「わ、凄い。芝生の甲板だ」
「えへへ、ふかふかなんだ! サニー号はスゲーだろ!」
「こういう地面で組み手したら足腰鍛えられそう。転んでも痛くないし」
「注目するのそっちなのか!?」

 俺にとっては二度目の居候先である麦わらの一味の船、もといサニー号の最も広い甲板には芝生が敷き詰められていた。
 船首側に聳えるフォアマストの床近くは円形の板が取り付けられて座れるようになっていたり、端には背の低い木が植わって枝からブランコが提がっていたりと、各々が好きに過ごせる心遣いがこの甲板だけでも複数見える。全体的に雰囲気が柔らかくてカラフルで、賑やかなスループ船だ。

 足元で小刻みに跳ねるチョッパーは自分達の船が大層気に入りのようで、安堵も相俟ってか乗船してから顔色が良い。

「取り敢えず、ロビンの手当てちゃんとしないとな! モモの助達も!」
「お願いするわ」
「これはかたじけのうござる」
「うむ、頼んだぞ!」
「酒が飲みてェ」
「待て待てコラマリモ野郎! さっきのはあくまでつなぎだ、今から飯の仕込みするから腹にコレ以上物を入れんな! つーかさっきたらふく飲んだろうが!」
「ヨホホホ、サンジさんのご飯楽しみですね〜。それでは錨を上げてきましょうか」
「ポップグリーンの様子見てくるか…」
「麦わら屋。電伝虫を貸せ」
「いいぞ! トラ男にはとっておきの"麦わらつむり"貸してやる!」
「何だそれは…」
「アゥ! おれ様が手掛けたスーパーな電伝虫だぜ!」
「……何だそれは…」

 それぞれが役割を果たしに、或いは目的を見つけて動き出す。フランキーが運んできたシーザーは手錠を嵌めた儘で甲板の縁に座らされた。

 俺も荷物を置いて用事を済ませたいのだが、それには先ず船内の設備などを知らなければ円滑に進められない。

 怪我人のロビンと治療にあたるチョッパーを筆頭に、休まず新たな仕事に取りかかる面子を呼び止めるのは悪い。
 発言からしてゾロには尋ねても構わなさそうかと若葉色の髪の行方を追うべく視線を動かした折、横から何か細い物で二の腕をつつかれた。

「ねえ、アルト。次の進路って決まってるの? シーザーを誘拐して終わりじゃないのよね?」

 俺の腕を突いたのはナミの指だった。手首に新世界用のログポースを着けているので、麦わらの一味内ではナミが航路の決定を担うようだ。

「あ、それ伝えてなかったっけ。ドレスローザに行きたいんだ」
「…聞いた事ない」
「認知度はそれなりらしいけど…新世界の入り口辺りじゃ聞かない名前なのかも。"七武海"ドフラミンゴが統治する島だよ」
「えっ、海賊が国王やってるの!? なれるものなの…?」
「多分、その国の法と住民が許せば。多様性が失われるからか、普通なら前科者を王に戴こうとはしないだろうって前提ありきなのか、海賊の国王即位を禁じる世界共通の法は無いしね。でもドフラミンゴとハンコック様は異例だと思うよ」

 こうして他人が驚く顔を見ると、無法者が一国を治めている事実がいかに特殊な事例か改めて分かる。両者共に"王下七武海"ではあるが、そもそもその称号を得るに至った前科があるのは間違いないのだ。

「ハンコック様?」
「"海賊女帝"ボア・ハンコック様。前半の海で聞いた事ない? 手配書が高額で売られてる黒髪の…」
「知ってるけど、そうじゃなくて。何で同じ国王のドフラミンゴは呼び捨てで、そっちは丁寧に様付けなのよ」
「実際会った事あるんだけど、彼女は確かに海賊でありつつ皇帝だったから。様を付けるべき方だと思って」
「ふぅん……」

 俺のこの、相手の年齢や肩書きを気にして自身の言動へ反映させ過ぎる点は度々ペンギンにも苦笑を浮かべさせてきた。ナミはかなりさっぱりとした性格をしていそうなので、共感は抱きにくいのだろう。

「順調に進めば、明日の朝にはドレスローザへ着くよ。今の方角に四十キロ位は直進して構わない。その先は悪いんだけど、ローに確認して欲しいな。行き方を幾つか考えてるようだから」
「分かった。じゃあついでだし、船の中案内しておくわ。先ずトイレは其処。船首に行く階段の裏よ。サニー号にはお風呂があって、そっちにもトイレは隣接してるけど船尾側だから、こっちの方が何かと利用しやすいと思う」
「ありがとう、ローにも伝えとく」
「で、あの階段の右側を昇った先は私とロビンの女部屋だから、悪いけど基本的には立ち入り禁止。でも用があったら気兼ねしないで呼んでちょうだい。下は男部屋」

 サニー号の各部屋に繋がる扉は、枠が縞模様で塗られたデザインで統一されている。うっかりで目的とは違う扉を開けてしまわないよう、船首側は一味の寝室、と頭の中で復唱した。

「で、そっちの、船尾方向の二階建て部分が下はアクアリウムバー、上がダイニングキッチンよ。奥に見える丸い棟の中が測量室と大浴場。此処に居る間、トラ男君とアルトに使って貰うとしたらこの辺じゃないかしら」
「うん、これだけ教えて貰ってれば充分助かる。…ところで、さっきトニー君と一緒に居たあの男の子、誰?」

