少女Mの逸楽


「ねーねー、見てこれ!」

 とある高校の、誰の物ともつかない談笑の声が雑多に混ざって耳を通り抜けてゆく昼休みの教室内の、窓際の席。
 互いに食事を終えてスマートフォンを弄っていた少女二人の内の片方が、友人の目の前に自身の端末を差し出した。

「んん? 何……えっ、何これ?」
「今しがた通知来たの! POHの公式アカで検索したら一番上に出てくるよ」
「あ、そっか、あんた元々ルッチさん好きなんだもんね。私BEPOのしかフォローしてないからさー。運営限定のとかあるの地味に困るな」
「後でBEPOのアカも同じの載せるとは思うけどねー」

 校則で爪にネイルを塗る事は禁じられているものの、多感でお洒落をしたい年頃の女子高生である彼女達のせめてものセルフケアとして、ベースコートとトップコートだけが塗られた艶のある指先が忙しなく動く。

 程なくして二人の手中の液晶には全く同じツィッターの画面が表示され、一つの机を挟んで顔を寄せながら、改めて文面を読み始めた。

「ほら、此処さ? 『この度、株式会社POH所属アーティストであるBEPOの仕事の様子の一部を現場に居たスタッフが当人らに無断で動画撮影し、且つSNS上へアップロードしていた事が判明致しました』……絶対、先週のストーリーだよね? 何かの撮影っぽかった奴」
「じゃない? まァ私らもつい見ちゃったけど、ホントに盗撮だったんだ? サイッテー。ただでさえBEPOの古参アピあからさまなアカだったし、ローさんもアルトくんも一回もカメラの方見なかったから、エキストラの盗撮じゃないのって最初っから叩かれてたけど……うーわ、スタッフがやってたとか……」

 少女達の脳裏には、先週グランスタグラムで見かけた一つの動画が蘇る。
 BEPOの二人がボディバッグやサコッシュを身につけ、幾らか季節を先取りしたような軽装でデビュー曲のサビを踊る様子を斜め前から映している内容だった。

 画面の外から「カットー!」という男性の声が聞こえたところで二人の動きが止まり、どうやらターンの際にアルトの腕か肘がローに当たったらしく『殴っちゃった! ごめん殴った!』とアルトが顔の前で手を合わせ、『溜まってる不満があるなら聞いてやる』とローにからかわれつつ片手で頬を掴まれて『ありません!』と答える、二十秒弱の映像。
 二人の仲が良いのはインタビュー記事などから伝わってくるが、実際にじゃれあうかのようなやり取りが見られるのは珍しい。先週の昼休みに新着ストーリーの上位ランキング内でその動画を発見した時も、やはり友人と共に机の下で足をばたつかせた。

 あの時の浮き立った気分が、じわじわと萎んでゆく。

 公式アカウントによる投稿でない点には一瞬首を傾げたものの、明らかに何処かのスタジオ内の風景だったのでこういう事もあるのかと深く疑問には思わなかった。

「マウント取りたかったにしても盗撮は引くわ。犯罪じゃないの? てかフツーに考えて、あの二人が共演した女優とかモデルとかでもない女のグラスタに限定ストーリー上げる許可出す訳ないかァ。もしそういうのやるならアルトくん絶対カメラに手ぇ振ってくれそうだし、ローさんだって目線ぐらいくれるよ」
「知らない女の私物のスマホ越しにアルトくんと目が合うとか憤死する……」
「死ぬな死ぬな。あー、何か、何だろ。私ら、盗撮動画見ちゃったのかー……」
「モヤモヤするね……。そういえば公式もアルトくんも、動画上げるなんて呟いてなかったし。えー待って、『本来の予定、意図とは異なる形で今後の活動を一部先駆けてお知らせする事態となり、関係者の皆様に多大なるご迷惑をおかけしております』だって。別に運営が謝る事じゃなくない?」
「それな。あー何だっけあの女のグラスタのアカ、今頃絶対炎上してんじゃん。どんだけ燃えてるか見たい」
「うぅぅー、アルトくんに悪い事しちゃったよォ……この前の呟きに、あの動画観た後だったから『サコッシュ似合ってます』ってコメ送っちゃったよォ……!」

 髪をサイドテールに結び、靴下で隠れるのをいい事に足の爪をアルトのイメージカラーとして使われる事の多い鮮やかな赤色に塗った少女──マデリアが机に突っ伏す。

「アルトくん個別の返信はしないスタンスだし、仮に認知しててもそう言わないタイプだから大丈夫じゃん? 自分の女全員と同じ距離保ってくれてんだから、きっと良い意味で気にしてないよ」
「複雑ゥ……!」

