瞬きをひとつする間に、猫の髭と見紛う細い筆がするすると流線を描いてゆく。
 薬指の爪に散った大小疎らな水玉は、その上に銀色のラメフレークを孕むトップコートが塗られた瞬間がらりと装いを変えた。

「あ。これ好きです……」
「嬉しい」

 たおやかに笑んだ女性、ロビンが手元の機械へ触れて電源を点ける。
 紫色のLEDライトが灯った内側へ揃えた指先を差し込み、灯りが消えるまで待った後に親指の腹で爪を撫でると、つるりとした肌触りが伝わった。表面に指紋がつく事もない。

 五本の中で唯一ラメの乗った薬指は目を引く。水玉柄を提案された時はどうなるやら想像がつきにくかったのだが、いざ仕上がってみれば華やかながら女性的だとは感じない。ベースが暗い紺色である事に加え、柄の配置などが巧みなのだろう。

「フライングでSNSとかに写真上げられないのが惜しいです」
「フフ、そう言って貰えただけで充分よ」

 ロビンにはもう一年以上、ローと共にネイルの施術と定期的な爪のケアをして貰っている。自身のサロン『オハラ』を経営する傍らCMや雑誌の撮影にも名指しで出張を依頼される、ネイリスト業界では有名な女性だという事はナミを通じて紹介して貰った後で知った。

 俺もローも施術中は殆ど無言になる。ロビンもやたらと雑談をふってくる事はない。
 沈黙が苦にならない柔らかな空気を持った女性で、デザインの引き出しがとにかく豊富にあり、毎回衣装の現物か写真を見せると確実にそれを引き立てる爪にしてくれる。

 施術を頼んだ回数分だけ積まれたその信頼から、今日の撮影も協力を仰いだ。『リュウグウロックフェス』のネイルについても既に予約を取り付けてある。

「ローさん、アルトさん、五分後に始めたいんだけど大丈夫そう?」
「問題ねェ」
「大丈夫です」
「じゃあ五分後で、……わあ、ネイル素敵! さっすがロビンさん……!」

 声をかけてきた女性カメラマンのコアラが俺の手を見て破顔した。
 BEPOが女性ファッション誌に載るのは今回が初めてなのでコアラと仕事をするのも今日が初だが、旧知の間柄だと言うロビンによれば既に雑誌の表紙や見開きページを何冊も撮った実績があり、今後に期待されている人材らしい。

「ローさんのお菓子とかチョコみたい、シックで格好良い。絶対二人の事イイ感じに撮るから任せてね!」

 親指を立てて撮影スペースへ戻るコアラへ会釈を返し、改めてローの爪を見る。

 ベースは黒、敢えて艶を抑えた仕上がりで、親指には俺と同じく金の塗料で描かれた極細の直線が三本連なる。中央には無作為に紙を千切ったような不揃いのラメがほんの少量あしらわれており、そう言われてみると少し値が張るチョコレートにありそうな外見だ。品がある。

「ロー、一枚撮っておきたいから右手貸して」
「ん」

 互いの緩く握りこぶしを作った片手を向かい合わせ、影が被さらないようスマートフォンを傾けて撮る。
 雑誌の発売後にグランスタグラムへ載せようと仕事関連のフォルダに画像を移動させ直していると、コアラから「お願いしまーす」と声がかかった。

 真っ白な布が一面に張られた壁の前でローと並んで座る。
 バチンッ、と音を立てて照明のスイッチが入り、真上から眩い光が降ってきた。

「アルトさん真横向いて、左手で口元隠してローさんに内緒話して貰える? 指、全体的にもう少し反らして……ローさんは視線膝の辺り、そうそう。十秒瞬き禁止ね!」

 ピピ、カシャ、と、ピントを合わせてはシャッターの切られる音が繰り返される。

 今回の主役はネイルだ。ファッションブランド『ミウチャ』が発売する夏限定のネイルパーツの宣伝を兼ねてローの人差し指には貝殻、俺の中指にはアイスクリームを象る青金色の立体的なパーツが乗っている。

