「……人がいませんね」
「うーん、まあ私事の決闘だからね、非公開でいこうかと。本当に俺たちが立ち会って、それから護衛が少しいるくらい」
「……なるほど。たしかにそのほうがいいと思います。俺もあんまり人に見られるの好きじゃないし」
「えー? 俺はラズワードのこといっぱい人に見て欲しいなあ。こんな可愛い……じゃない、強いラズワードが俺のものってすごく自慢したいし」
「……なんかこの場に相応しくない言葉がちらっと聞こえましたけど」
レッドフォードの敷地内にある広場が今回の決闘の場所となっていた。特別な用意をするというわけでもないため準備というものはすぐに終わり、あとはレイヴァースが来るまで待っているだけ、といった状況であった。レッドフォード家の面々とその従者は端のほうに設置した椅子に座っており、ハルだけがラズワードのもとへいって話し込んでいる。残されたマリーとエセルバートは相変わらず仲が悪く、二人は口をきこうとしない。
「……ねえねえフレッドさん」
マリーはエセルバートの従者であるフレッドを呼び寄せる。老紳士といった風の彼は、のんびりとマリーの呼びかけに反応すると、マリーのもとへやってきた。
「あのラズワードさん?っていうドレイ? 大丈夫なの? レイヴァースは相当の手練だったと思うけど……お兄様の恋人なんでしょう? 死なれでもすればお兄様が悲しむわ」
「死ぬことはないでしょう……私たちがいる前でそんな野蛮なことにはならないと思います。それから彼は、ハル様のハンター業の代理をするくらいですからそれなりに力はあると思いますよ。ハル様も前まではハンターのトップを担っていましたからねぇ……」
「……そもそも、どうしてお兄様ってハンターのお仕事できなくなったの?」
「たしか最近施設から脱走したイヴという悪魔についての調査で忙しいとか……」
「ふぅん」
フレッドと話しながら、マリーはのんびりとラズワードを遠巻きに見つめる。ハルと並ぶと華奢に感じるが男性らしいラインの体と、凛とした佇まい。容姿はパーフェクト。でも……
「男なんだもん。強くなくちゃ……体も、心も。そう思いません?」
「心……ですか?」
「そう……自分の信念を貫く強さ。あの人にはそれがあるのかしら。ドレイなんて身分に甘んじているんだから怪しいところね」
はあ、とマリーはため息をつく。あの特定の恋人をつくったことのない兄が好きな人がいるなんていうからびっくりしたものの、その肝心の相手が気に食わない。まあこの決闘でどれほどの強さなのか、みせてもらおうじゃないか。そんなことを考えながらマリーは今ここにいた。
「あ……あれは」
しばらく待っていると、馬の蹄の音が聞こえてきた。正門が開き、そこから馬車が入ってくる。
「……レイヴァース家の馬車だ」
「……?」
ハルの横で、ラズワードは僅かに眉をひそめた。あたりを見渡す。誰も、特別な反応は示していない。
「……ハル様、なにか……変じゃないですか?」
「え? 何が……?」
「いや……なんとなく」
馬車がとまり、男が降りてくる。まずは従者と思われる中年の男。そして彼に手を引かれるように、ウィルフレッドが降りてきた。
「……」
ウィルフレッドの顔をみて、ラズワードは一歩身を引く。おかしい。どこかおかしい。ウィルフレッドは俯き、体を僅かに震わせ、目元に深い隈をつくり、あまりにも前回見た時とは風貌が変わっていたのだ。従者は何食わぬ顔でラズワードのもとへ近づいてくるウィルフレッドの後ろについてくる。違和感しか覚えないその光景に、ラズワードは静かに腰の剣の柄に手を添えた。
ウィルフレッドはラズワードに一瞥をくれると、ハルに形式張った挨拶を始める。ハルはそれに応えつつ、ちらちらとラズワードの様子を伺い見ていた。じっと自分を見つめるラズワードの視線に気付いてか、ウィルフレッドはラズワードに声をかける。
「……よお。久しぶりラズワード。恥をかく準備はしていたか?」
「……そちらも随分と手の込んだ準備をしたようで」
「……何を言ってるのかわからねぇな。まあいい。その余裕ヅラぶち壊してやるよ」
