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 少し高そうなレストランに入って、二人は他愛もない話をした。ここから見える景色がすごく綺麗だね、とか、このシャンパンが美味しい、だとか。二人の関係は曖昧で、あまり踏み込んだ話は正直できなかった。自分は相手にとってなんなのか、それをはっきりと聞くことが怖かったのかもしれない。

 アザレアとしては、このままの関係でいいと思っていた。時々手を繋いだり、頭を撫でられたりされてはドキドキしてしまって、その苦しさは心地よいものでもあったが、彼と恋人同士になりたいとは思っていない。もっと言ってしまえば、キスとかその先だって、彼とならばしてみたい。でも、アザレアにはそれはできなかった。

 理由は、アザレアがワイルディング家の女だから。たぶん、ワイルディング家の者であることを誇りに思っている者など今の家の者にはいないだろう。しかし、アザレアは自分が騎士の家系に生まれたことを誇りに思っていた。自分の剣で大切な人を守ることができる、それが自分にとっての最高の喜びだと思っていた。

 だから、エリスとは恋人にはなれない。大切な人だからこそ、ダメなのだ。

 恋人になれば、その先には結婚だってあるかもしれない。そうしたら、子供を産むことになるだろう。……子供を抱えたお腹では剣など振るえない。エリスを守れない。

――きっと、エリスもアザレアのその思いを汲んでいる。いつもギリギリのところで踏みとどまっているのは見ればすぐにわかってしまう。もどかしくて、切ないけれど。エリスに誰か別の恋人ができればいいのにと思っている。レッドフォード家の長男なのだから近いうちに父親あたりからどこかの令嬢を紹介されるだろう。きっとそれを自分は心から祝福する。そんな未来が、アザレアには見えている。

 だから、せめて。それまではこうして幸せな時間をすごしたいと、そう思う。



「……なあ、アザレア」

「はい」



 手に持ったグラスを軽く回しながら、エリスはアザレアを呼ぶ。泡がキラキラと綺麗で、照明にあてられたグラスが眩しくて、そんなしょうもない光がすごく目にしみて、ああ、やっぱりこの人のことが好きだな、なんてアザレアは思う。



「……今日、なんかあった?」

「え、っと……今日、ですか?」

「なんかおまえ、どんよりした顔してただろ。……たしか今日は……ワイルディング家でオペラいったんだったか? 主役がたしか……聞いたことないけど、子供なんだってな。どうだったんだ、それ」



 ……察しがいい。ドキリと跳ねた心臓をアザレアは無理やり抑えこめる。まさにそのことだ。オペラ会場で、その子供の主役が。



「……エリス様は……主役の……オリヴィアを知っていますか」

「ああ、俺もそこまでオペラ詳しくないけど……オリヴィアは最近有名だもんな。なんかすごく可愛らしい顔してる女の子だろ? 見たやつによればどこか不気味で、でも怖いくらい綺麗だからその相乗効果がヤバイだとか……」

「……オリヴィアは……男の子です。この名前も芸名のようなもので……」

「……え、えええ!? 男ォ!? ま、まあ、あのくらいの年齢なら……そんなに性別も見た目に表れないっちゃ表れないけどよ……」



 心底驚いた様子のエリスにこれ以上オリヴィアの詳しい情報は言わないでおこうと思った。たとえば彼の本名とか。……彼が自分の弟であることとか。

 そう、オリヴィア――本名はラズワード。彼がワイルディング家の者であることは公表されていない。理由は単純で、彼が水の天使であるからだ。由緒あるワイルディング家から水の天使が生まれたなどという噂が広まれば、ワイルディング家の家紋に傷がつくということだろう。しかし、彼の存在はワイルディング家からは抹消されているが、あろうことかアンドレアは彼の美しい容姿を利用して、舞台にたたせ金だけを儲けようとしているのである。



「エリス様のお知り合いが、オリヴィアのことを不気味と言ったのは理解できます。彼には魂がありませんから。まるで人形が人間のように動いているように錯覚するのかもしれません。そう考えると怖いですよね」

「……魂がないっていうと?」

「……オリヴィアは……その胸の中になにもないのです。何も考えていないのです。ただ、教えられた踊りを踊っているだけ、耳で聞いた歌を覚えてそれを口から発しているだけ」

「な、なにもないなんてことは……流石に、人間なんだしさ。子供だって意外と頭いいぜ?」

「……いいえ。彼は、本当になにも考えられないのです。それこそ本当に人形のよう」



 そう、ワイルディング家の人形。ひどく愛された人形。

 なにをされてもそれが悪いことか良いことなのかすらもわからない。

 ――彼は、「言葉」を知らない。

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