12

 いよいよ、レグルスがはじまる。一般の観客の席に戻って舞台を見つめていたラズワードは、落ち着かない様子だった。ラズワードの周囲には、レッドフォード家の者たちが揃っている。ハルの勇姿をみようと、皆楽しみにしているようだ。



「ラズワードさん……大丈夫ですか?」



 ラズワードの隣に座っているのは、ミオソティスだ。普段、こうした催しに奴隷であるミオソティスがくるということはないのだが、荷物持ちとして一緒に来ていたらしい。そわそわとするラズワードを心配そうに見つめている。



「大丈夫……ハル様が勝つって信じているから」

「……そうですね。私も、今日、悪いことは起こらない気がします」

「……そうなのか?」

「今日も……夢に、金の龍がでてきました。でも、なんだかその龍は、嬉しそうだった」

「へえ……」



 金の龍といえばレヴィの扇に描いてあったものだ……なんて思って、ラズワードは苦笑いする。映像としてみているミオソティスには良い夢だったかもしれないが、金の龍をレヴィに重ねてみてしまっているラズワードとしては、嫌な予感にしか思えない。



「あ……始まりますよ!」



 ミオソティスが声をあげる。同時に、他の観客たちも湧いた。司会者が登壇してきたのだ。

 司会者は天界の有名人。彼が姿を表すと、皆歓声をあげだす。彼は挨拶を簡単にして、レグルスの開催を告げた。

 そして、歓声はさらに賑やかになる。舞台の真ん中にやってきたのは――レグルスの主役、ハルとレヴィだ。注目を浴びることに慣れていないため居心地悪そうにしているハルと、威風堂々としているレヴィ。司会者はまずハルにマイクを向けて、「勝利したら欲しいものはあるか」という質問をする。そうすれば、ハルは困ったような表情をしながら言う。



「……えっと、欲しいものは……まだ決めていないです。でも、奪われるわけにもいかないので……負けません」

「ハルらしいっちゃあハルらしいな……」



 それを聞いていたレッドフォードの者達は苦笑いだ。元々温厚な性格のハルは、こういう場には向いていない。血の気が多い者が選手となることの多いレグルスでは少し異質の存在だ。どこか遠慮がちなハルの宣言に、ハルを知る者は彼らしいと笑う。しかし、観客の盛り上がりは一層増してゆく。津波のような歓声にハルは辟易とした様子でいた。

 次に司会者はレヴィにマイクを向けた。同じ質問をしてみれば、レヴィは司会者からマイクを奪い取って、自信満々、言う。



「勝つのは俺、レッドフォードから奪いたいのは――ある、人間だ」

「……!」



 レヴィの発言に、ハルは目を見開く。やはり――レヴィの狙いはラズワード。固まるハルに、レヴィはにやにやと笑いながらにじり寄った。そして、周りには聞こえないような声でハルに言う。



「もっとやる気だせよレッドフォード……念願の、俺とおまえの決闘だ」

「念願……?」

「俺はここでおまえらから何もかもを奪い返す。俺はなあ、レッドフォードが憎くてたまらない。おまえらが負けて失うのは、なにも俺が景品として欲しがったものだけじゃない。俺におまえが負ければ……レッドフォードの家紋には傷がつくだろうなあ」

