7


「ほ、本当に大丈夫なの……?」

「うん、大丈夫。このルートでいけば最小限の戦闘でいけるはずだから、俺の魔力が切れるなんてことも絶対にない」



 アザレアはラズワードが手に持つ紙を見ながら不安げだ。そんなアザレアとラズワードの間にひょこ、と顔をだしてデイジーは得意げに笑う。



「このルートに間違いはありませんよ! なんて言ったって私がラズワード様とアザレア様のために完璧に調べたんですからね!」




 ラズワードが手に持っていた紙は、アルビオンの警備隊がいる場所を明記した図で、そこに特に警備の薄いルートを書き込んだものであった。これはラズワードがアザレアのもとに泊まっている間にデイジーが作ったものであり、夜が明けてディーバからでてきた二人にデイジーが渡したのである。



「デイジー、ありがとう。本当に助かる」



 ラズワードがデイジーに微笑みかけると、デイジーがぱっと目をそらした。両手で顔を覆い、顔を隠している。そして耳まで真っ赤にしながら、デイジーはぼそぼそと呟いた。



「べ、別に……ラズワード様のためだけじゃないですから……べつにっ! ラズワード様に褒めてもらいたいわけじゃないんですからねっ!」

「? 褒めるって……感謝するのは当たり前だろ。デイジーのおかげで大分負担が減らせるんだ。本当に嬉しいよ」

「〜〜っ! ばか、ラズワード様のばかっ!」

「え、な、なんで……?」


 声をひっくり返らせながら叫んだデイジーにラズワードは本気で意味がわからないという視線を投げかける。隣でアザレアが「だから昨日言ったのに……」と呟いたことにはラズワードは気づいていない。背を向けて唸ってるデイジーがどうしてしまったのかと様子を伺うことに必死である。大分大人になったけれどやっぱり中身は青いな、なんて思いながらアザレアがふっと笑った、そのとき。



「あれ? アザレアじゃん」



 3人の耳に届いたのは男の声。どこか嘲笑を含んだその声にラズワードはパッと振り返る。

 そこにいたのは、周りの人々と比べると明らかに上等な格好をした男の二人組であった。一人が前をズカズカと歩き、もうひとりが後ろに慎ましげに付いている。まるで、貴族と従者のように。男の声を聞いて青ざめながら俯いたアザレアの表情に、ラズワードは男の正体を悟った。



「……レイヴァースか」

「うん? おまえ誰」



 レイヴァースと呼ばれて男は否定しなかった。男は遠慮なく近づいてきて、震えるアザレアの体を後ろから抱きすくめる。咄嗟に剣を抜こうとしたラズワードに、男は下卑た笑いを向けながら言い放った。



「おまえ、アザレアの客?」

「……違う」

「へえ、じゃあ何? まさかアザレアの男? はあん、なるほど? 知ってるかよ、この女さ、昔貴族だったんだってよ。それで今はこうやって身売りしてんだぜ。なっさけねぇと思わねェ? ぶはっ、しかもユイショタダシキ『ワイルディング』だったんだぜ、ザマーねぇなあ!!」



 アザレアはぎゅっと目を閉じて唇を噛み締め男の罵倒に耐えていた。ゴミをみるような目で男はアザレアを見つめ、ぐっと髪の毛を掴んで大笑いしている。



「ふ、ふざけるなっ! アザレア様は好きでこんなことしているんじゃ……」

「待て」



 男に掴みかかろうとしたデイジーの腕を、ラズワードが掴む。デイジーは「なんで」、そう小さく言いながら振り向いたが、その振り向いた先のラズワードの表情にビクン、と体を揺らした。恐怖を超えた何か恐ろしいものが心臓を貫いた。

 ラズワードはいたって無表情であった。しかし、その目は恐ろしく冷め切っていてなんの感情も感じさせないその顔を見た者は奈落に囚われたかのような寒気に襲われる、そんな表情であった。



「……彼女を放していただけませんか」

「ああ? やっぱりお前アザレアの男? は、この売女、どこでこんな男捕まえたんだよ」

「私は彼女の弟です」

「……はい?」



 静かに響いたラズワードの声に、男は目を見開いた。アザレアの顔を覗き込み、ラズワードの顔を見つめる。「似てねえな」と小さく呟いたのち、ハ、と何かに気付いたようにラズワードの顔――いや、瞳を見つめると、間抜けな声でラズワードに問いた。



「……おまえ、水の天使か?」

「そうです。だから彼女とはあまり顔が似ていません」

「……どうりで。俺、お前みたことねえもん。ワイルディングの奴らの顔全員知ってるけど、お前は知らねえ。そうだよな、水の天使なんて存在、普通公にしねえもんな」



 なるほどーと言いながら納得したように男はぽん、と手を叩いた。今の場にあまりにも似つかわしくない軽薄は行動にデイジーは苛立ちながらも、チラチラとラズワードの様子を伺っては男を殴り飛ばしたくなる衝動を抑えていた。



