今日という日

とある夕刻の事。急に何を思い立ったのか、左門が文をしたためていた。

「どうした。親にか」
「違う。これは恋文だ」
「…誰に」

別に聞かなくてもわかっていた。それにそんな浪曼あふれる事に左門が自ら身を投じる事は今までにない。だとすれば、この恋文なんていう洒落た事を左門に吹き込んだ奴がいるということ。

「明日は恋文の日なんだと孫兵が言っていた」
「恋文、の日…」
「そうだ。だから恋文を書いている」

ちらりと後ろから覗くと、決して綺麗な字とは言えないが懸命さの滲む文字がつらつらと並んでいく。別にわざわざ文字に起こさなくても左門は口にしているだろう内容なのだけれど、それでも文にすると少し違って見える。

「作兵衛も書いてみたらどうだ」

視線に気がついてだろう、ふいとこちらに視線を向けて左門が言う。は、という間抜けな俺の返事をにっこりと受け取って、きっと三之助は喜ぶだろうと左門は言葉を付け足す。例えば、そう例えば俺の書いた恋文を三之助が喜ぶとして、それはどんなふうに受け止められるのだろうか。日頃そういう恋仲らしい事を俺がしてやった事など数えるくらいにしかないのだけれど、唐突だからこそめずらしく驚いた顔でもするのだろうか。

「できた」

大きな声の宣言と共に左門はそれはそれは満足顔をうかべて墨が乾くのを待ち、しばらくして乾いた文を丁寧に折り半紙で包む。そしてそれをじっと見つめて何を思ったのか、急に立ち上がり戸の方へ向かう。
反射神経というのか、悲しいか刷り込まれた癖で瞬時にその袖をひっぱり止める。

「待て待て、お前どこ行くつもりだよ」
「孫兵のところ」
「いや、文の日は明日なんだろ」

ぎゅっと握られた文に視線を差し言うと、迷いのない眼光が俺を見下ろした。

「明日の分は明日書けばいい。今日の分は今日伝えておかなければ気がすまん」

準備のない俺に突き刺さった言葉はあまりにも純粋でまっすぐで、防ぎようがなく落ちてきた。想いに新しいも古いもない、むしろ形がないものなのだからこそ、その価値は左右され易すく誤解も生む。でもそれは俺を感化するには十分すぎた。
あっけに取られている間に左門は風のごとく廊下を飛び出して消えていった。きっと後で探してやらねばならない、と頭の片隅で思いながらも、左門がそのまんまにしていった机の道具に引き寄せられて、俺は筆をとった。

***

とてもいいことを聞いた。

毎日誰かの誕生日とも言うが、その毎日にそれぞれ名前があっても不思議ではないのだと思った。時には俺たちが使うあだ名や呼び名のように、複数の名前をもっている日にちもある。つまり、長いたてまえにはなったが、とりあえず今日は口づけの日である。
い組には先輩や後輩を並べてみても秀才や知識に長けた者が多いが、さすが孫兵。特に浪曼になることだった事もあるのか、さらりとそんな知識を口にしてくれたおかげで、とてもいい謳い文句も決めて俺は踊る足で一人を目指した。

たんたんと俺の体重を受け止めて音をなす廊下の板。長屋の廊下、かけてある表札を確かめながら、いくら歩いても同学年の名前がないことを少し疑問に思いながら気持ちばかりが急ぐ。そして思い出すのは、とてもぎこちない作兵衛の姿だった。
委員会で少しだけ遅くなり、そのまま風呂に向い湯気もまだたったままに部屋に辿りつけば、早かったなと褒められることはなく、ただただそっぽのままで、おかえりとつぶやかれただけだった。それだけではない、早々と布団に潜り込んで様子のおかしいことも確かめられなかった。
ただ寝る前に左門が、明日が楽しみだな、と別に特別な事なんてないはずなのに笑顔で言ってきたのには理由があったのだろうかと今更ぼんやり浮かべる。視線を空に向ければふんわりと浮かんだ雲に味覚が反応して、そんなことはすぐに頭の中から消えていく。

「やけにのんびりだな」

頭の中が夕食の献立の事で頭がいっぱいになった頃、後ろから聞き慣れた声。いつもなら開口一番怒鳴り声だが、今日は嫌味が含まれているだろう冷静な音だった。

「あ、さく」
「ほら」

前ぶりは何もなく差し出された腕を見る。その先端には白い包み紙、いや文だろう。俺に文なんてよこすのは両親ぐらいだけれど、作兵衛が預かってくれていたのだろうか。ありがとう、とその文を受け取ろうとするがそれは作兵衛の手から離れようとしない。むしろ最初見た時より深く刻まれていく皺に疑問符とともに当人に視線を向ける。

「え、これ俺宛だよね」
「そ、うだけど…やっぱ違う。だからその手離せ」

いや、よくわからない事言ってるぞ、作兵衛。
むしろ間違ったてたにしろ、誰と間違ったんだ。学園にはたくさんの先生や人がいるけれど、俺に似た奴は今現在見たことがない。それにこれでも俺、作兵衛にとっては特別な人ではないのか。恋仲というのはそんなに簡単に間違えてしまうくらいの存在なのか。
でも、夜の事情の時に他の名前呼ばれるより全然ましなのか、と巡らせている間自然とこちらも負けじと強くなる指先。

「は、はなせ…」
「作兵衛、今日なんの日か知ってる」

見ればわかる作兵衛の反応は大きく跳ねただろう鼓動まで伝わってきそうだった。それが知っている、知らないに関わらず、今の状況がそうさせている事はわかっていた。お互い放そうとしない文は緊張状態で俺たちをつないでる。
それにも、黙っていることにも耐えられなくなったのか、作兵衛は搾り出した声で答えた。

「こ、恋文の日だろ…」

返ってきた答えが、予想外のまったく違った形をかたどったものだから数度の瞬きで視線を上げれば、情けなく垂れた前髪から覗くのは熟れた顔色。

「え」
「昨日、左門が孫兵に聞いたって言ってた」
「じゃぁ」

皺をよせて肩身の狭い思いをしているこの文は、これは恋文。そしてこの行き先は俺だったという事。そう思うと、この文に詰まっている想いがたちまちに俺の目の前を鮮やかに彩る。
作兵衛の事だ、勢いで思いきって書いたのはいいが、それを渡すとなると変な恥ずかしさと予想でもたてて尻込みしてしまったのだろう。それであんなに昨日はよそよそしかったのかとぴったりと俺の中で理由が繋がった。
掴んでいた文を整えながら離す。そのまま作兵衛の手を握るといつもよりずっと熱く緊張を教えていた。そして、空いた手で俯いたままの前髪を救うと、はっきりと恥じらう表情が見えて自然と口角があがった。そして露となった作兵衛の額にそのまま口づけを落とす。すると反射的に上がってきた視線が混じり合い、そこでやんわりと俺は笑みをこぼした。

「今日は口づけの日なんだって」

孫兵は意図して俺と左門に片方しか教えなかったんだろう。それが作兵衛の耳に届くだろう事も、すべて奴にとっては計算通りなのが少し癪にさわるけど、悪い気だけじゃないのは、目の前の光景にほだされているから。

「…一人の時に読めよ」

渋々という感じだったけれど、そう言って作兵衛からもらった恋文は俺の大事な宝物になった。

二つの意を持ち合わせた今日は俺たちのようにいろんな表情をもって、今日という日に祝福を抱きながら、また来年までおやすみなさい。





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