ウィルフレッドはハルに恭しく頭をさげると、背を向ける。妙に険しい表情をしているラズワードのことを不思議に思いながらも、ハルはマリーたちのもとへ戻っていった。
全員が落ち着いた頃、エセルバートが立ち上がる。
「ああ……、それでは早速始めさせてもらおう。勝者には私たちレッドフォード家の護衛の権限を。敗北の条件は戦意喪失とする」
「……!」
予想以上にシビアな決闘で、ラズワードはほんの少しだけ驚いた。戦意喪失、が敗北の条件なら下手したら死亡だってありえるじゃないか、と。ウィルフレッドは見てのとおり、そしてもちろん自分自身も負けず嫌いだ。敗北を認めるなんてありえるだろうか。あまりハルの前で残虐な行為をしたくないと考えているラズワードとしては悩みものであった。まあ、真にどちらが強いかをはっきりさせるにはこれが一番良いのだろうが。
「決闘開始の合図は、フーターの鳴き声によるものとする。両者、位置につけ」
エセルバートの腕には、一羽の鳥がとまっていた。フーターと呼ばれる大きな声で鳴く鳥だ。こうした決闘の合図や、警報なんかにもつかわれている。
ラズワードとウィルフレッドは、お互いに距離をとり向かい合う。剣の柄に手を添えて、いつでも抜けるように耳に意識を集中させる。息を荒げながらラズワードを睨みつけるウィルフレッド、全身の力を抜いて静かに目を閉じているラズワード。お互いの構えは全く違うが、その場の緊張感は凄まじいものであった。ハルとマリーも、息を飲んで二人を見つめている。
フーターが羽ばたく。そして、鳴いた。
「――ッ!」
先に剣を抜いたのはラズワードだった。目にも止まらぬ速さで鞘から刀身を抜き、それと同時に魔術を展開させる。氷の柱が地面を走り、ウィルフレッドにぶつかっていく。
「えっ、何あの魔術……! 見たことない」
「あれも水魔術なんだってさ」
「……へえー」
人の数倍もあるような巨大な氷。ここでもう勝負は決まってしまったのではないかと皆思っていた。しかしラズワードはじっと先を見つめ続ける。体の力を抜きつつ、その神経は絶やさない。ウィルフレッドに今日会ったときからの違和感を、どうしても拭えなかったのだ。
「……っ!?」
突然、氷が一気に割れる。そして、その割れ目からウィルフレッドが勢いよく向かってきた。魔力の種類はおそらく風。風魔術を使った高速移動だろう。
ラズワードは咄嗟に剣を持ち上げ、防御の姿勢をとった。思い切り斬りかかってきたウィルフレッドの一撃を、なんとか受け止める。
「……うっ」
強烈な痺れが腕にはしった。剣に一気に魔力を流し込んでなんとかウィルフレッドを弾き飛ばすも、受け止めた時のダメージは酷いものだった。腕は痺れるどころか痛み出す。骨にひびが入った、それを確信したラズワードは即座に回復を行うも、頭をよぎる違和感をぬぐうことができない。
(前に合ったときとは明らかに違う……? それに、あいつの中になにか変なモノがいる……)
ウィルフレッドと距離をとり、腕の治癒をしながらラズワードは以前とはあまりにも違うウィルフレッドを睨みつける。前は一度刃を合わせただけで勝負が付いたというのに、ほんの数日でここまで筋力をあげることなどできるだろうか。それに彼から感じる空気もどこか変わっている。
「おいおいおまえそんなに弱かったっけか!? そんなんじゃレッドフォード家の護衛なんて務まらねぇんじゃないの?」
「……」
ウィルフレッドが剣を振るう。そうすれば刃からかまいたちが発生してラズワードに向かってきた。とりあえずもう一度防御をしようと剣を構え、ラズワードはそれを受け止める。
「――えっ」
どうにかそれを受け止めることはできた。しかし、予想をはるかに超えて重いその斬撃にラズワードはうろたえた。いくら魔力のこもったものであろうと、所詮はかまいたち。質量を持たないはずの風の刃は、信じられないほどの重さをもってラズワードの剣にぶつかってきたのだった。
なぜ、そうラズワードが思ったとき。あるものが目に入る。宙を舞うきらきらとしたもの。
「……氷の粒……?」
