智駿さんは何かを考えているようだった。智駿さんの瞳の中の空が色を変えてゆく。



「梓乃くんの妹さんって、髪が長くて口元にほくろがある?」

「あれ? みせたことありましたっけ」

「ううん。「お兄ちゃんがこのお店で買ってきたケーキが美味しかった」って言って友達の誕生日ケーキを予約していった子の名字が、「織間」だったんだ」

「えっ、あいついつの間にブランシュネージュに!」

「うん……」



 紗千のやつブランシュネージュに行ってたのか、と驚きつつ、また黙り込んでしまった智駿さんに不安を覚える。何か地雷を踏んでしまっただろうか……なんて俺が胸をキリキリとさせていると、智駿さんはぽそりとつぶやいた。



「誰かの思い出の一部になっているんだね、僕のつくったもの」

「……!」



 さっきまでどんよりとしてた瞳が、柔らかく細められた。智駿さん……もしかして気付いてくれたかな。俺とか他の人たちがあの店のことが好きなんだってことに気付いてくれたかな。



「誰かにとっての特別な日っていう思い出のなかに僕の作品があって、そしてまた違う人の思い出のなかにって……すごいことだよね」

「そっ……そうですよ! 智駿さんのケーキでみんな笑顔になってるんだから!」

「……うん、そっか。そうだよね、」



 智駿さんは困ったように笑って頭に手を当てる。やっと自分が変な迷路に迷い込んじゃっていたことに気付いたのかもしれない。智駿さんの迷いのようなものがふっと消えたような、そんな風にみえた。



「――おまたせしました」



 そのとき、上から声がかけられる。ふと顔をあげれば、そこには新見さんがいた。



「あれ、パティシエ自ら」

「そうそう、丁度手が空いたから」



 ウェイターさんじゃなくて、まさかの新見さん自らがケーキを持ってくる。自分の作品を見て欲しいって自信に満ちた彼の表情に俺はぎくりとする。せっかく智駿さんが立ち直りかけたというのに、こんなに成功している人オーラ全開の新見さんが現れたら……!なんて、俺は焦ったのだ。



「僕たちの頼んだこのオススメってさ、新見がコンテストで賞をとったときのやつのアレンジだよね」

「あれっ、智駿……よくわかるね」

「さすがにね、成功している同期のことはチェックしているよ」



 でも、智駿さんは顔色を変えずに新見さんと話している。新見さんはといえば智駿さんの言葉を聞いて嬉しそうにはにかんでいる。過去にライバル視もされなかった智駿さんに、それなりに意識されているというのが嬉しいのかもしれない。見るからに仕事できますといった顔つきの新見さんは、常に誰かと戦って自分を高めていきたいタイプなのかな、って俺は思った。

 ただ、新見さんは戦うのが好きでも人を蹴落とすことが好きではないらしい。過去に智駿さんにきついことを言ったこともあるらしいけれど、今智駿さんに褒められた新見さんは本当に純粋に喜んでいる。今、俺はおまえより有名なんだぞ、みたいな嫌味ったらしい笑顔ではない。



「いや、なんだかすごいね。自分の決めた道で成功しながらも、やっぱりお互いのことが気になっちゃう感じ」

「お互い?」

「俺も智駿が今どんな状況なのか知っているよ。この前智駿の住んでるところの地方誌でブランシュネージュが特集されていただろ。あとー……あそこらへんに住んでいる人たち、結構智駿の店知ってるんだね」

「え!?」

「いったんだよ、智駿の町。みんな口を揃えてあそこのお店は「なんかいい感じ」って言ってるんだ」



 智駿さんがきょとんとして新見さんを見ている。智駿さんの動揺している姿は、あまりたくさん見られないからちょっとドキっとしてしまった。でも智駿さんが驚くのも仕方ないと思う。智駿さんの住んでいる町に、東京の一流のパティシエがわざわざくる理由なんて見つからない。あるとすれば――智駿さんの様子を見るために来た、それだけだから。



「自分の町で愛されるお店を目指したい、来る人を笑顔にしたい、みたいなこと智駿は言っていただろ。だいぶ夢に近づいているんだなあって俺は嫉妬したね。俺なんてまだまだなのに」

「僕は新見に嫉妬していたけどね。自分の道を見失いそうになるくらいには」

「智駿が?」

「ううん、大丈夫、新見が羨ましいって思っているのは変わらないけど、もう自分の道はちゃんと見えているよ」



 ふ、と智駿さんは笑う。

――ああ、迷路から抜け出せたんだ。いつもの智駿さんに戻ったみたい。俺はホッとして、嬉しくなって、こっそりと笑う。そうすると智駿さんがちらりと俺のところを見て、優しげに微笑みかけてきた。



「いい恋人を持ったなあ」

「――えっ!?」



 智駿さんの言葉に、俺は驚いた。なんでこの状況でそんなこと言われたの!?って。新見さんも、突然の惚気にぽかんとしている。



「何、急に惚気ちゃって」

「んー?」



 にこにこしている智駿さんと、「ふーん」って顔をしている新見さん、二人に俺は見つめられて一人顔を赤くしていた。



「ちょっと迷いそうになったときに引っ張ってくれるって、最高の恋人でしょ?」



――そんなに、俺は特別なことを言っただろうか。難しいけれど、特別でもなんでもなかった言葉が、智駿さんは嬉しかったのかもしれない。



「ちょっと悔しいな。ライバルが取られちゃった気分」

「……新見みたいな奴がいるから、僕は成長できるんだよ」

「智駿も俺のことちゃんと意識してくれているっていうのは嬉しいね」



 でも、智駿さんがすぐに立ち直れたのは、智駿さんが選んだ道が智駿さんにとって正しいものだったからだと思う。智駿さんはブランシュネージュっていうお店をつくることが運命だったのかもしれない。結局のところ、何かに迷った時に最後にそこから抜け出すのは自分自身。俺なんてそんなに褒められることはしていない。



「そうだね。お互いにライバルとしてがんばろうか」


 曇りのない笑顔は、いつもの智駿さんのものだった。ああ、ほんとうに良かった。目の前でほんの少し成長した智駿さんは、かっこよくみえた。ますます智駿さんのことが好きになりそう、そう思って俺はにやけてしまった。




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