「ははーん、なるほど。なんで急にワイルディングがど貧乏になったのかって……もしかしてお前の免除金払うためか? ウケる! はは、うーんでもまあ、わかんなくもねぇぜ? お前今まで見てきた水の天使のなかでもかなりまともなツラしてる」



 男はするりとアザレアから離れてラズワードに歩み寄る。



「なあ……今日はおまえが俺の相手しろよ」

「……なっ」



 驚きの声をあげたのはデイジーとアザレアであった。ラズワードの顎を掴みニタニタと笑った男に掴みかかろうとしたデイジーを、アザレアが止めたが、アザレアも激しい嫌悪の眼差しを男に投げていた。しかし当のラズワードはというと、涼しい顔をしてふ、と笑ってみせる。



「……かまいませんよ」

「お、なんだ案外イケるクチなわけ? もっと気位高いのかと思ってたわ」



 男はラズワードの腕を掴むと路地裏に入っていく。アザレアとデイジーは慌ててついていったが、そこに入るなりラズワードの服を脱がしにかかった男をみてぎょっと立ち止まった。アザレアはまだしも、デイジーは男が男に犯されるところなど見たことがない。当然の反応であった。

 デイジーはおろおろとしてアザレアにしがみつくことしかできなかった。ラズワードが何を考えているのか全くわからない。もしも貴族であるレイヴァースに抵抗できないから、という理由ならなんとしてでも止めたい。しかしラズワードは嫌がっている風でもなく、むしろその口元にほんのわずか、笑みを浮かべているのだった。



「……あん? おまえ、ここに入っているこれ……」



 ラズワードのマントを外し、シャツも脱がそうとした男は、そこのポケットに入っているものに目をとめた。その瞬間、ラズワードが小さく舌打ちをする。男はポケットに入っているそれを取り出すと、驚きの声をあげた。



「これ……ハンターのライセンスか……!? なんでお前がこんなもん持ってんだよ、水の天使はハンターになれないはずじゃ……」

「……俺のじゃねえよ」

「あ? ……ハル……ハル・ボイトラー・レッドフォード……え、レッドフォード……!?」



 ライセンスに記載されているその名前を見た瞬間男の顔は一気に青ざめた。ラズワードは男からライセンスを取り上げると、地面に投げ捨てられたマントを拾ってそれを羽織る。



「――あんた、レッドフォード家の下につくんだって?」

「おまえ……ハメるつもりだったな! っていうかおまえレッドフォードのなんだよ、なんでそんなもんもっていやがる!」

「俺はハル様のハンター代理兼、レッドフォード家の奴隷だよ。「物」と考えてくれて結構、どうぞ、ダッチワイフとでも好きに呼べばいい。ただしレッドフォード家の所有物ですので、今の貴方の、レッドフォード家のダッチワイフを使って勝手に自慰行為に及ぼうとする行動はどうかと思いますよ」

「――てめえッ!」



 男は剣を抜きラズワードに斬りかかった。デイジーとアザレアが小さな悲鳴をあげたが、ラズワードは顔色ひとつ変えずに冷静に短剣を抜いてそれを受け止める。両手で振り抜いた渾身の一撃を片手でいとも簡単に阻まれた男は思わず息をのんだ。



「ああ……これでハル様の護衛にね……」



 は、とラズワードは息を吐くように笑う。キリ、と鉄の擦れる音が鳴った瞬間、男は「まずい」と思ったが何も反応することができなかった。ラズワードが短剣の角度を変えると足を思い切り踏み込んだのだ。短剣の刃先は男の剣の剣身を一気に滑り、あっという間にラズワードは男の懐に飛び込む。



「こんな腰抜けでハル様を満足させることはできないと思うぞ。せめて、俺よりは強くないとな。ハル様はずっと俺のことを見てきているんだ。こんな姿をもし、ハル様がみたら……」



 短剣の切先が、男の首に突きつけられる。



「クビになるんじゃねえ?」

「……っ」



 男は腰が抜けてへたりとその場に座り込んだ。カランと音をたてて地面に投げ出された剣を蹴って、ラズワードは男を見下ろす。



「自分の身分に感謝するんだな。もしお前がただの一般市民だったら、俺は構わずおまえの首を落としていた」



 その恐ろしく冷たいラズワードの目にはそこにいた誰もが震えた。デイジーとアザレアはそこでやっとラズワードが激しく憤っていたということに気付く。冷静を装いながらもラズワードは、アザレアのことを酷く虐げた男に対して殺意にも似た怒りを抱いていたのだ。

