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 マクファーレンの屋敷の門の前に立ち、エリスはラズワードに言う。



「おまえ、ここの当主のこと知っているか?」

「……名前くらいなら……レヴィ、様ですよね」

「ああ、それそれ」



 エリスはチ、と舌打ちをする。忌々しげに目元を歪め、ため息をついた。



「ソイツ最近おかしな動きしているからな、俺らは警戒しているわけだが」

「……おかしな、というと?」

「アイツが当主になる前に元々この屋敷で飼われていた奴隷に変な教育しているとか、雇っている従業員もなんか血の気荒いとか」

「変な……?」



 エリスは首をかしげるラズワードの瞳を指差す。ラズワードはびっくりしたように目を見開いた。



「奴隷……水の天使を戦闘用に教育しているんだよ」

「……なんのために?」



 エリスは門の横のベルに触れ、それを鳴らす。



「――噂によれば、神族を……あの施設を潰して『革命』を起こすんだとか」

「え……施設を……」



 背を向けたエリスはラズワードの顔をみることはなかったため、この時のラズワードの表情は知らなかっただろう。何かショックを受けたように瞳を震わせ、呆然としている彼の表情を。



「――施設を潰すってことは……ノワー」

『どちら様でしょうか』



 ラズワードの言葉を遮って、インターホンから声が流れてくる。エリスはラズワードが何か言いかけたことには気付かなかったようで、そのインターホンに返事をしていた。まるでBGMのように流れてくるインターホンとエリスの会話を聞きながら、ラズワードは唇を噛み締める。

――冗談じゃない、ノワール様を殺すのは……



「おい、ラズワード! 入るぞ!」

「……ッ、……はい」



 エリスに呼ばれ、ラズワードはハッと顔を上げる。

 何のためにレヴィという男は施設を潰そうとしている? ノワールを殺すつもりなのだろうか。

 頭の中でグルグルと巡る不安。未だノワールに接触するための方法すらも見つからないラズワードは、焦りを感じていた。彼を殺すのは自分、彼を救えるのは自分だけ。誰かに先を越されるなんてこと、今まで考えてもいなかったのだ。



「……?」



 悶々と考えながら、ラズワードは何か違和感を覚え顔を上げる。特に変わったことはない。エリスも何事もなく先導している。しかし、微かな魔力の気配を感じた瞬間、ラズワードは咄嗟に銃を抜いて叫んだ。



「――エリス様!」



 驚いて振り向いたエリスの背後に、何者かが接近していた。ラズワードは躊躇わずに引き金を引き、エリスのもとに駆け寄る。催眠の魔力がこもった弾丸が頬を掠め倒れた襲撃者をみて、エリスは唖然としていた。ラズワードはそんなエリスを抱き寄せ、銃をしまって剣を抜く。



「……な」



 気付けば二人を囲うように何人もの男が立っていた。皆武器を持ち、今にも襲いかからんとする彼らの様子を見て、ラズワードはす、と目を眇める。



「……なんのつもりだ。この方はエリス・ボイトラー・レッドフォード、レヴィ様の客人として今日は招かれている。武器を収めろ、私たちは敵ではない」

「――知っているさ」

「……なんだって?」



 男の一人が笑う。攻撃の意思を感じ取ったラズワードは、疑問を覚えるよりも先にエリスの保護の姿勢に入った。度の強すぎる眼鏡を外し、標的をしっかりと視覚で捉える。そして、一気に剣を振り抜いた。



「……!」



 一斉に倒れ地に伏した男たちをみてエリスは息を飲んだ。射抜くような目つきで真っ直ぐにある方向を見ているラズワードを、ポカンと見つめる。初めてラズワードが剣を扱うところを見たエリスは、いつもの頼りなさげな儚さとは違う、不思議な美しさをもつ彼にただ魅入られていた。



「――いやあ、すごいですねえ。彼は一体何者ですか、エリス様?」



 パチパチと乾いた拍手が聞こえてきて、エリスはハッとその方向を見る。



「……レヴィ……マクファーレン」



 エリスは呆然とその名を呼び、次の瞬間には怒りと猜疑のこもった声で言った。



「……貴様、なんのつもりだ」

「……は、いやだなあ、ちょっとした遊び心じゃないですか」

「――ふざけるな! もしラズワードがいなければ……! レッドフォードとマクファーレンの親交を永遠に断絶する事態になるところだったんだぞ! おまえは自分の立場をわかっているのか!」