そう、今のかまいたちには氷の粒子が含まれていたのだ。だから、質量をもったように重みがあった。ラズワードはそれに対してはすぐに納得したものの、ある一つの疑惑が頭に浮かぶ。
――天使がなぜ、風と水の二つの魔力を持っているのか。
通常、天使と悪魔はその体内には一つの種類の魔力しか宿すことはない。ラズワードならば水の魔力だけ、ハルならば炎の魔力だけというように(神族の場合は特別で、その魔力には属性というものが存在しないため、どんな種類の魔術でも使うことができる)。そのため、今のウィルフレッドのような氷と風の融合魔術を使うことなどありえないのだ。
それをもし可能とするならば、例えば水の魔力を持つものから魔力をもらうか、それとも水の魔力をもつ魔物を体内に宿すか。――いや、おそらく。ウィルフレッドは何者かに魔物を身体に植えつけられた。
「……ウィルフレッド」
「ああ?」
「……答えろ。誰にそれを仕込まれた?」
「……!?」
なぜか。もし自分の意思でいずれかの方法を取るならば、わざわざ扱いの難しい水の魔力など選ばないと、ラズワードはそう考えたのだ。もっと扱いやすく、さらにウィルフレッド自身の魔力、風の魔力と相性のいい炎の魔力あたりが適当なはず。それなのに、ウィルフレッドはわざわざ自らの意思で水の魔力を選択したとでもいうのだろうか。
そして、以前とは様変わりしたウィルフレッドと容貌、そして異常に上がった筋力と魔力。ウィルフレッドが制御できるレベルを超えた魔獣を身体に宿していると考えるのが、一番自然だったのだ。
「……なに言ってんだかわかんねーな。自分の負けの言い訳かぁ?」
「……あんまり強すぎる魔獣を無理やり身体に押し込めてると、そのうちその身体壊れるぞ」
「……え」
「レベル5あたりの魔獣と契約でもしてるんだろ。それはおまえのもともと持っている魔力量をはるかに超えた魔力をもっている。その契約している魔獣に魔力を侵食されて、自分以外の魔力という異物に耐えられなくなった肉体は壊れるって言ってるんだ」
ラズワードの話を聞いたウィルフレッドは、顔をさっと青ざめさせた。当たりか、ラズワードはそう思ったが卑怯な手段を使って決闘に挑んだウィルフレッドを咎めるよりも先に聞き出さなければいけないことがある。
「誰だ。誰がおまえを魔獣と契約させた」
「……あ、ま、まてよ……アイツそんなこと言ってなかったぞ……なんだ、俺死ぬのかよ……アイツはこうすればおまえに勝てるって……強くなれるって……そういっていただけで……」
「……おまえとそいつの関係は?」
ちゃんと質問に答えろ、と言いたいところであったが、ラズワードはそれをグッとこらえて質問を変える。気が動転しているだけだ、変に強く迫ったりしたら余計にまともな返答ができなくなってしまう。
「……し、知らねぇ……突然現れたんだ、お前を殺すための手伝いをしてやろうって……なんなんだよ、おまえこそアイツとどんな関係なんだよ……なんでお前はナイトメアなんて奴に狙われている!」
「――ナイトメア……!?」
ウィルフレッドの口からでた名前に、ラズワードは目を見開いた。そして同時に二人を見守っていたハルも反応する。
「ラズワード……イヴを知っているのか……!?」
「え、お兄様? イヴって……ああ、そうか、イヴって悪魔はナイトメアって呼ばれているんでしたっけ」
「そうだ……あの悪魔は危険すぎる。あのルージュの手から逃れて施設を脱走したっていうんだ……なんでそんな危ない奴とラズワードが知り合って……」
「……お兄様そんなに危ない悪魔の調査をしているの?」
「……まあ……レッドフォードと神族の親交は深いからさ。神族の失態をカバーするのも俺たちの役目ってところなのかな。ノワールの奴が動かないのは不思議だけど……」
「ああ、ノワール様……素敵な方だったわ。でも彼、自由には動けないでしょう? トップに動くなって言われたらノワール様はそれに従うしかない」
「……トップって……ノワールとルージュがトップじゃなかったか? あの施設」
「そっか。あんまり知られていないんですよね。施設のトップはその二人じゃありませんよ。影で二人を操っているのは管理者って呼ばれている、ノワール様の父上です」
