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「失礼します」



 扉から顔をだしたのは、見覚えのある少女であった。髪をひとつに結い、濃紺の丈の短い着物を着た少女だ。



「ラズワードさん、朝食、まだですよね」

「……え、ああ。ありがとうございます」



 『今日はなるべくこの部屋からでないように』ハルはそう言い残して部屋を出て行った。なぜかと理由を問いても教えてくれず、ラズワードは朝からずっとこの部屋に留まっていたのだった。

 一日部屋に留まっていることなんて無理だろう、そう思っていた矢先に来たのが彼女だ。こうして食事を運ばせてくるあたりが用意周到といった感じで、ますますラズワードはハルの意図が気になった。



「あの……えーと」

「ミオソティスです」

「あ、すみません。……ミオソティスさんは、外にでてもいいんですか?」



 部屋からでるなと言われているのは自分だけなのだろうか。そう思ってラズワードはミオソティスに問う。たしか彼女も同じ奴隷のはずである。もしかしたら同じことを言われているのではないかと思ったのだ。



「私は特になにも言われていません」

「……そうですか」



 部屋からでるなと言われているのは自分だけらしい。余計に理由が気になってきたが、考えたところでわかりそうにもない。仕方なく、ラズワードはミオソティスが持ってきた食事に手をつけようとする。しかし、ラズワードが手に取る前に、ミオソティスがフォークをとってしまった。なんだろうと顔を上げれば、ミオソティスがフォークでサラダを突き刺し、それをラズワードの口元に持ってくる。



「あ、大丈夫ですよ。一人で食べれるので……」

「いいえ、私のお仕事です。ご主人様の手を煩わせてはいけません」

「いや……俺、主人じゃないですし」

「でも私よりは身分上でしょう? 私を使ってください。それから、私に敬語を使うのもやめてください」

「え、ええー……」



 ずい、と迫られて思わずラズワードは頷いた。そのまま押し付けられたフォークを口に含む。咀嚼している間もじっと見つめられてラズワードはいたたまれなくなって目を逸した。



「ラズワードさんは……海と……空……」

「え……?」

「海に負けないくらいの、真っ青な空。綺麗です。きっと下界のどんな闇だって……貴方の青は澱まない」

「?」



 ミオソティスの唐突な言葉にラズワードの頭の中はハテナでいっぱいになった。目の色のことを言っているのかと聞きたくもなったが、口にフォークを突っ込まれているため言葉を発せない。ラズワードが目を見張っていると、ミオソティスが身を寄せてきた。流石に驚いて身動ぎしたが、逃げようにも逃げられる体制ではなかった。



「不思議な匂いがしますね。淡い花の匂い……甘いけれど、胸が苦しくなるような……」

「……っ」



 ミオソティスが薄い水色の瞳で見上げてきた。その瞳は自分を見ているのだろうか。吸い込まれそうなその瞳に僅か恐怖を感じてラズワードは目を逸らす。



「ラズワードさん……あなたは……身を焦がすほどに愛している方がいるのですね。その方を思えば思うほどに、あなたの心は壊れていく……」

「い、いない……っ!」



 思わず叫んだラズワードの口からフォークが落ちる。カシャ、と音を立てフォークが転がっていく。



「あ……いや……俺は……俺が好きなのは、ハル様で……違う、あの人のことは……」



 チラ、と頭の中に眩い夢がよぎる。イヴにも似たようなことを言われた、心が壊れるほどに愛する人。その人のことを自分は愛していないと結論をだしているのに、そのことを言及されるとひどく動揺してしまう。違う、と頭の中で否定するほどに、ズキリと頭に痛みが走るのだ。



「……俺が好きなのはハル様だ。……あの人のことなんて、愛していない。そんな感情とは違うんだ、これは」

「……」



 ミオソティスの瞳が、細められた。彼女は感情を感じさせないほどに表情がないのに、その瞳だけが意思をもっているようにころころと色を変えているように見えた。



「……あなたの青は、綺麗なのに儚くて、強いようで脆い。そう私には見えます」



 すべてを見透かされたような恐怖にラズワードはなにも言い返せなかった。ミオソティスはそんなラズワードを気にもしない様子で落ちたフォークを拾い、言う。



「……新しいもの持ってきますね」



 そしてミオソティスはそのまま部屋を出て行ってしまった。

 残されたラズワードは、ぼんやりと、ただ夢の中、抱きしめた細い体と朝の風の匂いを思い出していた。
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