13


「ラズワード。よかった、無事に帰ってこれたな」



 ラズワードがレッドフォード邸に戻ったのは昼過ぎとなった。その時はハルはいなかったため、その隙に体にこびりついた血を落とし、服も着替えてしまった。そのためか、夜になって帰ってきたハルはラズワードに何があったのかは知らないようだ。

 いつもどおりの笑顔を向けてくるハル。ラズワードはそれをなぜか直視できなくて目をそらす。

 洗い落としたはずの肉の感触が、目の前に広がる血と肉の光景が頭から離れない。そんな血の染み付いたこの体で、ハルと同じ空間にいることに、罪悪感を覚えた。



「……ラズワード? 何かあったのか?」

「……いえ」



 ハルはそんなラズワードの様子がいつもとどこか違うことに気付き、心配そうに声をかけてくる。しかし、言ったところでどうにもなることではないと、ラズワードは口を閉ざした。言いたくない、という気持ちも強かった。


「……ハル様、お茶、いれましょうか」

「え? うーん、今はいいかな」

「……ほかにすることはあるでしょうか」

「ええと……特に、ないかな」

「……そうですか……では……今日は、このへんで……。……おやすみなさい」



 ハルの視線から逃げるようにラズワードは背を向けた。しかし一刻も早くハルの元から去ろうと歩を進めた瞬間、腕を掴まれた。驚いてラズワードが振り向くと、ハルがじっとラズワードを見つめている。



「ラズワード。ちょっと待って」

「……っ」

「おまえ、嘘ついてるだろ」

「……」



 責めているようでもない、真剣な眼差しに、ラズワードの心は揺れる。彼は本気で心配している、それはわかっているがどうしても唇は動かない。あの感触がまた鮮明に浮き上がってきそうで怖かったのだ。



「……すみません……でも……言えない、です」

「……」

「……離して、いただけませんか……。一人にしてください」



 ラズワードは俯く。血の臭いは体に染み付いていないだろうか。気付かれないだろうか。あれがイヴによってやられたものだなんて関係ない。あの魔術を使えたのは、元々それを昔自分が使っていたからなのだ。グラエムを殺したのは、紛れもなく自分。触れないで欲しい。ハルには、そんな友人を殺した卑しい自分に触れないで欲しかった。

 しかし、自分の立場を考えるとハルの手を振り払うことができない。ただラズワードは、黙り込むことしかできなかった。



「……ラズワード……言いたくないならいいよ。これ以上は聞かない」

「……」

「……だから、今夜は俺と一緒にいて」

「……え」



 ハルの言葉に、ラズワードは顔を上げる。



「おまえ……今、只事じゃない様子だからさ……一人にはできないよ」

「……大丈夫、ですから……」

「大丈夫じゃないだろ。こういう気が滅入っているときに一人でいると余計に苦しいぞ」



 強く腕をひかれ、抱き寄せられた。腕の中に閉じ込められ、ラズワードは否応なしに彼の厚い胸板に顔を埋めることになる。



「ハル様……離してください……」

「離さない」

「俺に……触れないで……」

「断る」



 ハルの微かな匂いが、こびりついた血の臭いを紛らわしていくようだった。彼の内から感じる温もりが、焼き付いた血の記憶を溶かしていくようだった。

 いけない。こんな暖かいひだまりに、自分はいるべきではない。そう思ってハルを突き飛ばそうと思っても、体が動かない。抱きしめられたその優しさに、ずっと包まれていたいと思う自分の弱さがそうしてしまった。



「……ハル様……っ」



 つ、と涙が頬を伝う。腕を彼の背にまわす。

 しゃくりをあげながら、声を上げながら。ラズワードはみっともなく、泣き続けた。
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