 乗船時、見慣れない小さな男の子が居た。まさかタンカーに乗り遅れたなどという事も無いだろう。

「そういえば、あの時アルト近くに居なかったわね。錦えもんの息子だって。モモの助って名前よ」
「……そう。見つかってたのか……良かった。最初に錦えもんさんを捕らえた時、息子を探してパンクハザードに来たって言ってたから…」

 思わぬ情報に、自分の喉が発する声が確かな安堵を含む。無事に再会出来たのなら本当に良かった。

「何処か君達が普段あまり通らない通路とかある? 着替えたくてさ」
「そんなの男部屋使って良いわよ。アイツ等気にしないもの」
「そう? それと電伝虫も借りて良いかな。仲間に連絡したいんだ」
「多分、ロッカーか炬燵の上に一匹居る筈」
「炬燵……。じゃあ、其処の部屋借りるね」

 ざっと聞いただけでもかなり設備が充実している。クルーが少人数、且つ船は大きいが故に実現したと見えるが、それぞれの部屋が目測でも広い。おまけに浴場付きとは正直憧れの住まいだ。

 周囲を今一度確認すると、既にクルーの大半は船尾側の部屋のどれかに入ったようで、甲板には俺以外にローとナミ、ルフィしか居ない。今まさに遠ざかるフランキーも歩いてゆく方向は男部屋とは逆だ。ブルックは芝生の床下扉を開けて降りていった様子を今しがた見ている。

「ロー、この船風呂あるって。入らせて貰う?」
「…いや、追っ手と話がつかねェ内は気が抜けねェ。後で良い」
「じゃあ俺はちょっと仮眠取りたいな。さっきから眠気が強くて」

 電伝虫の到着を待つのか、マストに取り付けられたベンチに腰を降ろすローの眼が帽子の下から見上げてくる。
 俺はいつも入浴を済ませてから就寝するタイプだ。おまけに多少の疲労と怪我は自分の能力で癒してしまえるので、シャワーを浴びる行為すらも難しい程の状態には殆どならない。我ながら珍しい発言の自覚はある。

「寝るならきちんと横になって休め。何かありゃ起こす」
「ありがと。あ、トイレはあの階段の裏側だって」
「ああ」

 幸いにも何か突っ込まれる事は無く、温情を含んだ指示すら貰えた。これで暫くは邪魔が入らないだろうと踏んでバッグをローの足元へ寄せてから男部屋の扉を潜る。

 ──ふ、と、何処かよそよそしいような、他人の住まい特有の空気と匂いに身を包まれる。

 入って直ぐ壁沿いに洗面台が在り、その横に何故か手動で鳴らす鐘が取り付けられていた。起床ベルだろうか。
 奥に吊られた木製の二段ハンモック、人数分のロッカー、壁に飾られた剣と斧、掘り炬燵と端から順に視線を移動させて、その炬燵テーブルの上で休んでいる電伝虫を見つけた。小電伝虫では念波の届く距離に不安があったのでほっとする。

 一旦木刀を腰の提げ輪から抜き、甲板に面する壁へ凭れる形で座ってから伸ばした脚を緩く組む。刀を抱えて浅く俯き、体表からのオーラ放出を止める「絶」を使って肉体疲労の回復促進を図りながら、そっと瞼を伏せた。









「──さァな。余計な質問は──」

 ふっ、と意識が浮く。扉を隔てて届くローの声は、麦わらの一味の誰かと会話しているものではない。一味に属する九人の内、誰の声も聞こえない。

 ドレスローザからの偵察係か誰かが、バッファロー達の頭部が乗るヨットを見つけたのだ。ローの話が終わる前にと立ち上がり、ハンモック下に敷かれた絨毯を避けつつ炬燵に歩み寄ると床に胡座をかいて、右脚のブーツの内側に縫い付けられたファスナーを降ろす。
 すっかりよれて見た目が古くなった紙片を中から引っ張り出し、書かれた番号を一文字ずつ確認しながらダイヤルを回すと、電伝虫が「プルルルルル!」と鳴き始めた。

「……………………」

 鳴き声が繰り返される。これは警戒されて受話器を取って貰えないかと苦い気持ちになったとほぼ同時に、電伝虫がぱちりと瞼を開いた。

『────誰じゃ。名乗れ』

 およそ二年ぶりに聞いた声音は相変わらず、凛としている。

「ご無沙汰しております、蛇姫様。以前お世話になった、ハートの海賊団のアルトです」
『む、……あの外科医の番犬か。そなたにこの番号を教えてやった覚えはないが』

 少々面白い事に、眼前の電伝虫の顔が一切の変化を見せない。主に目つきと口元を通話相手に似せて話す点が電伝虫の最たる特徴である筈なのだが、ハンコックの美貌は模倣しようがないという事か。

「二年前、ウチの船からアマゾン・リリーへ電話をおかけになったでしょう。あの時姫様が押された番号をクルー達が書き留めて、後生大事に持っていまして。貴女様に繋がるやもしれぬ数字の羅列を眺めるだけで幸福だと」
『…………全く、わらわの美しさはかくも罪深いか。一応は信ずるに足る。確かにあの時以外に、そなた達が我が城に通ずる番号を知り得る機会なぞ訪れてはおらぬ筈じゃ。だが、眺めるだけで良いと言いながら、そなたは今その発言に反した行動を取っておる』

 電伝虫が、幾らか目を細めるような真似をした。

『何用じゃ。ルフィの救命に関わったと言えど、わらわは男に貸す耳を持たぬ』
 



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