「……晩酌付き合って貰っていいですか」

 肉の脂が焦げた香りを連れて遠慮がちに室内を覗く部下から、半月に一度あるかないかの頼みが向けられた。

「入れ」
「ありがと……」

 アスパラ、ベーコン、芋が盛られた大皿と、二杯分が入る大型の樽ジョッキが持ち込まれる。湯気を立ち昇らせる炒め物はどれも焼き目がつけられ、油の照りが食欲を誘う。適度に腹へ溜まりそうで夜食に丁度いいメニューだ。

 取り急ぎスペースを空けたテーブルへアルトが皿を置いたと同時、再度ドアが開かれる。

「なーアルトー、これオレもお邪魔してイイ奴か?」
「えっ。うん、大丈夫……だけど、シャチ寝てなかった……? 油もの食べて平気?」
「平気平気、トイレ行った帰りお前が歩いてんの見えてさ。塩胡椒炒めか? こういうシンプルなのうめェよなー! あ、船長お邪魔しまーす」
「ああ」

 しっかり己のジョッキを持参し加わったシャチはどう見ても寝起きではない。アルトも若干不思議そうではあるが、前以て時間を告げての訪室ではない辺り、シャチが居ても構わないのだろう。

 三色の具を頬張ると、歯を立てた芋からは一瞬咀嚼が止まる程の湯気が溢れ、厚く切られたベーコンの塩気と旨味が溶け出す。
 芋が少し甘い分アスパラの僅かな苦味が引き立ち、多めに振られた塩胡椒の辛さで自然とジョッキに手が伸びる。

「うんまァ……! なんか、アスパラってこんなだったか? ホクホクじゃん」
「蒸し焼きともちょっと違うけど、油多めに使ってじっくり焼くとこうなるんだよ」
「これ週一で食いてェ。船長、アスパラ買い溜めしません? この島野菜安いっスよ」
「好きにしろ」
「ヒュウー! 男前ェー!」

 二人前にしては多い量に見えたが、男三人でつつけば皿の中身はみるみる減ってゆく。
 ただし大半は俺とシャチの胃に消えており、アルトはジョッキを傾けるペースが少し早い。物資調達の話、航路の話、今朝の通り雨で洗濯物を洗い直す羽目になった当番連中の話を取り留めなく交わす内、その表情が少し幼さを帯びてきた。

「で、アルト」
「ん?」
「どうした」

 アルトはそこまで酒が強くない。悪酔いせず、大袈裟に泣きも笑いもせず、一定の飲酒量で気の抜けた姿を晒したのちに眠りこけるという、ほぼ介抱要らずの扱いやすい体質ではある。
 ただし本格的に酔うと会話のやり取りが怪しくなる為、二杯目を取りに行かせる前に切り出した。──が、正面のシャチがやおら大口を開ける。

「あ。ちょ、船長〜……! アルトだって話すタイミング窺ってたかもしんないんスから〜」
「この量を二杯飲んだら寝るだろ」
「あれ、お前水割りでも呑める量そんなモンだった、っけ……」

 一旦逸れた視線を戻すと、アルトが両手で顔を覆っていた。

「…………俺そんな分かりやすいですか……」
「分かりやすいっつーか、お前船ン中で一人だとめっちゃ気ィ抜いてるっつーか」
「歩き方が違ェ」
「そうそう。遠目でも『トボ…トボ…』って音見える」
「恥ずかしいホントに恥ずかしい」
「だから心配してたんだぜ、昨日から急にだもんよ。ま、船長に甘える気力あって良かったけどさ」

 酒か羞恥か、若しくは両方が原因で目元を赤らめたアルトが鼻から上を覗かせる。

 シャチの言う通り、自身の思考のみで解決や納得に至れない事が起きたとして、仕舞い込まれるよりは吐き出された方が余程良い。アルトも船長室へ来たからには多少なりとも話をするつもりがある筈だ。
 急かさず、しかし耳を貸す意思表示として椅子の背凭れへ寄りかかる。

「……昨日の劇場の、デメテレ盛った奴なんだけど」
「おー、新聞見たわ。船長からざっくり聞いてっけどナミちゃん災難だったなァ。逮捕されたのアルトの細工か? そこ気になってたんだよな」
「映像電伝虫くすねて、詰所に直接持ってった。チケットあったから信用して貰えたし」
「やっぱそっか」

 些か麦わらの一味二人に肩入れし過ぎている部分はあるものの、ドリンクに何かしら混ぜる手口と、顔見知りの女が狙われた事、男の犯行がアルトにとっては特に顔を顰めるもののひとつであった点など、複数の要素が重なって男の社会的な排除にまで動いたのだろう想像はつく。

