「それじゃ、明日は七時起きでお願いします」
「コンビニとかで買えるモンで欲しいのあったら連絡入れといてくださいねー。今日もお疲れっした!」
「分かったー」
「お疲れ」

 先に脱衣所を出るマネージャー二人に手を振り、寝間着代わりのTシャツへと袖を通す。

 『リュウグウロックフェス』の最終日を前に、開催地周辺からは幾らか離れたホテルにやってきた。一般人の宿泊客もちらほら見かけるが今のところ声をかけられたりはせず、ゆったりと過ごせている。

 候補の中から大浴場を売りにしているホテルを選んだので折角ならと四人で入ったが、夏場が故に日の入りが遅く、大窓の向こうに広がる空の色が橙から紺へゆっくりと変わりゆく様子を眺めての少々洒落た入浴となった。

「刺身美味しかったな……。こんな分かりやすく待遇って変わるモンなんだね」
「評価されたっつう事だろ」
「だよね。嬉しいけど、背筋伸びる」

 去年の『リュウグウロックフェス』出演時も、前日に別のホテルへ泊まっている。ただし手配は所属事務所であるPOHがしてくれた。

 自宅から会場までは車だと片道三時間かかる。当日移動と支度に追われなくとも良いだけで有難かったしそういうものなのだろうと思っていたが、今年は出演打診の時点でアーティストへ提供されるサービスに宿の用意が含まれていたのである。
 前回よりも大きなステージへの出演に留まらず披露する曲数も増えた事といい、オファーする側にとって、BEPOの価値がこの一年で上がっている。こう捉えても自惚れではない筈だ。

 手早く髪を乾かし、手荷物を纏めて浴場を出る。

「思ったよりお湯熱かったね」
「湯冷めするよりいい。寝る前にストレッチだけするぞ」
「うん。あ、フロント寄って加湿器借りてこうよ」

 話しつつ廊下の角を曲がると、長身の男性二名と鉢合わせた。

「ん。お前等も前乗り此処だったのか」
「あ。お久しぶりです」

 先に口を開いたのはロックバンドのパンクロットンでギターを弾くキラーで、会釈すれば頷きが返る。

「相変わらず不健康そうな面してんな」
「相変わらずの人相だな」
「どういう意味だ」
「今お前の頭に浮かんだ意味なんじゃねェか」

 身長が百九十センチを超えるローよりも更に十センチ以上背が高く、アスリートか格闘家の如く鍛えられた体躯を持つパンクロットンのヴォーカル、キッドが寄越した軽口にローが言い返す。

「すまないな、ウチのキッドが」
「いえ、ウチのローこそ」

 キラーと揃って小さく首を振ったり頭を下げたり忙しない。まるで保護者同士のやり取りだ。

 去年の秋にグリーンビット海浜公園において開催された野外フェスでもBEPOとパンクロットンは共演しているが、公演日より前に宣伝を兼ねてゲスト出演したスポーツゲームのバラエティ番組で、ローとキッドは少々馬が合わなかった。

「つうか何だ、二人揃って細っせェまんまだな。そんなんで明日もつのか?」
「自分と比べるんじゃねェよ筋肉ゴリラ。余裕だ」
「ロー、ゴリラはやめなさい」

 そして共演以来顔を合わせるとこの調子である。
年齢もそう離れていないし、活動範囲が若干違うからこそ気を回し過ぎる必要がなく、第三者から好き勝手比較される事も少ないので軽口が叩きやすいのかもしれない。

 初共演となったバラエティ番組も、ロー対キッドの対戦カードになった際に僅差で勝ちを譲り合う攻防が続き、メンバー混合の対抗戦になると「この仕掛けを先に片付けた方が早ェんだから言われた通りに動け」と指示するキッドに対し「俺に命令するな」と跳ね除けるローという、思春期の男兄弟かのようなやり取りをしていたのを思い出す。
 対抗戦の内容は片やモニターで指示とヒントを出し、一方は密室で音声を頼りに複数のミッションを達成する必要のある、制限時間つきの脱出アトラクションだった。

 くじ引きによりローとキッドが同チームになったのは本当に偶然で、挑戦者が焦って慌てる姿も醍醐味のひとつではあるので両者の多少の口の悪さも然して問題にならず、二時間スペシャルの特番だった恩恵を受けてほぼカットなしで放送された。
 俺と居る時のローは滅多に声の大きさやトーンが揺らがない為、多くのファンからは「珍しい姿が見られて嬉しい」と好意的な感想を貰えた。

 ちなみに俺はキラーと組んで自分がミッション挑戦側に回ったが、キラーの指示が分かりやすかったおかげでロー達よりも四十秒以上速いタイムでの脱出に成功している。
 番組自体は最終コーナーのエアホッケー対決まで同点のままもつれ込み、ホッケー自体も同点で引き分けに終わった。

「丁度いい、白黒つけるぞ。奥の多目的スペースにホッケーがあるから付き合え。五点先取で三本勝負だ」
「……良いだろう、汗をかくまでもねェ程直ぐに終わらせてやる」
「ハッ、そう言ってねェで着替え取りに行っておいた方がイイんじゃねェのか?」
「要らねェよ。お前は着替えがあって良かったな」
「あァ!?」