「はぁ……!?」
妹がなぜそんなに入り組んだ情報を知っているのかと気になって、そして初耳であるそれに興味を惹かれたが、そんな話をしている場合じゃないとハルは我に返る。イヴとラズワードが関わりをもっている。そして、イヴについて詳しい情報を得るチャンスがすぐそこにある。ハルはラズワードとウィルフレッドの会話に耳をすませた。
「な、なあ……契約の解除の方法知らねぇか……? 俺、死にたくねぇ……!」
「契約の解除……? なんとなくやり方を聞いたことはあるけど……やったことないからできるかわからない」
「いいから、お願いします、助けてくれ……!」
「……、」
自分の命の危機に取り乱すウィルフレッドを、ラズワードはとりあえずなだめる。態度をガラリと変えたことについては、まあ仕方ないだろうと納得して、ラズワードは魔獣との契約の解除の方法について思案に耽る。
――全ての魔術には魔術式が存在し、そしてそれを打ち消す逆魔術式が存在する。
ノワールの言葉を思い出す。施設の中、戦闘訓練が落ち着いて机上での魔術の学習に入った頃に教えられたものだった。
『逆魔術式、は打ち消したい魔術と逆の性質をもつ魔術のこと。ラズワード、この図をしっかり覚えてね。向かい合っている魔力は互いに打ち消し合うことのできる、逆の性質をもっているんだ。『火と水』『風と土』この組み合わせを絶対に忘れないこと』
『じゃあ俺は……火の魔術なら打ち消せるんですか?』
『そう。ちゃんと相手の使った魔術式を把握さえすればね。でもそのためには火の魔術についても完璧に覚えなくちゃいけない。ラズワードには時間がないからそこまでは俺、教えられないな。ごめんね』
『いえ……あ、これがもしかして神族だけが使えるっていう「相殺魔術」ですか? 俺が貴方たちに捕まる時……奴隷商の人、俺が撃った攻撃の威力を半減させていましたよね』
『そう、よく覚えているね。それが相殺魔術。そのときはラズワードの魔術の威力の方が上だったから完全に打ち消すことができなかったんだ。完全に打ち消したいなら同じ強さの魔力を必要とする、これも覚えておくこと』
『……なんで神族だけが使えるって言われてるんですか? 俺にも使えるんでしょう?』
『それは単純に……ラズワードは火の魔術しか打ち消せない。でも俺たちは天使や悪魔と違って持っている魔力は無属性だから、どんな魔術でも打ち消すことができるんだよ。そういうことじゃないかな』
イヴの魔力は水の魔力。もしも本当にイヴがウィルフレッドに契約をさせたのなら、ラズワードには相殺することはできない。しかし、幸運にも契約魔術というのは誰が使っても無属性となるらしい。つまり、ラズワードにも相殺は可能なのだ。
ウィルフレッド体内にある魔術式の解析を試みようとラズワードはウィルフレッドの腕に触れる。実際には触れずとも解析は可能らしいのだが、触れたほうがやりやすいとノワールが言っていたためラズワードはそれにしたがった。
触れた腕は不自然なほどにビクビクと脈打っており、今にも暴れ出しそうであった。息をのみながら自分の腕に触れるラズワードの手を見つめるウィルフレッドの顔は脂汗がびっしりと浮かんでいた。
「……?」
「おい……大丈夫そうなのか、解除できるか?」
「……これ……ただの契約魔術じゃない……?」
魔術式をある程度解析したところで、ラズワードは違和感を覚えた。知っている契約魔術と違う。魔術式はある程度使う人の魔術の解釈によって変わってくるというのを考慮したとしても、だ。
知識が足りなすぎる……? たしかに契約魔術については水の魔術と比べてそれほど教えてもらっていない。ただ、基礎は知っている。だからある程度複雑な魔術であろうと解析ができないということは……
「違う……これは……契約魔術じゃない……!? みたことのない……」
「な、なあ、変だ、なんか腕が変だ……!」
「え――」
ぞわ、と得たいのしれない悪寒がラズワードを襲う。ウィルフレッド血管が恐ろしいほどに浮き上がり、赤黒く変色していく。声にならない悲鳴をあげるウィルフレッドは、痛みからか白目を向いていた。