 男はガタガタと震えながら、這うようにして弾き飛ばされた剣を拾う。ラズワードは蟲でも見るように静かに男を目で追っていた。もしもアザレアたちにそれを向けるようだったらすぐにでも腕を切り落とさんとばかりに。しかし男はそれをラズワードに再び向ける。



「……ふ、ふざけるなよ……! 俺がおまえよりも弱いだって……!? 俺は……俺は、レッドフォード家の騎士になるんだ……騎士として最高の名誉を手に入れるんだ……! おまえみたいな奴隷が何を言おうと、その事実は変わらない!」

「おまえが俺よりも弱いことも事実だ」

「違う!! 俺はお前よりも弱くなんてない!! 俺は強い……!! そんなに……そんなに言うならレッドフォードに俺の強さを見せつけてやるよ……お前をレッドフォードの目の前でぶっ殺して!! 決闘だ、決闘を申し込む!! ウィルフレッド・レイヴァースの名において、お前に決闘を申し込む!!」

「は……!?」



 その場にいた者全員がポカンと口をあけた。

――決闘。

 もちろん言葉の意味を知らないわけではないが、まったくその実感のわかなかったラズワードはわけがわからないとでも言うように眉をひそめる。奴隷身分の自分が、貴族に決闘を申し込まれた? そもそも何を賭けて? 言いたいことがたくさんありすぎてラズワードはただ怪訝な視線を男――ウィルフレッドに送ることしかできなかった。

 しかし、アザレアはハッと何かを思いついたようにラズワードに駆け寄ってくる。ラズワードをウィルフレッドから離れたところまで引っ張っていくと、小さな声でラズワードに言ったのだ。



「ラズワード……この決闘、受けなさい」

「……放棄する気は、なかったけど……プライドが傷つくし……でも、どうして?」

「これはチャンスよ。彼の言い分を聞く限りはこの決闘はレッドフォード家の立ち会いの元に行われる……あいつは卑怯な手を使うこともできないから、確実にラズワードが勝つでしょう。そうすれば彼をレッドフォード家から遠ざけることができる……彼がハル様の護衛になることだってない。嫌でしょう? あんな奴がハル様の隣にいることなんて……!」

「……っ」

「それに……貴方の戦う姿をみれば、レッドフォードが貴方を認めることだってありえる……ラズワードが、堂々とハル様の隣に立つことができる、その可能性だってある……!」

「……ハル様の、」



 アザレアには昨夜、自分の現状について殆ど話してあった。だからアザレアは知っていた。ラズワードにとってハルが大切な、守るべき人なのだということ。ハルがラズワードにとってかけがえのない存在だということ。

 あんな奴がハルを守ることができてたまるか。ハルの隣に立つのは……



「――いいだろう、ウィルフレッド・レイヴァース」

「……!」

「……ラズワード・ベル・ワイルディングの名のもとに、俺はおまえとの決闘を受ける。おまえが賭けるのはハル様の護衛権。俺が賭けるのは――」



 短剣を足元に捨て、腰の長剣を抜く。いつか、ハルから譲り受けたレッドフォード家の刻印の入った剣。鞘から抜いたそれは朝の日差しを受けて煌き、眩き光を反射する。羽織っているマントが風にゆらめき大きく翻った。



「――俺自身のプライドだ」



 賭けるものなど何もない。奴隷である自分は物質的価値のあるものを一切もっていない。ハルの隣にいる権利だってもっているというわけではない。ただ、彼を守りたい、傍にいたい。それはただ、心の中に秘めているだけの、プライドが叫ぶもの。

 誰にだってそれを渡すわけには、いかない。



「……言ったな……後悔するなよ……! すぐにでもレッドフォード家にこの旨を伝えるからな! おまえがハル様のなんなのか知らねえが、もう二度とハル様の傍にいれなくしてやるよ!」

「やってみろ。俺だって今の場所をおまえなんかに譲るつもりはさらさらない」



 その瞳は揺らぐことなく。すうっと細められた青い瞳にウィルフレッドはたじろいだ。真っ直ぐに向けられた剣が、あまりにも眩くて、目を細めた。



「……ラズワード様……」

「うん……強くなったね」

「……素敵っ!」

「……馬鹿」




 ラズワードの背を見つめるアザレアとデイジーがひそひそと話している。デイジーの空気を読めないかのような発言にアザレアはため息をついたが、正直その気持ちがわからないこともない。ここまで二人が緊張感がないのは、ラズワードの勝利をほぼ確信しているからである。

 ウィルフレッドは全く自分に臆する様子のないラズワードたちに舌打ちをすると、背を向け去ってゆく。その際に「ぜってぇ恥かかせてやるからな」とかいう捨て台詞を吐いた気がしないこともない。
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