30

 ラズワードとエリスは太陽がすっかり昇ったお昼どき、レッドフォード家に戻った。送迎の乗り物から降りて、エリスはラズワードをちらりと見つめる。



「……顔」

「え?」

「……ゆるんでる」

「な、……えッ?」

「一日しかたってないぞ。そんなにハルに会えるのが嬉しいか?」

「……!」



 エリスにそう言われて、ラズワードは微かに頬を赤らめた。特に意識していたつもりじゃなかったのに、そう言われてふと頭にハルの顔が浮かぶ。最近彼の腕に抱かれて眠ることが多い。その時のぬくもりを思い出して、ラズワードは僅か微笑んだ。



「はは、かわいい顔しやがって。最近のおまえ結構笑うよな」

「……そ、そうですか?」

「おう、すっげぇいいと思う」



 エリスがそっとラズワードの頬を撫でる。ラズワードは思わず後ずさったが、エリスになんの気もないとわかると、大人しくされるがままになる。

 エリスは今朝のことを覚えていない。ラズワードをアザレアと勘違いして触れたこと、ラズワードがキスをしたこと。それはいいことのようで悪いことのような。エリスのなかでアザレアは恐らく、もうこの世にいない人とされているだろう。そんな彼女への恋慕を無理やり押し込めながらも新たに違う人、しかも彼女の弟に恋をするというのはどういう感じがするのだろう。

 ラズワードはエリスの手を振り払うこともできず、しかし受け入れることもなく。静かにエリスを見つめて言う。



「……全部、ハル様のおかげです」

「……そうだな」

「……俺、ハル様のこと、好きです」

「うん、知ってるよ」



「『私は空を飛んで私の歌を歌うのよ』」



 その時、玄関の扉が開く。



「……ラズワード……兄さん」



 付き添いの人を侍らせながら、ハルがでてきたのだ。ハルは目をパッと開いて笑う。



「……おかえり!」



 エリスは軽く手を振りながらそれに応えていた。ラズワードも返事をしようとするも、その屈託の無い笑顔になぜか泣きそうになってなにも言葉を言うことができなかった。

 じわ、と胸が熱くなっていくのを感じる。ああ、そういえばこうして誰かが普通に「おかえり」と言ってくれたことがあっただろうか。きらきらとした日差しのなか笑うハルが、いやに眩しくて。その光が目に染みたように目が潤んできて。しかしこんなことで泣くなんて馬鹿らしいとラズワードはすっと手の甲で瞳を拭いて、真っ直ぐにハルをみた。そして、彼の真似をするように笑う。



「……ただいま帰りました……ハル様!」



 後ろでエリスがふふ、と笑う。なんだと思って振り返ってみれば、エリスはどん、とラズワードの背中を押した。



「ほら、いってこいよ」

「え、何、どこへ……?」

「一日ぶりなんだろー? 我慢すんなって、大丈夫、ここで一番偉いのは俺。奴隷のおまえが何しようと許してやるよ」

「……っ」



 ラズワードはちらりと周りを見渡した。ここにいるのはハルとエリスと、ハルの付き人、送迎の人、その他従業員。エリスが何をしてもいいといったのなら、許される。

――何を、するんだ?

 一瞬ラズワードは考えたが、何をしようかと思い浮かぶ前に、足が勝手に動いていた。



「……ラズワード!」



「『貴方の声が聞こえたら』」



「……ハル様」



 青空の光が眩しい。太陽の光が暖かい。迷いも何もかもがどこかへ飛んでいって、足はまるで羽のように軽くて。そうだ、ラズワードはふと考える。

 姉が願ったのは、こういうことなのだろうか。誰のために強くある、美しくある? 誰を想えば空へ羽ばたけるのだろう。どこへ……降り立つのだろう。

――いつかの姫のように……



「ハル様」

「……うん」



 彼の胸へそっと飛び込めば、彼は笑いながら受け止めてくれた。背に腕を回し、暖かな彼の熱を全身で感じて。空を泳ぐ鳥はこんな暖かさを日だまりに感じているのだろうか、そんなことを思う。



「――俺」



「『私は貴方に空の香りを届けにいくわ』」



「貴方のお傍に……ずっといます」



――ああ、幸せだ。ふと、そんな言葉が頭に浮かんできた。

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