辺りが雪で埋め尽くされた地に戻った途端、錯覚でなく肌を刺す冷気の温度が一段と下がった。
 上陸から数ヶ月経った今となっては、小型潜水艦の着陸位置など俺には見当もつかない。ローも細かな場所は記憶していないらしく、一旦サークルの範囲を縮小させた後、人差し指で上を指した。

「"タクト"」

 二秒間、無音の時間が生まれる。
 かと思うと三十メートルは離れているだろう箇所の雪が、ぼこ、と楕円状に盛り上がり、直後に表面が内側から割れて潜水艦が飛び出して来た。

 その儘放物線を描いて此方に飛来する鉄の塊は、表面が明らかに凍てついている。下手すれば手袋越しに触っても布の繊維が持って行かれてしまいそうだ。

「壊して良い?」
「構わねェ」

 どの道これをルフィ達の船に持ち込めはしない。それでも元はハートの海賊団の資金を使って得た船なので一応尋ねてから落ちてくる船体を再び見上げ、ローが能力を解除した事で真っ白な雪を八方へと舞い上がらせつつ地面に転がった潜水艦に駆け寄ると、最後の一歩を踏み込む際により爪先へ体重を乗せて強く蹴り、宙で腰を捻ってオーラを纏う片脚を正面に振り抜いた。

 バギャン! と派手な音を立てて、歪に破られた壁が室内に吹き飛ぶ。オーラの加減が上手く出来たようで、壁はひしゃげながらも砕けてはいない。その事に若干安堵する。

 武装色の覇気の存在のお蔭である程度まではただの打撃や蹴撃の威力が常人離れしていても目立たないが、俺の肉体はローのように覇気によって黒く染まる事が無い。
 俺が悪魔の実を食べていないと唯一知るローであれば今更その点にも驚かず受け入れてくれるかもしれないのだが、だとすると「どうして覇気を纏った場合と同等の身体能力が得られているのか」という疑問を持たれる事は避けられないだろう。

 つまり、覇気は使えるがその域には達していないという"設定"だけは守らなくてはならない。真実に近い事を話せる日が来るとしたら、この世界で念能力者に酷似した体質を持つ部族や血族に出逢えた場合に限られる。
 そんな日が訪れるより先に俺の寿命が来そうで、こうした何気ない力加減に気を遣う日々だ。

 オーラに金属の性質を持たせて肌を覆う技を開発するのも手ではあるものの、現時点で俺は四つの能力を有している上、"無口な影法師(マリスドロップ)"以外は全て複数系統の要素を組み合わせてある。
 "無口な影法師(マリスドロップ)"も時間経過による自動消失の制約を取り入れてどうにか形になった。其処に重ねて残り時間を視覚化出来るような要素を追加したいと考えてはいるが、実現すれば一回の発動につき消費するオーラの量は今よりも増える。

 自分自身のオーラ総量を踏まえると、これ以上技を増やせるだけの余力は最早無い。俺に念能力者としての成長の余地がまだあるとしても、今直ぐに劇的な変化が起こる事は有り得ない。
 やはりどうしたって、"この世界の住人であると演じる必要"は着いて回る。

「巨人族以外でも怪力が発現する遺伝子とか発表されればそれを理由に……いや、ローはその辺も勉強してんのかな…調べられたら分かっちゃうんじゃな…」
「何ブツブツ言ってんだ」
「独り言ー」

 中に入って傾いた船内に散乱する物の中からボストンバッグを二つ見つけ、持ち上げてローの元へ戻る。それぞれ互いの着替えが数着ずつ入っている程度だが、これで麦わらの一味の男性陣に服を提供させる事はない。

「お待たせ」
「よし。アイツ等の船の傍まで飛ぶぞ」
「…本当に大丈夫? 船に乗って落ち着いたら回復させるね」

 追っ手を足止めさせる為のバッファロー達は既に放流した。少しでも早くこの島を離れたいからとは言えいつになく能力を使うローに、俺も頭の端でしつこいと自覚しながらもまた同じ問いを投げてしまう。
 それに対し煩わしそうにするでもなく、幾らか俺に向き直ったローは、注視していなければ判らないほど僅かに眦を細めた。

「疲れた」
「へっ」
「疲れた。侍、獣人、海兵連中にヴェルゴ……これ等と戦り合って、更には何かしら必要性が生じて、白猟屋達が来てからは殆ど休む暇なく能力を使い通しだ。一旦お前が疲労を吸い取っちゃくれたがな。どうせなら更に軽い身体で睡眠を摂りてェ。後々頼む」
「……頼まれました…」