「……なんなんだ、おまえは」

「本気で殺り合おうって言ってんだよ。……おまえが負ければ、おまえの大切な従者はおまえをどう思うかな。俺に鞍替えするかも」

「……そんなこと、ありえない」

「ありえない? はは……敗者は何もかもを奪われる。あいつ……ラズワードも、……そうだ、おまえが負けたら、俺があいつを抱いてやろう」

「……ッ」



 二人の会話は、誰にも聞こえなかった。しかし、それを見ていたラズワードは、ぎょっと顔を引き攣らせる。ハルの表情が変わった。怒りに満ちた、初めてみる顔だ。



「……ラズを、なんだって……?」



 ハルはレヴィからマイクを奪い取った。じろ、とレヴィを睨みつけると、こう宣言する。



「……気が変わりました。欲しいもの……俺が勝ったら欲しいのは……こいつの、首です」

「……は、ハル様」



 わっ、と会場が一気に湧いた。今まで低姿勢だったハルの攻撃的な発言に、皆興奮したらしい。動揺するラズワードとは裏腹に、皆楽しそうに騒ぎ立てた。



『それでは――試合を始めましょう!』



 マイクをとった司会者がそう言うと、ハルとレヴィが位置につく。それぞれの武器を、構えた。ハルはスピア、――そしてレヴィの武器は剣のようだ。



「ら、ラズワードさん……!」

「ん?」

「あれは……本当に、殺し合いをするのですか……?」



 試合の始まりが近づいて、ミオソティスが不安げにラズワードに尋ねる。あまり血をみるのが好きではないのだろう。



「いや、本当の殺し合いなんてしない」



 ミオソティスを安心させるように、ラズワードはぽんぽんと彼女の頭を撫でる。

 実際のところ、レグルスは殺し合いではない。選手は左胸に、薔薇の造花をつける。先にすべての花弁を散らせたほうが敗者となる。花弁を散らせるまでにはいくら相手を攻撃をしても良いが、祭りの場で残虐な行為をはたらくことはよしとされていないため、標的はほぼ薔薇に絞って攻撃することとなる。心臓に近い位置にある薔薇を、いかに相手を傷つけないで散らすか――それが、ハンターとしての腕のみせどころだ。



『では、このフーターの鳴き声と共に、試合を開始します!』



 司会者が、鳥の魔物を傍らにおく。ラズワードが以前ハルの従者になる権利を賭けた戦いをしたときにも使われた、大きな声をだすことのできる鳥だ。ハルとレヴィは、先手をとるために――フーターに全神経を集中させる。



「……」



 フーターが羽ばたく――そして、鳴いた。



「――ッ」



 先に攻撃を仕掛けたのは、ハルだ。一気に火炎をレヴィに向かって放つ。

 レヴィについて――わかっているのは、戦術に長けているということと、魔力量は多くないということ。ハルは今までレグルスに参加してきたハンターたちに比べると、圧倒的に魔力量が多い。レヴィが今まで魔力量の差を繊密な戦術によって埋めてきたとしても、ここまで魔力量の差が開けば力押しで勝てる可能性もある。そもそも魔力が切れてしまえばいくら戦術に長けていようと勝利は不可能。そのため、まずは魔力量を生かしてひたすら遠方から攻撃をしかけ、レヴィの魔力を削る……というのが、ハルの作戦だ。



「う……」



 しかし、レヴィは一切顔色を変えない。

 ハルの放った火炎は、レヴィを避けるようにして方向が変わってしまう。それをみたハルは苦虫を噛み潰したような顔をした。……予想していなかったわけではない。今、レヴィがやったのは自分の周囲に風を発生させてハルの炎の向きを変えてしまうというもの。少量の魔力の消費でできるものだ。

 レヴィは風の天使、そしてハルは火の天使。火と風では、火が不利――



「……くそ、」



 作戦は変更。スピアに魔力を込めて、直接叩き込む。ハルは接近戦に持ち込むべく、駆け出す。

 あまり、接近戦はやりたくないと思ってた。現役でハンターをやっているレヴィの方が、接近戦は圧倒的に得意だからだ。加えて武器の違い。スピアは剣よりもリーチはあるが、一定以上の距離を詰められてしまうと攻撃できない。スピードは恐らくレヴィの方が上で、すぐに距離を詰められてしまう可能性も高い。



「う、」



 やはり、早い。接近戦に持ち込み、ハルはスピアを突き出したが、あっさりとそれはガードされる。刃に灯した炎もレヴィの剣から放たれる風のせいでレヴィには届かない。そして、その風はレヴィが剣を振るう瞬間に流れを変え、攻撃のスピードを早めている。

 とにかく、距離を詰められるわけにはいかない。スピアを突き出せる距離を保たなければいけない。レヴィが近付いてくることのないように、ハルは魔力量の多さを活かして、大量の炎を放つ。

 劣勢か優勢か――どちらかと言えば、劣勢。風と火の相性の悪さが痛い。体力もレヴィの方が多いため、接近戦は非常に分が悪い。

 しかし、全く勝機がないわけではない。

 剣術の上は、ラズワードのほうが上だからだ。訓練のときに相手をしてくれたラズワードのほうが、強い。



「……」

「ラズワードさん、どうかしましたか、難しい顔をして」

「いや……」



 二人の戦いをみていたラズワードは、顔をしかめる。妙だと思ったのだ。思っていたよりも……レヴィが強くないと感じた。

 レグルスに出るための条件は、全ハンターの中でトップ2の成績を収めること。レヴィはレグルスで何度も勝利を収めている。いくらハルがハンターのなかでも強い方であったとしても……正直、ラズワードはレヴィがもっと余裕を持って戦うと思っていた。今の状態はほぼ互角だ。風と火の相性に大きく救われているだけで、レヴィ自体の戦闘力が大したことのないようにみえる。