 どちらかと言えばローのファンであるボブカットの友人が比較的軽い語調で返してきた内容に、マデリアは唇を尖らせる。

 最近はファンとの関係性に初めから親密さを取り入れるアイドルも多い。
 結局のところ売れる為、ファンを捕まえておく為だとしても、SNS上でファンアートを載せたり本人のアカウントへコメントを送ったり、何枚もCDを買って足しげく会話や接触の叶うイベントに通う程の熱心なファンにとっては、応援しているアイドル当人に自らの名前と顔を覚えて貰う事が一つのステータスになりがちだ。

 憧れのアイドルが自発的に名前を呼んでくれる。さぞ舞い上がるだろうし、好きで応援しているのだという前提があるにせよ、これまでに要した労力や時間、そして金銭が報われた心地になるのだろう。
 高校生であるマデリアが自由に使える金額には限りがあり、以前別のアイドルを追いかけていた時は、大学生か社会人らしき歳上のファン達がアイドルへ高価な贈り物をして実際に身に着けて貰ったり、握手会で何枚ものチケットを手にしている姿を見ては心底妬んでいた。

 けれどもBEPOは、そうした小競り合いが殆ど起きない。デビュー当時のイベントに参加した事を自慢してくるファンは居るがそれは何処の界隈でも同じだ。
 ライブでもイベントでもプレゼントボックスはポスト型で、基本的に手紙しか贈れない。主にツィッターに投稿されるハイタッチ会のレポートなどを見ても、愛してると言って欲しいだの五秒だけ彼氏になってくれだの、その手の要求は二人共が断りも応えもせず躱している。

 過去二回開催された触れ合いを含むイベントも参加券は抽選販売で、当選しても本人確認があるので友人や親姉妹にチケット申し込みの協力を仰ぐ事が出来なかった。少なくともBEPO会いたさにファンが大量の同じCDを買わずには済むように配慮してくれているが、運が味方しなければ会えない人達なのだと感じられた。ハイタッチ会の抽選当落発表そのものがツィッターのトレンドに入った事もある。

 ファンが周りに何か自慢出来るような、言ってしまえば課金でどうにかなりそうな機会と催しをあまり提供しない姿勢は"推し"と比較的気軽に話せる界隈に慣れきった一部の人間からは不評だが、友人の言う通り、マデリアが今最も熱を上げているアルトは特定のファンを特別扱いして贔屓する素振りがない。

 それ故今のところ他のファンに対して過度な嫉妬を抱かず、また平等感のお蔭でアルトのファンサービスへ不満や落胆を覚えずに日々素直な気持ちで応援出来ていた。
 そうは言っても、いつかサイン会やハイタッチ会の抽選に当たって、あわよくば自分の名前を呼ばれたいし直接感謝を伝えたいという願望は強いが。

「……んっ?」

 端末を持つ掌に短い間隔の振動が伝わって、何かしらの通知を告げてくる。
 いつの間にか消灯していた画面を点け直し、パスワードを入力して────マデリアは勢い良く上体を起こした。

「おしっ、お知らせ! お知らせ!? お知らせされた!」
「え、何? 落ち着きな?」
「BEPOがお知らせ……!!」

 スマートフォンのホーム画面最上部には、ツィッターの新着投稿としてBEPOの公式アカウントのアイコンと、綴られた内容の最初の部分がポップアップで表示されている。
 其処に『BEPOからファンの皆様へ』という一文を認めて、マデリアは期待と不安で情けない声を出した。例えば今回の事態を受けてBEPOの二人までもが謝るような内容であったなら、より居た堪れない気持ちになってしまう。

 しかしマデリアにBEPO、ひいてはアルトからのメッセージを受け取らないなどという選択肢はない。両手でしっかりスマートフォンを握りしめ、指先で画面をタップし、自動的にアプリが起動されるのを待つ。

 そうして現れた光景に、マデリアは慌てて机上に放っていたイヤホンを引っ掴んだ。

「待って待って動画だ、ひぇ……! 沸いたァ!」
「マジで!?」

 ツアーファイナル公演のMCでアルトがコード付きのイヤホンを使っていると聞いた翌日に買った、この真っ赤なコードのイヤホンはお気に入りだ。
 急いで装着し、動画を全画面表示に切り替え、初めから再生する。