契約魔術じゃない。これは――
「あああああああああああ!!」
「……ッ」
指があらぬ方向に折れ曲がり、そして、膨れ上がって行く。そのおぞましい変化はそこからどんどん上へ侵食するように広がって行き、生まれ出た新しい肉塊は少しずつその正体をはっきりとさせていく。ラズワードは意を決して剣を抜き、そして、ウィルフレッドの腕を一気に切り落とした。そして、地に落ちても尚動き続ける腕を蹴り飛ばすと、ウィルフレッドに駆け寄ってすぐに止血をする。
「ごめん、こうするしか……」
「あ、あ、あ、……」
「……気を確かに……! ここから離れるぞ、ウィルフレッド」
ラズワードはウィルフレッドの残った腕を引くと、駆け出した。
「……!?」
足を踏み出した瞬間、小さな、叫び声のようなものがきこえた。そして同時に地面が勢いよく揺れる。驚いて振り返ってみれば、切り落とした腕が凄まじい勢いで膨れ上がり、一つの城は超えるのではないかという程の大きさの怪物の姿となっていた。しかもそれは一体ではなく、3体。これが、イヴの何らかの魔術によってウィルフレッドの腕に押し込められていたのである。
「ラズワード!」
ひとまずウィルフレッドを連れて逃げようとしたラズワードにハルが呼びかける。
「ハル様、あの魔獣は俺が片付けます。ハル様は皆様を連れて逃げて……」
「いや、逆だ。俺が足止めする。おまえが俺の家族を連れて逃げろ」
「え、なんで」
「おまえのほうが強いんだ。だからこそ俺の家族についていて、しっかりと守って欲しい」
「……」
みればハルの手には、武器が握られている。初めて見たが、この白く輝くスピアがハルのプロフェットらしい。後ろのほうで唸り声をあげる巨大な魔獣と、スピアを持つハルをちらりと見比べて、ラズワードは言った。
「わかりました。俺は皆様を屋敷に避難させたらここに戻ってきます。ウィルフレッドからは他に生体反応を感じないので一緒に置いてきても問題ないでしょう。ですから、ハル様はそれまでどうか耐えていてください」
「ああ、頼りにしているよ、ラズワード。俺の大切な人達だ、しっかり守ってくれ」
「はい、お任せください」
大丈夫だ、単純な魔力量ならハルのほうが上回っている。ラズワードはそれを確信すると、ハルに背を向けて走り出した。ヨロヨロと足元のおぼつかないウィルフレッドを支えながら、エセルバート達の元へ向かう。突然現れたレベル5の魔獣に動揺しっぱなしの彼らをなだめながら、ラズワードは屋敷への誘導を始めた。
「き、君……ラズワードといったな、あれは一体なんなんだ」
「……私にもはっきりとはわかりません。しかしあれはイヴの魔術によるものだと思います」
「……君はハルの奴隷だろう。ハルについていなくていいのか。ハルを守ることが君の役目じゃないのか」
「ハル様がこうしろと私に言ったのです。私はハル様があの魔獣たちを相手に持ち堪えられると信じています。それにハル様にとって大切な家族を守ることも、俺の役目ですから」
「……」
後ろから耳を劈くような魔獣の雄叫びが聞こえてくる。不安そうに何度も振り返るエセルバート達。直ぐにでもハルの元に戻りたいラズワードとしては一刻も早く屋敷へ彼らを送り届けたいところだが、急かすのもかえって状況を悪化させてしまう。焦る気持ちを抑えながら、ラズワードは彼らの足に合わせて走り続ける。
「きゃっ」
「マリー様!」
そのとき、マリーが躓いて転んでしまった。ラズワードは急いで彼女のもとへかけよる。
「大丈夫ですか」
「だ、大丈夫、すぐ立てる」
「……」
マリーは膝から出血していた。ラズワードがそれを治してやると、マリーは直ぐに立ち上がろうとする。高いヒールのためか一瞬立ち上がるのにもよろけていた。そして、よくみてみれば踝に靴擦れの跡がある。
「……マリー様、失礼します」
「え、ちょっと、何する……きゃあっ!?」
再び走らせたところでマリーは早く走ることはできないだろう。そう判断したラズワードはマリーをひょいと抱き抱えた。驚いたマリーは口をパクパクとさせ、軽くラズワードの胸を叩く。