 早足で浴場の更に奥へと進む二人をのんびり追いかける。

「悪いな、ウチのキッドがいきなり……この後の予定に支障はないか?」
「大丈夫ですよ、ウチのローこそすみません、大人げなくて。ああいう絡み方する事あまり無いんですけど……負けず嫌いなとこあるから、キッドさんが気安く構ってくれて寧ろ素が出てるのかも」
「負けず嫌いはキッドもそうだな。昔から身体を動かす事は何でも平均的かそれ以上に出来る奴だから、ゲームとは言え何回か自分を負かしたトラファルガーに対抗心が芽生えたんだろうが」

 キラーと話していると、突然キッドが振り向いた。

「オイ、アシメ! さん付けすんな耳慣れねェ、お前も歳一つしか変わらねェだろうが!」
「俺にアシメなんつう名前の相方は居ねェよ、逆立て野郎」
「だッ、……!? テメェ何すっ、避けんな!」

 キッドの肘をローが握り拳の関節で小突く。上手いこと当たって痺れが走ったようで、キッドが半端に擡げた腕を押さえる仕種をした。
 すぐさまキッドがやり返そうとするがローは持ち前の反射神経で躱している。

「ウチのキッドが重ね重ねすまないな」
「いえ、実際俺の髪型アシメなんで……。ローも言い返しちゃってますし」
「キッドも髪立てるセットで居る事が多いから事実だ、気にするな」
「仲良しですねえ」
「そうだな」

 聞き取られないように小声で話したのだが、何かを察したらしい二人が揃って振り向いた。馬は合わなくとも案外相性は悪くないのかもしれない。



 ◆



 右に左に、白いプラスチック製のパックが目まぐるしく行き交う。
 壁に当たって軌道を変えたパックはゴール手前で止められ、弾き返され、ジグザグに動き回る。ローもキッドも相当動体視力が良いようで中々得点に結びつかない。

「明日三十度超えるらしいですね」
「雨の予報がないのは幸いだ」
「本当に。でもキラーさん達の出る時間、一番気温高そうですよね……マスク大丈夫そうですか?」
「口元はメッシュ素材で通気性を良くはしてある……が、暑いのは暑い。お互い気を付けないとな。お前達が演る頃も暑さは残ってるだろうし」
「俺達の時間帯は観覧エリアにずっと居るお客さんがバテてくる頃だと思うんで、それがちょっと心配で……。そういえばうちのマネージャーが言ってたんですけど、当日ケータリングに『アイスエイジ』出店するらしいですよ」
「聞いた事あるな。楽しみだ」

 カカンッ、と音を立ててパックがゴールへ吸い込まれた。
 電子音と共にロー側の得点表示が変わる。

「キラーさん『アイスエイジ』のかき氷食べた事あります?」
「いや」
「俺も食べたのは差し入れで貰った一度きりなんですけど、氷ふわふわで美味しかったですよ。シロップもそんなにしつこくなかったので、甘いのが嫌いじゃなければ食べてみて欲しいです」

 数年前にシャボンディにある遊園地シャボンディパークへ出店した『アイスエイジ』は、口コミで評判が広まって今や全国に五店舗を展開するかき氷専門店だ。
 果汁を混ぜ込んだ色付きのかき氷に、生のカットフルーツ入りのシロップをかける『極上シリーズ』が華やかな見た目で「映える」と特に人気らしい。
 去年の夏、生放送の音楽番組へ出演した際に司会進行を担う俳優が太っ腹にも出演者全員へ一番人気の苺味を差し入れてくれた。果実そのものの甘さと酸味でさっぱりと食べられたのを覚えている。

 キッドが打ち出したパックが直線を描いて一発で得点した。
 現在三戦目、ゲームカウント一対一、スコアは四対四と、敢えて演出しているのかという程の接戦だ。

 始めは軽口の応酬もしていた二人だが、もう無言で打ち合っている。そしてどちらも余暇にゲームを楽しんでいる形相ではない。
 かなり長い事ラリーが続いた後、ローが決着となる一点を決めた。

「お、トラファルガーの勝ちか」
「二人ともお疲れ様」

 予想外の熱戦だった。つい小さく拍手を贈る。多目的スペースには途中で年配の夫婦もやってきたが、のんびり卓球を楽しんでおり、注目を浴びる事なく楽しめたのは良かった。

 何処となく満足げな面持ちのローと苦々しげに口端を歪めたキッドを連れて元来た廊下を戻る。
 大浴場前に用意された無料のウォーターサーバーで水分を摂るローの横を通り過ぎざま、キッドが首だけで振り向きつつ親指を下に向けるジェスチャーを寄越してきた。
 無言のローが中指を立てる。

「こらこらこら。いやキッドもだけど」

 最早ヤンキーの煽り合いである。相方の手を横から包んで隠すも、キッドは何等言い返さず、にやりと歯を見せて笑った。

「先ずは明日、テメェ等以上に客を沸かせてやる。もののついでだ、テメェ等もノせてやるから遠慮せず楽しめ」
「それじゃ」
「あ、はい。おやすみなさい……」

 自動ドアの向こうに消える二人の背を見送る。

「……最後のちょっと格好良かったな。女の人より男のファン多いの分かるかも……」
「お前はどっちの味方だ」
「あだだだだ」

 相方に旋毛を思いきり押された。




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