「"双子酒"の実……」
「デメテレの果実の通称です。果肉や果汁を摂取すると、深酒した時のような発汗、体温の上昇、酩酊感、目の充血なんかが現れるのでこの名前がつきました。真っ赤なライチみたいな見た目してます」

 アルトが指先で示すのは、葡萄ひと粒ぐらいの大きさだ。

「アルコール依存症の患者に対して、酔っ払う感覚は与えつつ飲酒量を減らす対策品として流通はしてますが……そういう効能なので、勿論健康な人が食べるものではありません。まあ、世界的に輸出入が取り締まられてる訳じゃないんで、ある所にはあるんですけど……」

 後半の表現をアルトは暈したものの、言葉の裏を読むなら、恐らくは酒場や娼館で出回っているのだろう。体質的に酒が飲めず、しかし客相手に完全な素面でいる訳にもいかない嬢の手助けになりそうではある。
 それから後は単純に、胸の悪くなる犯罪を行うのに使い勝手が良い代物だ。

「その味を知っていたのなら、アルト君、間違って食べてしまった事があるの?」

 今回、アルトがドリンクへ混ぜられたデメテレの味を正しく感じ取ってくれたからこそ助かった。私達にとっては幸運だったが、過去にアルトも昏倒した体験があるのかと何気なく疑問を向ける。
 するとアルトの視線が壁の方へと逸れ、口元には淡い苦笑いが滲んだ。

「あー……。ローに教わったんです、薬店で買ったの食べて……。船の中だったら直ぐ処置して貰えるから」
「え?」
「予防というか、予習というか。どんな味か分かってれば、もし同じの口に入れちゃっても吐き出すなり出来ますし……実体験以上の教材ってあんまりないので」

 確かにローの能力があれば実現可能な実験ではある。ローとアルトの容姿なら酒場で逆に自分達が何かしら盛られる懸念もあるのだろう。
 一応は肉体に影響が出るものの味を食べて覚えるというのは思い切った手段なので、この二人だから「なるほど」で済ませられる話だけども。

「お蔭で助かったわ。薬店で買えるって事は、普段の買い物の中で知らずに手に取ってしまう可能性は低いのかしら?」
「ほぼ無いとは思います。身体を温めるハーブとかスパイスは安全なのが沢山ありますし、サンジ君やトニー君がデメテレを見つけたとして、敢えて選ぶ事もないかと」
「そう……」

 ナミを苦しめたものの正体が判明し、やっと手元のグラスへ意識が向く。安堵の心地で味わう水は、生の檸檬の清涼感によって口当たりがとても軽やかだ。

「アーモンドに似た、ちょっと香ばしい香りのする辛さが特徴です。中身はアロエとか瓜っぽいんですが、美味しくはないので果汁だけ使われるパターンが多いそうです」
「覚えておくわ。元々辛い料理に混ぜられた場合が心配だけど…」
「あ、それは殆ど有り得ないらしいです。トウガラシとか胡椒とか辛味成分のあるものと一緒にすると、人が食べられないぐらい激辛になるってローが言ってました」
「あまり食べた覚えのない辛さに気を付ければいいのね……、……それにしても、許せない」

 ナミが翌朝までに回復する目処が立った安堵を、卑劣な男への怒りが上回る。
 現場に居なかったが故に顔も名前も分からないが、何の報いも受けさせず野放しにしたくはない。逆恨みされる可能性もゼロではないし、此方の素性が割れて通報されればややこしくなる。

 かと言って今のナミを一人にさせられやしない。見知らぬ男に邪な下心で以て迫られ、どれ程虫唾が走った事だろう。もどかしさに大きな溜め息が漏れる。

「あの男は、ロビンさん達にちょっかい出せないようにはしてきました」

 それまでと変わらない調子で渡された言葉に、自然と俯かせていた顔を上げる。
 アルトは目の前の部屋から誰も出て来ないか探るように数秒扉を見つめると、視線を此方へ流す。

「身元は昼間行ったレストランの、副料理長の弟です。視線の元もアイツでした。店に来た客を物色して、抽選券配ってるの利用して劇のチケットが当たるよう仕向けて、同じ手口で犯行を繰り返してたそうです」
「仕向ける? そんな、くじ引きなのにどうやって」
「劇場に食材卸す契約農家を経営してるコネでチケットが手に入りやすいんですって。あの時もし抽選に外れてても、善意を装って渡されてたんだと思います。不定期に劇場のドリンクカウンターで働く実績重ねて周りの信用を得て、場内を歩き回れる立場になったそうです」
「……その情報は、何処で手に入れたの?」
「さっき劇場で、本人から。俺に現場見られても逃げ帰ってなかったのは幸いでした。ナミちゃんに対しては未遂だし、手の汚れ落としておけば客が酒に酔ったから介抱しようとしたって言い訳出来ると思ってたんでしょうね」

 アルトの『忘れ物』はつまり、男への尋問と釘刺しだったのだろうか。劇場は此処からそう遠くないとは言え、アルトが出かけていたのは一時間ほどだ。

 同盟を組んだ間柄だとしてもあまりに尽力が大きい、と思う一方、早々に憂いを取り払ってくれた事を有難く感じる。
 直接男の頬を引っ叩いてやりたい気持ちは山々だけれど、ナミが残りの滞在を楽しめる事の方が重要だ。