 ニコ・ロビンからは昨夜の内に治療費として純金の指輪を渡された。換金額は島によって幾らか差が出るが、宝石はついていないながら幅が広いデザインの為、重さから予想する査定金額を考えると妥当な品ではある。
 アルトは不用意にハートの海賊団の名を出してもおらず、総合して特に不利益は被っていない。俺から何の指摘も叱責もない以上、アルトにもハートのクルーとして失敗した心当たりなどないのだから、引っかかっているのは別の事のようだ。

「よくソイツが電伝虫の存在を話したな」

 純粋な感想が口をついた。
 映像電伝虫は犯人にしてみれば悪趣味極まりない嗜好品、且つ、何者からも秘匿すべき証拠だ。

 アルトの麻痺粉は目に浴びせれば相手が痒みと痛みでもがいて会話どころではないし、口から吸わせれば呂律や呼吸に支障が出る。
 堅気相手に、悲鳴を上げさせず一対一で情報を搾り取るには向いていない。そうなると、穏便な手段で聞き出した事になる。

 アルトはゆっくり両手を降ろすと、視線も追わせるように俯いた。ややあって五指がジョッキへ伸びるも、取っ手に触れるだけで掴む素振りはない。

「…………俺もデメテレを、正規ルート以外で買いたくて探してたって体で話したんだ。譲ってくれるなら、連れに手を出そうとしたのは黙っとくって。そしたら、この『火遊び』にはどれだけ手間がかかってるかって自慢話が始まって…………劇場の部屋を貸そうかって言われた時は、頭に何詰まってるんだろうって思ったけど」

 悪くない手ではある。男に前科があり、そして現場を見られたが故にアルトが果実を手に入れたい理由を自分と同じ使用用途だと決めつける可能性は高い。そうでなければ、襲おうとした女の連れが普通そんな取引を持ちかけはしない。

 そもそもの話、公共施設を犯行現場に選ぶ辺りがリスク管理も何もない。男は偶然初犯が成功して調子に乗ったのだろうが、デメテレの混入と皮を剥いた手指を指摘された事は相応に焦りを植えただろう。共犯の誘いだと勘違いさせ、焦燥を油断へ転じさせるのは有りだ。
 部屋を貸す云々については、男からすると若く容姿の良い獲物を独占しているように見えるアルトを誘い込み、陥れたかった線もあるが。

「部屋の話になった時、窓際の小物入れに穴空けて電伝虫を隠してるから、それも使うかなんて言われて……」

 アルトの爪が、取っ手の縁を引っ掻く。

「…………殴れば、良かったな」

 まるで叱られたような、細い声音が零れ落ちた。
 相手が民間人なら、武力で応じる場合でも絞め落とすだけに留める場合が多いアルトにしては稀な発言だ。

「加害者と被害者がごっちゃにならねェように我慢したんだろ?」
「うん……」
「我慢出来たの偉いぜ!」

 素直に頷くアルトの背中を、掌を置くようにしてシャチが撫でる。

「……でも、ナミちゃんのあんな顔、初めて見た…」
「んっ? 殴って欲しかったのに、とか言われたのか?」
「いや、そういうのは全然……本人それどころじゃなかっただろうし。ただなんか……なんか、殴っ……とけば良かった、なー……」

 義憤に駆られた、と称するには大分弱々しい語調で同じ台詞を繰り返すアルトの頭上を超えてシャチと目が合う。

 今こいつが持て余しているのは反省ではなく、後悔でもなく、不満の感情に見える。
 文字通りの痛い目に遭わせてやれば良かった、などという言葉がアルトの口から出るのは珍しい。普段であれば元凶を片付けた結果で良しとしていそうな出来事である。

「もしナミ屋が回復した後も腹立ててりゃ、昨日の内に拘置所なり留置所なり犯人の居場所をニコ屋が探し出して、雷の一発も落としてるだろ。それか誰も侵入した形跡がねェのにタコ殴りにされてるか」

 思った事をそのまま並べる。
 アルトは束の間、俺の言葉を咀嚼するように瞬きを繰り返すと、緩慢に一度だけ頷いた。

「……やり、そう…」
「アイツ等も海賊だぞ。首の値段どころかよりによって女だ男だって部分で標的にされて、黙ってるタマにも見えねェが」
「それはそう……」
「確かに。それっぽい報道なんにもねェし、ナミちゃんロビンちゃん的にも犯人逮捕されたからオッケーって事なんじゃね? 映像電伝虫の記録あんなら有罪確定だもんな、普通」
「そっか……。……そうだよね。俺、何にこんなモヤモヤしてたんだろ……?」

 小首を傾げるアルトの脇で、もう一度シャチと視線がかち合う。

 互いに何を言うでもなく、それぞれフォークやジョッキを握り直した。
 



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