 ローがはっきりと疲れを口にした事が珍しいあまり、頷く動作しか返せない。

 この人の口から疲労と痛みの訴えが出る事は本当に稀だ。我慢強いだとか格好付けの為ではなく、単にそれ等を言葉にしても身に受ける負荷が和らぎはしないから言わないだけなのではと言うのが、俺を含めたクルーの見解である。

 そんな男が素直に「疲れた」と言い出したものだから、疲弊を認めてくれた、それなら無理はしていないのだろうと何処か安心出来て───それすらローの気遣いのようで、複雑だ。ローはやけに俺の胸中を読むのが巧い。俺はローに対して先回りが出来た事などあっただろうか。

 今一度コンパスで移動方向を定めるローの腕に掴まる。瞬きする間に景色が切り替わり、突如として無数の大声に包まれた。

「おれ達こそが! 正義で、市民を泣かす海賊共をブッ殺すのだ!」
「海賊共はこの世のクズでェ!」
「ぐるぐるにいちゃーん!」
「ナミお姉ちゃーん!」
「ガキ共にコイツ等を見せるな!」

 騒いでいるのは主に海軍だった。何やら散々な言われようである。犯罪者相手であっても殺害を明言するのは如何なものか。
 着地点は、丁度タンカーとルフィ達の船の間だ。事態が把握出来ずにローと顔を見合わせていると、背後から肩に赤いコートを着た腕が回された。ルフィだ。

「お前等ドコ行ってたんだ? この辺に居ねェから焦ったぞ!」
「ごめんごめん、ちょっとね。何この状況?」
「コドモを先にタンカーに乗せたんだ、その方がナミもチョッパーも安心する。海軍がよく分かんねェバリアー出してるけど、とにかくおれ達も出航だ!」

 ルフィは俺より身長が低く、身体を横に引っ張られる。多少背を屈めて視線を合わせると肉料理の残りであろう骨を咥えた儘の口が器用に答えた。

「あの子達は最後にお別れの挨拶をしたいと思ってくれているようだけれど、海軍としては目の前で海賊へお礼を言われると…って所かしら。彼等も無粋は承知の筈でしょうけど」
「スモーカーさん達は本来ルフィ達を見逃す理由はありませんからね。でも脱出には貢献してるし、罵倒ぐらいしか出来る事が無いのか…」

「──好きになっちまうよォオ〜! …か……海賊なのによォ〜!」
「!?」

 隣に並んだロビンと話している途中で、背後から一際大きな野太い声が上がった。それを皮切りに怒号が嗚咽に変わる。
 足を止めて振り向くと、Gファイブがこぞって掲げていた目隠しの幕が降ろされ、此方からタンカーの甲板に集まった子供達が見えるようになっていた。その下の陸地では大半の兵が顔を覆ったり、目元を押さえる仕種をしている。

「なはは。変な海軍」
「…本当にね」

 彼等も軍人だが、人間だ。特に逃走中の海軍に対するサンジの献身とモチャの治療に尽力したチョッパーの姿は立派なものであったし、海兵達の働きが劣るとは思わないが、二人の姿勢は間違いなく善意と優しさから来ていた。
 子供の前で弱音を吐く素振りも無かったナミやロビンも含め、敵であれど悪感情のみを抱き続けるのは難しかったのかもしれない。

「海賊のお兄ちゃん、お姉ちゃん! 助けてくれてありがとう!」

 幼く、甲高く、好意に溢れた幾つもの声が礼を告げる。今度は身体ごと振り返って応えるルフィの腕が俺から外れた。
 追って海軍からも宣戦布告の文言が続々と飛び出すが、声色に今や敵意の欠片も無い事は全員が感じていて、場の雰囲気は最早見送りのそれだ。

 ちらりと横を見遣る。吐き出される白い息が掠めるローの口元は、ほんの少し綻んで見えた。

「オイ、アルト。クソコックが怒ってたぞ」
「何で? 俺何かした?」
「アイツのスープ食ってねェんだろ? お前も疲れてる筈なのに取りに来ねェって地団駄踏んでた」
「……あー…」

 斜め後ろからのゾロの発言に一旦は首を傾げるも、サンジが怒る理由を聞いて途端に胸中へ気まずい思いが広がった。確かに、貰っていない。折角作ってくれたのに悪い事をした。

「お前な…」
「考える事多くて、取りに行くの忘れちゃってた……」

 ローからも呆れ混じりの視線が降ってくる。日頃ローと新聞の間に軽食の皿を割り込ませる俺がこれでは、食事の重要さを訴えても説得力が無い。

「一段落したら、寝る前に食事は摂れよ」
「はーい」
 



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