 ヘラヘラと笑って近づいてきたレヴィに、ラズワードは剣を握る手の力を強める。



「……ああ、何、古くから続く親交ってやつ? んなもんどうでもいいよ、今、マクファーレンは全部俺のものだ。全ての決定権は俺にある」

「……何を……! マクファーレンがどれほどの誇り高い伝統をもっていると思っている! 貴様のような成り上がりがそれを壊すというのか!」

「あーあー、いいよ、つまんない。俺、その手の話興味ないからさ。それより」



 今にも攻撃を仕掛けてくるのではないかというラズワードの視線を臆することなく、レヴィはラズワードの前に立つ。レヴィはそっとラズワードの剣先に触れて、剣先を下げてゆく。流石にマクファーレン家の当主を傷つけることはできず、ラズワードは目つきで威嚇しながらもされるがままになってしまった。おとなしく剣を下ろしたラズワードに、レヴィは微笑みかける。



「……目、なにかつけているだろ」

「……っ」

「緑……そんなわけねぇよな。おまえの色は青のはずだ」

「な、なんで」



 隠しているはずの目の色を当てられて、ラズワードは心臓が跳ねるのを覚えた。

 レヴィとは会ったことがない。知らない人に顔が知られるほど自分が有名なんてこともない。

 なぜレヴィが自分の本当の目の色を知っているのかと、ラズワードは驚きで言葉がでてこなかった。



「……だってさっきおまえが使った魔術、水魔術だよな? 水魔術を使えるのは神族か水の天使か悪魔だけだ。神族が天使に仕えるなんてことありえねぇし、悪魔をレッドフォード家のモンが自分の傍におくはずがない。おまえは水の天使……そうだろう?」

「……」



 的確すぎる彼の推理にラズワードは何も言い返すことができなかった。

 まさか、水魔術を使っただけで自分の種族がバレるとは思っていなかったのだ。それというのも、水魔術は治癒の魔術以外はほとんど知られていないため、そのほかの魔術を使ったところでそれが水魔術だとわかることなどない、ラズワードはそう思っていた。容姿をみたところレヴィは水の天使でもなさそうで、なぜ彼が水魔術など知っているのかと、ラズワードは思惑を巡らせた。



「……チ、流石だな……不本意だけどよ」

「……え?」



 小さく呟いたエリスの言葉にラズワードは反応する。



「大した魔力量もないのにハンターのナンバーワンに君臨するだけはあるな。ここまで魔術の知識があるとは思ってなかった」

「……ナンバーワン? レヴィ様が?」

「んなことも知らねえのかよ。そうだよ、こいつ魔力量は並のハンターに毛が生えた程度なのに、ハンターのなかで最も強いって言われている。決して多くはない魔力量をカバーするだけの魔術の知識があるってことだ」

「……」



 チラリとレヴィをみて、ラズワードは唾を飲んだ。今まで会った人の中で最も魔術の知識があった人物と言えばやはりノワールなのだが、レヴィは彼とはあまりにも雰囲気が違う。ノワールはというと、いかにも博識といった落ち着きがあるのだが、レヴィにはまるでそれがない。人を見かけで判断するわけではないが、ここまで見た目(と言動)と中身のギャップがあっては油断してしまうのも仕方がない。



「……貴方は、水の天使ではないでしょう……? 自分が使うこともない魔術の知識をどうしてもっているんですか?」

「……あぁ? おまえそれ本気で言ってる? 戦術を練る時に相手の情報を知らないでどうする。水魔術なんかは特に網羅しておかないと対処のしようがないだろうが」

「……でも、水魔術を使う敵なんて……」

「いるだろ。おまえもそうだし――神族もそうだ」

「……神、族」



 エリスが言っていたことを思い出す。『神族を潰す』。噂ではなく、本当だったのか。ラズワードはショックをうけて唇を震わせた。



「……なあ、おまえ名前は?」

「……ラズ、ワード……」

「そうか、ラズワード。おまえは水の天使……神族のせいでどんな目にあってきた? 神族さえいなければ……そう思ったことはないか? ……おまえは強い。俺と手を組もうぜ……おまえと俺が一緒になれば、きっと神族だって潰せるさ」

