初めて余所の船で食べた夕食は、非常に良いものだった。
 生け簀で泳ぐ新鮮な魚を使ったカルパッチョには花の香りがするウエストブルー産の粗塩が使われていて、嗜好品としてスイーツに添えられる事の多いその塩の意外な使い道に感心させられたし、キッチンに備え付けのオーブンで焼き上げられたローストチキンがとにかく美味しかった。

 時間をかけて低温で仕上げられた身はしっとりと柔らかく、表面に蜂蜜と粗挽き胡椒を塗ってパリパリとした食感になるまで焼かれた皮に、粒マスタードのソースがこれまた合っていた。
 まだ幼いモモの助に対してのみ、少量のバルサミコ酢を混ぜた甘酸っぱいソースを出していたサンジの細やかさは、流石一流のシェフだと言われても納得だ。

 一度に全員分の量を作りやすい為かメインはパスタで、シンプルなボロネーゼではあったが、何とも単純な感想を述べるなら「店の味」だった。
 玉葱とマッシュルームと挽き肉。具材はそれだけなのに、恐らくブイヨンやワインの配合が相当上手くて、味付けが濃過ぎるという事も物足りない事もなかった。

 俺個人の好みだけで言えば玉葱は食感がしっかり分かる位の荒微塵切りで、ケチャップを加えた少し甘めの味が最も好きなのだが、サンジの作ったミートソースは具の大きさが均等になっているお蔭で麺に良く絡み、最後まで味が纏まっていた。参考にすべき点である。

「皿洗い、手伝おうか?」
「いや、大した量じゃねェから大丈夫だ」
「そう? ごちそうさま。今まで食べたローストチキンの中で一番美味しかった」

 食事を終え、シャワーを浴びるついでに心置きなく湯船にも浸からせて貰い、パンクハザードで冷気に晒されてしまった蜜柑の樹に異常が無いか確認するナミを手伝ってからもう一度オーブンが見たくてキッチンへ戻ると、サンジは洗い物の最中だった。カウンターには二枚の丸い大皿が置かれて布巾がかかっている。

 客は座っていれば良いと言われ、急に作る量を二人分増やしたのは此方だからと半ば強引に夕飯の支度は手伝わせて貰ったが、これは断られた。声色に硬さが含まれているようには聴こえないので、本当に助力は要らない程度の仕事量なのだろうと思わせて貰う。

 料理は集中力も要するし、意外に忙しなくて疲れもする。感謝を込めて感想を告げると、金髪で片目しか見えない顔が勢い良く振り向いた。

「……一番?」
「うん、一番。鶏肉好きだから外食でもよく頼むし、自分でも鶏料理は作るけど、あんなにしっとりして柔らかいのは初めて食べた。あれモモ肉だよな? サンジ君は火入れの加減が巧いんだね。それに味も凄く良かった」

 俺は肉の煮込み料理が特に好きなので鶏もつい醤油やらトマトソースやらで煮るし、その手の品であればかなり柔らかく仕上げられる自信はあるが、フライパンとオーブンであれだけ絶妙な歯応えに出来るのかと訊かれたら即答で是とは言えない。

「…………。そうか」

 何回か目を瞬かせて俺を見つめたサンジは洗剤泡の付いていない薬指の先で鼻を掻くと、一言呟いてまた皿洗いに戻った。

 サンジの目が隠れているのは右側で、その髪も顎まで伸びてはいない。キッチンの入口は、流し台から見て左手にある。
 よってほんの少し綻んだ口元は俺から見えるのだが、指摘するのは野暮だ。感想を素直に受け取って貰えたのは嬉しい。

「──おのれ、尋常にィ〜! 勝負でござる〜!」

 幾らか遠く、そして下方から、錦えもんの大声が突然響いてきた。よくは聞き取れないがゾロやナミの声もする。

「何だァ?」
「見てくるよ」

 時刻は夜更けだが、全員がまだ起きている。賭け事にでも興じているのかとキッチンを出て手すりから甲板を覗くと、錦えもんが炎を灯した抜き身の刀でゾロに斬りかかるという予想だにしない光景があった。墓荒らしだ違う違わないだと言い合っている。
 錦えもんより一回り以上は歳下であろうゾロが抜刀せずに否定しているのに、錦えもんは眦を吊り上げて刀を納めない。ナミは制止してくれているが、他の面子は遠巻きだ。

