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「おはようございます」



 今日は久々の休暇だった。ラズワードは結局正午近くまでだらだらとベッドの上で過ごしていた。ハルはもっと早くに仕事にでてしまったのだが、なんとなく体も怠く、治癒魔術を使うのも面倒だったため、ラズワードがハルの部屋を出たのはすっかり日が登った時間となってしまった。

 扉を開けると、ちょうどミオソティスが通りかかったところだった。大きな洗濯物のかごをもって、よたよたと歩いている。



「ラズワードさん。今日からまたこうして会えるの、嬉しいです」

「うん、俺も嬉しいよ」



 ミオソティスはにっこりと笑ってラズワードのもとに寄ってくる。その覚束無い足元がラズワードは気になって、ミオソティスからかごを取り上げた。



「どこまで運ぶんだ?」

「あ、外まで……でも、大丈夫です。ラズワードさんにこんなことさせるわけにはいきません」

「いや、いいよ。俺、今日は休みだから」

「……ありがとうございます」



 申し訳なさそうに、ミオソティスは俯いた。そして歩き出したラズワードの隣にちょこんと着いて歩く。



「ミオソティスってさ」

「はい」

「昔はどこに住んでいたの」



 外までは少し距離がある。無言で二人で歩いているのもなんだかな、と思って適当な話題をラズワードが振ってみれば、ミオソティスは少し困ったような顔をした。



「……わかりません」

「……あ、そうか」




 きていてから、しまったと思った。ミオソティスは奴隷だ。施設によってきつい調教をうけている。昔を思い出さすようなことは聞くべきではないと気づいてしまう。

 しかし、ミオソティスの返答は意外なものであった。



「覚えていないんです」



 どこか遠くを見つめ、ミオソティスは言う。ラズワードは思わず立ち止まって、ミオソティスの顔を伺い見てしまう。そうすればミオソティスもラズワードの真似をするように、ぴたりと動きを止めてラズワードを見つめ返した。



「……ラズワードさんは、覚えているんですか?」

「え?」

「私と同じで、施設にいたんでしょう? 完成品はほとんどがそうでしたよ。調教のショックで記憶が飛ぶんです」

「……、」



 ミオソティスの言葉に、ラズワードはなにも返すことができなかった。あの頃のことを思い出す。ラズワードは最奥の牢にいれられていたが、戦闘訓練のために地上に出る際には、他の牢を横切ってそのための部屋まで向かわなければいけなかった。その時に、牢の中の調教の様子が見えることも多々あった。……酷いものであった。ラズワードは、ノワールの監視がついていたために度のすぎた調教というものはほとんどなかったのだが、他の牢はそうではなかった。とても直視できるものではなく、見るたびにラズワードは身の毛のよだつような思いをしてきたのだった。

 ミオソティスのされた調教は、それと同じものだ。そう思った瞬間、ラズワードはミオソティスをどんな風に見ればいいのかわからなくなってしまう。かける言葉も浮かんでこなくて、ただ、黙っていることしかできなかった。



「……私の、心だけが頼りなんです」

「え?」



 からん、と草履を鳴らしミオソティスが一歩、前に出る。気づけばもう、外に出る扉の前にきていた。ミオソティスが扉を開け放てば、わっと真っ青な空が広がる。



「私は記憶をなくしました。でも、私自身を失ったわけではありません。私は綺麗な色をみると、心が踊ります。貴方の瞳に、惹かれています。……きっと、以前の私もそうだった。この、美しいものが好きという心は、私がずっと持っていたものです」

「――……」

「青い空が好きです。抜けるようなその色に手を伸ばしたくなります。淡い花の色が好きです。まるで花達が笑っているみたい。……透き通った風が好きです。金の龍の歌声が聞こえる」



 ふっと風がふく。ミオソティスの髪を靡かせて、さらさらと歌っている。振り向いた彼女は、笑っていた。しかし、ラズワードは笑顔をかえすことができなかった。ただただ、彼女に見とれていた。



「ラズワードさん。いきましょう」



 鈴の鳴るような声で、ミオソティスが呼ぶ。ラズワードは目が覚めたような感覚を覚えた。深い群青の着物を揺らし、ミオソティスがまた、歩き出す。それに着いてゆけば、風が耳元で唄を囁く。それは錯覚だろうか。ミオソティスのそばにいると、周りを彩るすべての色に命の息吹を感じる。



「……綺麗だな」

「? なにがですか?」



 いいや、錯覚ではないだろう。この目で見るものは、体で感じるものは、全て現実のものなのだ。ラズワードは空を見上げた。雲一つない空が、心を刺す。



「……この世界の、なにもかも」
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