「な、なにを……」

「さあ、ラズワード、答えろ。――俺はおまえが欲しい。……俺と、新しい世界を作ろうぜ」

「――……!」



 くら、と視界が歪んだ。

 レヴィの言葉は酷く甘いものに聞こえた。マクファーレンといえば天界三大貴族。もしも彼と手を組めば、神族と接触するチャンスは一気に増える。それにおそらくレヴィはマクファーレンの力全てを使って神族に挑むつもりだろう。一人で施設に突っ込んだところでノワールにたどり着くまでに力尽きるのがオチ。仲間が増えればその可能性を減らすことができるのだ。

 イエスと、きっとそう言った。少し前ならたぶん即答した。しかしラズワードはそうできなかった。レヴィと……マクファーレンと手を組むということは、マクファーレンに身を置くことになるだろう。そうすれば……ハルの傍にいられない。

 でも……神族と親交の深いレッドフォードにいても、きっとノワールを殺すことはできない。



「……っ、俺は……」

「おい、勝手なこと言ってんな」



 ふと聞こえたエリスの声に、ラズワードはハと目を瞬かせた。エリスはズイ、とレヴィとラズワードの間に入って言う。



「こいつはレッドフォードの所有物だ。おまえにやることなんてできない」

「……誰に着いていくかはおまえじゃなくてそいつが決めんだよ。そいつの道はそいつしか決めちゃいけねェんだ」



 今、自分はなんと答えようとしたのだろう。ラズワードは自分が怖くなった。

 おちつけ、ここで面倒事を起こすわけにはいかない。



「……俺は、ハル様のことをお守りすると決めました。誰の命令でもありません。俺の意思です。……だから、貴方に着いていくことはできません」



 ……嘘は言っていない。

 しかし、心の奥、どこかにレヴィに着いていきたいと言っている自分がいる。ノワールを殺すための手段として今自分が手に入れられるものの中で、最も確実性があるのだ。

――いいや、諦めろ。他にもきっと方法はある。



「ふうん? その忠誠心もさ、奴隷としてのものなの?」

「……違う、これは俺が本当に望んでいることです……! 大切な人のそばにいて、守りたいんです……!」

「へえ、なるほど。……まあ、無理やりってわけにもいかないよなァ。それじゃあレッドフォードとやっていることが一緒だ」



 レヴィがニヤニヤと笑う。ラズワードに迷いがあることを見抜いているのだろう。ラズワードは自分の心の内がバレないように、ふい、と目をそらす。



「ラズワードってさ、たぶん剣奴だろ? おまえのそれは奴隷身分の奴が独学で身につけられるようなレベルの魔術じゃないし」

「……え、ええ……そうです」

「ああ、じゃあ……その水魔術は調教師に教えてもらったんだな」



 レヴィはハッと笑ったかと思うとエリスを押しのけラズワードに詰め寄る。



「……その魔術だけじゃあ神族には敵わないぜ」

「……え」

「……神族が剣奴には敢えて教えない魔術ってもんがあるからな」



 ラズワードは唖然と目を見張った。レヴィはそんなラズワードを見て、にっこりと微笑み、そして耳元で囁いた。



「――もしも俺に着いてくるっていうんなら……その魔術を俺が教えてやる」

「……ッ」



 レヴィは息を飲んだラズワードの瞳を覗き込み、笑った。震えた瞳に、きっとラズワードの心が揺れたことを感じ取ったのだ。



「……レヴィ=マクファーレン……! 無駄話はそろそろ終わりにしろ! 俺は遊びにきたんじゃない!」

「ああ、そうでしたね。エリス様。ではそろそろ中に案内します」



 のけ者にされてどこか怒り気味のエリスが怒鳴っている。レヴィはそんな彼の隣につき、屋敷への案内を始めた。歩き始めるその瞬間、レヴィは振り向き、唇だけで言った。



「――考えておけよ」

「……ッ」



 ラズワードはただ黙って、二人の後ろを着いていくことしかできなかった。
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