「あー、もう……」

 手すりを握る両手首を軸に床から跳んで、横向きにした下半身を先に越えさせ、直ぐに手を離して重力に引かれるが儘飛び降りる。
 着地の瞬間曲げた膝のバネを利用して前傾姿勢で駆け出しながら木刀を抜き、ゾロの脇を抜け、上段から振り下ろされた刀を横向きにした峰で受ける。鋼と木材の衝突故に、ガギッ! とやや重たい音が弾けた。

「ぬっ……アルト殿…!?」
「こんな歳下の子相手に何やってるんです、大人げない。何より、木造船の上で炎を使うのはやめてください。燃えたら洒落にならないでしょう」

 かなりの高身長である錦えもんが体重を乗せて放った斬撃は手に若干の振動を伝えたが、常時「纏」で肉体を強化している俺自身には負荷と呼べる程の衝撃ではない。錦えもんが実はかなり手加減しているか、若しくは覇気使いではない可能性が出て来た。

「しかし、ゾロ殿の腰に在るは祖国の宝! それも故人の物故、墓を暴かねば手に入る筈が…」
「まだ騒がしいな…。夜食食うのは何人だ?」
「わァ、夜食何だ!?」
「ピザ」
「ピダ!? またあの男、乙なメシを作るのだろう。モモの助はもう寝ておるかな」
「それ本当に宝だと思ってます?」

 サンジの発言とメニューを聞いた途端にこの反応である。余程胃袋を掴まれたか、一旦墓荒らし云々の話は終えてくれるようだ。

 モモの助の所在を聞いた錦えもん、加えてサンジとブルックまで何故か慌ただしく船尾方向へ走ってゆく後ろ姿を横目に、木刀の切っ先を提げ輪に引っかける。
 けれどもそれを滑らせる前に、刀身の側面に別の柄がコン、と当たった。ゾロが腰に挿す三本の内一つを傾けて触れさせている。

「ちょっと待て」
「ん?」
「丁度良い。お前とは寧ろ手合わせ願いてェんだ。お前がソイツを扱う所を見てねェしな」
「俺、剣士って訳じゃないよ? 確かにこれも使うけど、素手の格闘の方が慣れてるし」
「へェ。じゃあ急に抜かれたら、こっちの間合いが乱れるな。今後そういう奴と戦う可能性だってあるんだ、体験しときてェ」

 刀のみで戦いに臨むであろうゾロに対し、木刀に限らず手足も能力も使う俺の戦闘スタイルは邪道に感じられるのではと思って付け足した言葉は、焚き火に薪をくべる事と同じ結果を呼んだらしい。

 初見の敵に対応するべく、想像を巡らせるゾロの姿勢はとても好ましい。俺もまた、この先三刀流の敵と遭遇しないと断言出来はしないし、体験はしておきたい。
 本来馴れ合うべき仲でなくとも目下は同盟相手だ。互いに糧になれるのならマイナスな事など、無いのだが。

「……一つ、問題があって」
「何だよ」

 自然と、換気口から風呂の湯気が昇っている船尾側の球体施設を見てしまう。降りてきた時からローの姿が見えないが、測量室で本を読みたいと言っていたのであそこに移動したかもしれない。

「シーザーに対するムカつきがね、正直治まってないから。寸止めとかはしてあげられそうにないんだよ」

 そう言った瞬間、ナミとチョッパーとウソップが揃って脱兎の如く物陰に避難した。俺は火を吹く怪獣か何かか。

 決して暴力的な衝動に駆られている訳ではない。ただし思いきり身体を動かせるならそうしたい気分ではあるのと、ゾロの動きに合わせて指南に回るような心の余裕が無いのだ。尤も、ゾロが俺より弱い証拠など現時点では一つも見つけていないのでこれはやや失礼な思考でもある。

 ゾロは片耳の三連ピアスを揺らして僅かに首を傾け、不敵さを醸した笑みで応えた。

「何だ、そんな事か。願ったりだ」
 



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