 BEPOが媒体を問わず何かしらの撮影に於いて手指へのネイルを欠かした事がなかったおかげで得られた仕事だが、世間ではネイルに対してまだまだ「女性が楽しむお洒落」というイメージが根強い。
 実際俺も自分とは縁遠いものだと思っていた。今の生き方を選択して初めて、手元や指先は日頃の生活で頻繁に目に入るからこそ綺麗に整えられていると気分が良いものなのだと実感したし、女性がネイルを好む理由が分かった気もした。

 当初は自分達の印象付けと他グループとの差別化を図って取り入れた要素だったが、今はファッションとしてネイルが好きだ。二人揃ってオファーを貰えた事が嬉しい。

「アルトさんって今、何処見てた?」
「ローのこめかみ辺りです」
「其処よりもーちょっと目線下げて……あ、ストップ! ローさん右膝立てて、頬杖ついて欲しいな。掌で唇半分だけ隠して。小指と薬指は目に寄せ……て、うん。視線はさっきと同じで。ハイ、また十秒撮りまーす!」

 立つ場所を変えたコアラが再びシャッターをきる。
 ライトの光量や顎の角度など微調整を重ねつつ最初のカットを撮り終え、別のスタッフがパソコンに取り込んだ写真データを実際の紙面に近い状態へと加工するのを眺めていると、撮影に同席するペンギンとシャチがカーディガンを持ってきてくれた。

 短時間でも照明を浴び続けた頭は熱いが、発汗抑制の為に冷房で冷やされているスタジオ内は肌寒い。袖を通さず肩へカーディガンを羽織るとそれだけで体感温度が変わった。

「温かいモン飲むか?」
「まだ大丈夫。でも後で欲しくなりそう」
「ローさんはどうします?」
「次のカット撮ったら貰う」
「アイアイ。しっかし、ローさん色っぺえ〜。こうして見ると二人して睫毛長ェな。持って生まれ過ぎじゃないスか?」
「持って生まれ過ぎって何」

 ローへ羽織物を渡したシャチが液晶を指す。
 画面の中では写真全体がセピア調に変わり、肌と陰影の境がくっきりとして見え、互いの目元に睫毛の影が落ちているのもよく分かった。ネイル部分だけが元の色を保って一層存在感を増している。

「良いでしょ。カラーと単色はどっちの方が良い悪いって比べられるものじゃないけど、私はモノクロとかセピアならではのしっとり感も好きなんだ。勿論二人が上手く表情作ってくれてるおかげも大きいよ」

 一緒にデータチェックをするコアラからそう言われ、幾分肩の力が抜ける。自分の中で明確な完成形のビジョンを持っているが故に指示を出す事に終始して作業を進めるカメラマンも居るが、個人的にはこうしてある程度コミュニケーションを取ってくれる人物の方がやりやすい。

「読者プレゼント用の生写真、これ候補に入れても良いかな?」
「俺は異論ありません」
「俺もだ」
「良かった。もしこれ本採用になったら今回応募増えそう」
「そういうものですか?」
「私が感じた限りでは、の話にはなっちゃうけど、スキンシップ込みの画はやっぱり喜んでくれるファン多い印象あるなァ」
「……確かにこういうリラックスした雰囲気のは、あんま撮った事ない、か?」

 隣のローを見上げれば頷きが返る。

「前回のパンフはツアー衣装だけで撮ったが、次は物販の服着ても良いんじゃねェか」
「あー、アンコールで着替えるの毎回反響あったもんね。あとは実際適当に雑談してるとこを撮って貰ったり?」

 スタッフが次のカット用に撮影スペースのレイアウト変更をする様子を横目に話していると、ペンギンとシャチが身を寄せ合うのが視界に入った。

「聞きました奥さん……あの二人、SNSに上げてるオフショットの顔面がリラックスしてる自覚がないんですって……」
「顔……えっ。いや、SNSのは、そりゃガッツリ表情作ってはいないけど……」
「あらやだ、天然物だわ。天然の仲良しさんよアレ」
「仲良しに天然も人工もなくない!?」
「んまっ、あんな事言ってるわ……守らなきゃ……」
「何から!?」




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