「……なにか、まだ手を隠している?」



 よくみてみれば、どこか剣の使い方がぎこちない。今までハンターのナンバーワンに君臨していたにしては……



「金の龍……」

「え?」



 ふと、ミオソティスが何かを呟く。不思議に思ってラズワードが彼女を見やれば、彼女はじっとレヴィを見つめていた。



「今、頭の中に金の龍が……」

「金の、龍……」



 ラズワードのなかで、パズルのピースが合わさるような感覚がはじけた。

 レヴィの屋敷へ行った、あの夜。ラズワードのあげた声で飛び起きたレヴィが、咄嗟に掴んでラズワードの首に突き付けてきたもの。金の龍の装飾の、重みのある扇・風姫。あのような扱いをするということは、風姫は普段武器として使っている、ということではないのか。つまり……レヴィの本来の武器は剣ではなく、風姫――



「……くっ、」



 大量の火炎をまききれなかったレヴィが視界をとられ、その隙をハルにつかれる。足を攻撃され倒れこんだレヴィに、ハルはスピアを大きく振りかぶった。

 接近戦でもラズワードの訓練のおかげでなんとかおせそうだ。ラズワードの剣の速さと重さに慣れた自分には、レヴィの剣術は脅威ではない。

――勝てる。

 炎の宿ったスピアは、レヴィの胸元の薔薇へ――


「あ――!」



 会場が一気に沸いた。地鳴りがなるほどの、歓声の渦。

 薔薇の花弁が舞う。勝者の決定だ。

 薔薇の花弁を散らしたのは――

 ハル。

 勝者は、レヴィだった。



「……ッ、」



 会場を呑む歓声のなか――ハルは固まっていた。何が起こったのか、わからなかった。レヴィはよいしょ、と立ち上がり静かに笑う。



「勝つ瞬間っていうのは……一瞬、油断するもんだから、隙ができちまう」



 ハルの攻撃は、あと少しでレヴィの薔薇に届くところだった。しかし、レヴィの攻撃の方が先に届いていたのだ。ハルはいつの間にやらレヴィの手にある、扇に目をやる。



「俺の本当の武器は、こっち。鉄扇・風姫。風魔術と最高に相性のいい、魔力投影率100%のプロフェットだ」

「……100%」

「ちなみに最初に使っていた剣の投影率は50%ね。だから風姫の方で放った俺の魔術は威力もスピードも二倍以上。もっとも、こっちで始めから戦ったところでおまえの魔術には元々の魔力量が違うからかなわない。でも……おまえが勝ちを確信した瞬間、そこなら……すげえ隙が出来ていたからな、防御もできないおまえの心臓にむかって、」



 バーン、とレヴィは風姫を銃にみたてて振るう。ハルは何も言うことができずに、ただ呆然としていた。負けたことが悔しいのではない、負けた先にある絶望が――



『勝者は、レヴィ様! ――おめでとうございます! ではレヴィ様、欲しいものを!』

「おっけー」



 駆け寄ってきた司会者に返事をすると、レヴィはハルを横切って歩き出した。ハルは慌てて視線でレヴィを追う。レヴィは観客席に向かって歩いていた。その方向は、間違いなくレッドフォードの者たちがいるところ。



「……っ、」



 レヴィは迷いなく歩いて――ラズワードの前まで来た。ラズワードは全身の血が引いていくような絶望に苛まれる。このレグルスで求められたものは、どんなものでも絶対に差し出さなければいけない。レヴィは過去に、マクファーレンの当主になる権利というとんでもないものまで奪っている。従者、なんて言われても断ることは不可能。