「副料理長は依存症まではいかないけど結構な酒好きで……弟から好みの女性客が来店したのを知らされたら、島の滞在予定や観光スケジュールとかを接客で探って、小遣いと引き換えに教えてたと。共犯の意識はないんでしょうが……」
「そこまで確認してくれたのね……。アルト君、今夜は本当にありがとう。まだ次の島へのログは貯まりきってないわよね? 日を改めてきちんとお礼をさせてちょうだい」

 馬車の中で、直ぐにローへ連絡して私達の一時的なポーラータング号乗船をかけ合ってくれた事もそうだ。受け入れて治療を施してくれたローにも勿論深く感謝している。
 あの時アルトがローの名前を出していなければ私は自然とチョッパーを頼っていただろうし、今頃騒ぎが大きくなっていたかも分からない。殴り込みそうな面子が過半数居るというローの評は、決して的外れではないのだ。

「あ、いや。恩を着せようとやった事じゃないんです。寧ろ俺がロビンさんに昼間ご馳走になった側で…」
「それはそれ、これはこれよ」
「や、でもこう、軽く私情も入ってて。二人にデメテレ飲ませたのは悪質だし最低ですけど、食事とかに何か盛る手口が俺、そもそも大っ嫌いで。それに腹立ったとこもあるし……」

 今しがたまで静かな面持ちで腕を組んでいたアルトが、眉を下げて落ち着きなく両手を彷徨わせる。言いたい事は理解出来るけれど、此方にしてみれば齎された結果が全てだ。

「アルト君」

 一歩距離を詰めると、アルトの動きがぴたりと止まった。

「…はい」
「貴方は優しい人だから、私もつい甘えてしまうけど、貴方に助けて貰って当然だとは思っていないの。その考えはアルト君に対してとても失礼だから。今夜の事も、自分と大切な仲間を守ってくれたアルト君に感謝を伝えるには言葉だけじゃ足りないのよ。気持ちの面でも、正当な報酬としても、お礼を受け取って欲しいわ」
「……。はい」

 首を縦に振る仕種と、私の喉元へ落ちる目線が何処か照れくさそうに見える。本人の性格もあるにせよ、同盟相手だからこそ対価を求めても構わないのにこの態度となると、ローも善意と損得勘定のバランスの取らせ方に悩んでいそうだ。

 ブレスレット型の腕時計を見れば、二十二時を過ぎている。本来の終演時刻なので、ゆっくり船へ戻れば辻褄も合う。

「そろそろ船に帰るわ。この距離なら私がナミを抱えて行けるし」
「途中まで俺も行きます。ナミちゃんの様子気になって一旦戻ってきちゃったので、まだ犯人にトドメ刺してないし」
「トドメ?」

 予想外の単語が眼下の口から飛び出した。「ちょっかいを出せない」というのは自白の証拠を握った事だとばかり思ったが、尋問で終わりではなかったのだろうか。

 アルトが口角を僅かに擡げ、唇で左右対称の弧を描くと、上着のポケットから一匹の電伝虫を取り出した。

「やり方も気分悪いですけど。アイツがナミちゃんを怖がらせたのも、結構ムカついてるんです」




 ◆




「──ロビンちゃん、朝刊が届いたよ。一緒に目覚めのブレンドティーはどうだい?」

 普段は敢えて室内に届くよう大きめの声で呼びかけてくれるサンジも、今朝に限ってはノックと声量どちらも控えめだ。
 女部屋の扉を開けると、サンジは室内を覗く素振りを見せずに隻眼へ気遣いの色を湛えてトレイを差し出してくる。

「ありがとう」
「ナミさんは……?」
「気持ち良さそうにぐっすり寝てるわ。あの様子なら二日酔いもなさそう」
「良かった……! ナミさんが酔っちまうなんて珍しいから心配だったんだ」
「そうね、ナミも自分で驚いてた。起きたら知らせるわね」
「助かるよ。今日はサンジ特製、レディの為の身体に優しいモーニングプレートが待ってるって伝えてくれ! もっちろんロビンちゃんの分もあるぜ!」
「フフ、楽しみ。伝言は任せて」

 片目を瞑って告げると、サンジはスキップでキッチンへ戻ってゆく。煙草の煙がハートを模しているのが器用だ。

 そっと扉を閉め、テーブルにつく。『世界経済』は脇に寄せ、先に国内発行の新聞を広げる。
 ページを捲らずとも、一面に印刷された「国立劇場の闇」の見出しが目に入った。

『二十日未明、果実農園を営むエルドミッド・サリー(三十六)が逮捕された。容疑者は自身の農園でアルコール依存症対策指定食品であるデメテレの実を栽培し、国立劇場でのドリンク販売勤務時に商品へ果汁を混入させ、擬似的な酩酊状態に陥った被害者らを救護室へ連れ込み猥褻な行為を行っていたものとされる。
 容疑者は犯行を私物の映像電伝虫で撮影し、映像を被害者への口封じに利用していたものと思われる。この電伝虫が容疑者の荷物から抜け出して場内を徘徊していたところを観客が発見し、劇場名の塗装などがされていない外見を不審に思い詰所へと持ち込んだ事で事件が発覚した。劇場内の救護室、及び容疑者の自宅からはデメテレの実が押収されている。
 被害者は複数人に及び、アルコール依存症患者に対する世間の印象をも左右しかねない非常に悪質な犯行の為、判決に注目が集まる事が予想される。また場内の一部フロアにおいて映像電伝虫、及び巡回スタッフの配備が不十分であった点について、安全管理の面で劇場側にも批判が────』

 新聞を畳み直し、淹れたての紅茶を一口含む。程好い熱さと渋みの少ないまろやかな香りで、肩の力が抜けた。
 



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