『──どうも、BEPOです』

 ライブや番組出演の時とは異なり、左サイドの髪を耳にかけていないアルトが両手を背中に回したまま一礼する。

『えーとですね、この動画が俺達の公式ツィッターアカウントに投稿されるのとほぼ同じタイミングで、BEPOがお世話になってるPOHの公式アカウントからも、ちょっとね、お知らせが。出てると思うんですけど』

 胸の辺りで両の掌を合わせて話し始めたアルトが少し目線を落とす仕種に、画面を真上から見下ろしつつマデリアまで思わず指を組む。

 どう考えてもBEPOは被害者だ。一緒に仕事をしたスタッフが自分達をこっそり隠し撮りするなど、そんな想像を事前に出来る訳がない。
 ダンスの練習前後に撮影したのか、二人共が動きやすそうなジャージ姿である点に注目する余裕も持てず、何も悪くないんだから謝らないで、と内心で繰り返す。

『今回話題に挙がってる動画は、俺達の仕事風景を映したものでした。その仕事の成果として出来上がった物は本来の予定通りの形でファンの皆に見て貰いたいと思ってるし、何よりお仕事をさせて頂いた沢山の方にご迷惑がかかってしまうので、もしね。もし、その動画のスクリーンショットなどを持ってる人が居たら、ネットやSNSにはアップしないでください』
『こっちから出来るのは頼む事だけだ。が、画像を他人に送った場合、その後それがどう扱われるかなんざ把握のしようがねェだろ。個々の意識に委ねられるからこそ、人には送らず自分だけで楽しんでくれる事を願う』

 アルトとローが話す度、無意識に頷く。グランスタグラムに搭載されている、短時間の動画などを投稿出来る『ストーリー』と呼ばれる機能はその内容が二十四時間で自動削除され、更に動画の保存は叶わないのが特徴だ。
 よってマデリアはアルトと似た服を買う時の参考用にとスクリーンショットを撮っていたし、そんなファンは大勢居るだろう。

 そしてきっと、他でもないBEPOの二人がこうして声を上げてくれても、希少価値の付いた画像を持っているとSNS上でアピールして優位になりたがるファンは出てくる。

 せめて自分は語られた願いを裏切るまいと決意を固めていると、ふと二人が僅かに顔を傾けて無言で視線を合わせた。

『ただ、ね。その動画が好評だったっていうのも聞いてるんだよね。俺達あんまり裏側みたいなものって表に出さないし』
『ミュージックビデオのメイキングは基本的にCDの特典として収録してるし、意識の切り替えとメリハリの為に、現場や楽屋に配信を前提としたカメラを入れるっつう事はこれまで考えて来なかった。改めて言うと、現状その辺を検討する予定はない』
『勿論、その分ツィッターとグラスタはなるべく更新していけたらと思ってます。でも俺達の事を知りたい、って興味を持って貰えるのは有難い事なので。ローと色々話し合って、ラジオ番組やろうかって話になりました!』

 固唾を飲んで聞いていたマデリアは、アルトの告げた発表に思考が吹き飛んだ。
 画面の中ではアルトが小さく拍手していて、そのMVやライブで見せる顔とは全く異なる年相応な笑顔に胸中では大喝采が起きているが、突然の告知に頭が着いていかない。

『三十分ぐらいで、基本的にはリスナーさんからお便りを募集して、それに答えるのがメインになると思います』
『現段階では話が持ち上がっただけで、放送の期間や頻度、時間帯だとかの細かい事は今後知らせていく。ラジオアプリでの配信もするだろうから、仮に放送が深夜になっても大人しく寝ろ』
『今のローの発言、リスナーさんに寝不足になって体調崩して欲しくない、って副音声込みです。えー、そういう訳で! 続報をお待ちください。BEPOでした!』

 最後にアルトが笑って片手を振って、動画は終わった。

 のろのろと顔を上げる。向かいの友人の液晶もあと数秒で再生を終えようとしていた。
 そうして同じようにゆっくり此方を見た友人が、真剣な面持ちで口を開く。

「無理。帰りどっか寄ろ。お便り読んで貰えるコツ調べよ」
「それな。あとバイトのシフト増やすわ。めっちゃ高級なイヤホン買って推しの声聴く」
「天才か?」
「はー……もうBEPOしか勝たん……。え、昼休み後どん位? 二周……二周観れるわ、観よ。何か今日、いつもより二人の立ち位置近くて良かったなー。ほぼ腕くっついてたよね? 途中チラッてお互いの事見るの可愛かった」
 



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