 顔を青ざめさせるラズワード、そして、レヴィの後ろから駆けてくるハル。



「ま、待ってくれ……ラズだけは……!」



 レヴィにハルの声は聞こえていないようだ。にっこりと笑って、言う。



「俺がレッドフォードから奪うのは、こいつで」

「え……?」



 ラズワードはぽかんと口を開ける。そして、レヴィの指す先にゆっくりと視線を動かす。
 


「え、……間違いじゃないですか?」

「いや、おまえだよ、ミオソティス」



――レヴィが指したのは、ラズワードの隣に座っていた、ミオソティスだった。誰もが予想していなかったことで、その場にいる者は固まってしまう。



「え……な、なんで……っていうのも変、ですけど」

「ミオソティス、俺の幼馴染なんだよ」

「……え、ええ!?」



 ラズワードが驚いている隣で、ミオソティスは呆然としていた。当然だが、まさか自分が指名されるとは思っていなかったのだ。そして幼馴染と言われても、ミオソティスにはその記憶がない。



「物心ついたころに、神族に施設に連れていかれちまった。どこに売られたのかと思ったら……おまえら、レッドフォードが買っていたんだ」



 レヴィがミオソティスの手をとった。びくりとミオソティスは震える。そのまま引き寄せられて、ミオソティスは立ち上がりふらりとレヴィのもとに倒れこんだ。



「み、ミオソティス…」

「金の龍……」

「え、」



 ラズワードが呼びかけると、ミオソティスがぼそりと呟く。最近になってずっと彼女が言っていた言葉。



「金の龍?」



 レヴィは心当たりがあるという風に、おうむ返し。風姫を取り出すと、絵が見えるように開いてミオソティスに見せてやる。



「これのことか?」

「あ……これ、この龍……」

「この扇の絵付けしたの、おまえだからな」

「私……?」



 ミオソティスはレヴィの風姫をまじまじと見つめている。どこかその目はきらきらと輝いているようにも見えた。それをみて、ラズワードは前にミオソティスが言っていたことを思い出す。「色が好き」なのだと、その言葉を。風姫の龍を描いたのは染師だ、とレヴィが言っていたということは――ミオソティスは、奴隷として施設にいく前は染師だったということだ。

 ああ、なるほど。色が好き、というのはそういうことか。ラズワードは勝手に納得してしまう。



「……レヴィ様」

「あ?」



 ミオソティスを連れて行こうとするレヴィを、ラズワードは呼び止めた。返さねえぞ、そんな風に睨まれて思わずラズワードは足がすくんでしまう。



「……貴方が、神族を憎んでいるのは……もしかして、ミオソティスを奪ったから……」

「そうだけど」

「あの、神族たちに……一人の女性を奪われただけで、それだけの理由で立ち向かうつもりですか」

「――そのために強くなった」



 レヴィはレッドフォード家の者たちを一瞥すると、再び歩き出した。レッドフォード家を憎んでいたのも、ミオソティスを所有し、奴隷として扱っていたから。今のレヴィの言葉で、ラズワードはそれを感じ取ってしまう。



「なあ、レッドフォード」

「……、」



 すれ違いざま、呆然と立ちすくむハルに、レヴィは問う。



「おまえ、もしかして、ラズワードを奪われるって勘違いしていた?」

「……う」

「……ラズワードは、たしかにすっごい欲しいんだよね。戦力として。神族を討つ気持ちも持っているし。……まあ、それは置いておいて、なんでそんなにラズワードを奪われることを拒んだわけ?」

「は?」

「……あいつ、水の天使だろ。奴隷だったはずだ。それを、従者として側において……そしてあんなに執着して。なんで?」

「……なんでって……愛しているからだけど」

「……愛?」



 レヴィがすっと目を細めた。そして物珍しそうにハルを見つめる。



「……へえ、らしくねえな」

「は?」

「レッドフォード家の人間のくせに、あんまり水の天使とか、そういうことに興味ないんだねえ、へえ……」



 レヴィの言いたいことがわからず、ハルが顔をしかめていると、レヴィはにっと笑った。そして、ぽん、と肩に手を乗せる。



「……俺と一緒に神族とやりあう気はない?」

「――ッ」

「考えとけよ、ハル。おまえのこと嫌いじゃねえよ」



 誰にも聞こえない声での、二人のやりとりが終わったところで、レグルスは終わりを迎えた。盛大な拍手が巻き起こり、会場は歓声に包まれる。

 ハルは、頭が真っ白になっていた。元々勝ち負け自体には興味もないうえ、プライドもないため負けたことを悔しいとはあまり思っていない。ラズワードを奪われることもなかった。最後にレヴィに言われたことだけが――ずっと、頭のなかに響いていた。
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