「お、下ろしなさい! 自分で走れます、貴方みたいなひょろひょろに身を預けるほうがかえって不安ってものよ!」
「マリー、黙ってなさい。そんな格好で走られても迷惑だ」
「お、お父様まで……」
エセルバートが騒ぐマリーを制する。娘をまかせるとラズワードに言っているようものだ。これには正直ラズワード驚いた。しかしここ立ち止まってもいられない。ラズワード達は再び走り出す。
「あ、あれ……」
「……!?」
しばらく道を行き、震える声でマリーが示したのは、前方に見えた巨大な竜であった。先ほどウィルフレッドから出てきた魔獣うちの一匹である。一瞬、ラズワードはハルがやられたのではないかと肝を冷やしたが、3体全てがこないところをみると、ハルが一匹逃しただけのように思われる。確かにこれほど大きな魔獣を一人で3体足止めするするのは無理があるというものだ。
立ち止まったラズワードたちに魔獣は狙いを定めていた。その不気味な赤い瞳でこちらを見たかと思えば、物凄いスピードで突っ込んでくる。
「いやぁ!!」
ラズワードの腕のなかでマリーが身を縮めて泣き叫んだ。他の者達もこの世の終わりのような顔をして呆然と立っていた。
「マリー様、一旦下ろしますよ」
「やだ、やだぁ……! 怖い、離れないで!」
「……、大丈夫、側にいる」
ラズワードはマリーを下ろすと、肩を抱き寄せた。震えながらしがみついてくるマリーをあやすように静かに彼女の頭を撫で、そして同時に剣を抜く。
「――……」
少し離れたところで、エセルバートはラズワードを見ていた。巨大な魔獣が正面から襲ってきているというのにそれに臆することなく剣を構え、その射抜くような目で標的を睨みつける。真っ直ぐに切っ先を魔獣に向けマリーを傍に抱きかかえる姿は、御伽噺に出てくる姫を守る騎士のように凛としていて美しかった。黒い燕尾服は風に翻り、突風に絹糸のような髪が靡き、構えた剣は彼の魔力をもって輝いている。
剣を引き、そして一気に突き出す。二人を食い殺さんとばかりに向かってきた魔獣に、剣の先からほとばしる光の粒が絡まって行く。それは徐々に形を為して行き、やがて氷へと姿を変えて行った。魔獣を覆うように氷は面積を広げて行き、そして最後には全てを包みこみ巨大な氷の塊となる。
マリーは息を飲んでその様子を見つめていた。おぞましい化物が美しい氷像へと変化するその魔術。そしてラズワードがくい、と剣を動かすと、ヒビがはいっていき音を立てて氷は割れた。空から散る氷の雨は、光を纏いきらきらと輝いている。
「すごい……」
目を輝かせて、マリーはその光たちを見ていた。もう魔獣は滅したというのに、ラズワードに抱きつきっぱなしである。マリーはラズワードが剣を引き、そして鞘に戻すところまで、ずっとその動作を見つめていた。きん、と鍔が鞘にぶつかる音で、マリーは顔をあげる。
「すごい、すごいすごい!! ラズワード様、今のはなんですか、魔法ですか!? 初めてみました、こんなに綺麗な魔法!」
「いえ、今のも魔術ですよ。一応水魔術の一つです」
「そうなんですか!? 水魔術って治癒だけだと思ってました! ……ねぇお父様、ご覧になりましたか、ねぇ、なんて綺麗なんでしょう!」
先ほどまで怯えていたのが嘘のように、マリーははしゃぐ。目をきらきらとさせながら、エセルバートに話しかけるその様子は、さながら普通の少女のようであった。エセルバートとマリーはまだ和解していなかったが、久々に見る娘の無邪気な笑顔にエセルバートは困ったように笑う。
「ラズワード、……礼を言おう。娘を救ってくれてありがとう」
「……いいえ。私は私の役目を果たしただけです。……俺にとっての大切な人の、大切な人ならばなにがなんでも守り抜きます。そう俺は自らに誓ったのです」
天界三大貴族・レッドフォード家の当主にも、臆することなくラズワード堂々と言ってみせた。そんなラズワードを、エセルバートはどこか満足げに見ていた。
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