◆

「五枚撮る毎に一旦止めるが、それ以外のタイミングで灰が落ちそうになったら言ってくれ。なるべく手早く良いモン撮るよ」
「分かった」

 この数年、服も小物もくすんだ色合いのスモーキーカラーが継続して流行っている。
 俺とアルトが着るトップスもそうだからと、ツーショットでの試し撮りを済ませた後、その名称と関連付けた小道具として火の点いた煙草が渡された。

 背景に真っ白な布が張られているこのスタジオでは、顔から離した位置で煙草を持つと棚引く紫煙は殆ど写らない。実際に吸う必要はないが食んで欲しいというヘンネルの要望に応じて煙草を唇のみで咥え、シャッターが数枚きられる度に目線を置く位置やボトムのポケットに引っかける指の形などを変えてゆく。

 煙草を指の間に挟み直し、立ったままで腹の前、胸元、口元と手の位置を変えて複数のパターンを撮った後、新しい煙草と交換して座った姿勢での撮影に移る。
 煙草には果実由来のフレーバーが配合されていて比較的甘い香りが特徴との事だが、手を動かす度に鼻先へ届くこの匂いを、喫煙者ではない俺は良い物だとは感じにくい。コラソンの纏う香りに慣れているのもあるだろう。

 偶にヘンネルから煙草の角度を指定される以外ではほぼ無言の時間が進み、三本目に着火して更に数枚撮ったところでヘンネルが両手を肩の高さまで挙げた。終了の合図だ。

 入れ替わりで同じ位置に立ったアルトは俺よりも少し肌が白い為、カメラ設定の調整が行われる。
 煙草を口から離し、一先ず手中の火種を消そうと灰皿の置かれたテーブルを振り向いて──あのスタイリストが両手に小さな長方形の箱とライターを持っている様子が視界に入り、足を止める。

「もう撮れるのか」
「おう、これでやってみる」

 ヘンネルの答えを聞き、その横を通り過ぎる。
 手首を返して煙草の向きを逆にし、吸い口を軽くアルトの唇に触れさせた。

「んっ?」

 アルトが幾らか戸惑ったように見上げてくる。

「あの女に甲斐甲斐しく火を点けられてェか?」

 顔を寄せ、五メートル程しか離れていない周りのスタッフに届かない抑えた声量でそう告げると、下方の唇は直ぐに煙草を浅く咥えた。

「うっかり吸うなよ」
「うん」

 ────カシャッ。

 アルトが小さく頷いたと同時に今は聞こえる筈のないシャッター音が耳に届き、肩越しに背後を見遣る。
 いつの間にか斜め後ろヘと移動していたヘンネルが自身の顔の前からカメラを退け、満足げな笑顔と共に親指を立ててきた。

「ヘンネルさん、俺めっちゃ素だったんですけど」
「いやァ? 結構良いよ、これ。アルトくんはローくんと居るとリラックスしてるからな。そういえばローくんの奴は火ィ点けたばっかだったね」

 今しがた撮った写真が表示されているであろう一眼レフの液晶を覗いていたヘンネルが、やや腰を落としてカメラを構える。その場を離れるとアルト個人の撮影が始まった。

 アルトが身体の向きを多少変え、俯きがちのカットを撮る内に煙草の長さが半ばまで減ってくる。
 スタイリストが交換の機を窺ってかそわそわと身動ぐ事が増えてきた折、予備としてテーブルに置かれている未開封の箱と別のライター、携帯灰皿を手に取ると口を開いた。

「ヘンネル、少し待て」

 俺の声に反応したアルトの瞳が此方を見てから、それ等を下投げで続けざまに放る。
 両手で全てを受け取ったアルトもスタイリストの挙動は目に入っていたからなのか、金属で出来たスリムなボトル型灰皿の蓋を親指で押し開けて食んでいた煙草を中に落とすと、唇の動きだけで「ありがと」と象りながら先に灰皿を投げ返してきた。

 二人分ほどの距離を空けて立つスタイリストから視線を感じつつも一切そちらを向く事なく、次の一本へ着火したアルトが放ってきた残りの備品二つをキャッチする。

「怖ェなァ。穏やかじゃねェ目付きで見られてるぞ、ロー」
「知るか」
「ごもっとも」

 隣に立ったサボが笑みを乗せた声色で囁いてから暫くして、ヘンネルが再び手を挙げた。

「うん、イイのが撮れた。じゃあ次は見開きな」

 灰皿片手にアルトの傍まで合流すると煙草を始末してサボへ投げ渡し、見開きページのカットの為に正面まで運ばれてきた送風機に対して斜めに立つ。
 服と髪に動きをつけたいという理由により用意された送風機が主に風を浴びせてくるのは腰から上だが、表紙用の写真ではない為終始カメラを見つめていなくとも良い。

 目が乾いて涙目にならない程度の頻度で時折視線を向ける。
 数回シャッターがきられ、写りの確認をするべくヘンネルが自身のカメラを弄り始める。送風機のスイッチも切られた矢先、スタイリストが小走りで寄ってきた。

「すいませェん。アルトさんの衣装、ちょっと此処の、肩のラインずれちゃったんで直しますね〜」
「あ、はい」

 ふっ、と、甘ったるい匂いが漂う。
 余程最初に吹き付けた量が多かったのか、或いは着け直したのか、香りの強さが挨拶の時と変わらない。

 そうして撮影を再開するも、風が止む度にスタイリストは寄ってきて、シルエットが崩れたと言ってはアルトへ少し触れ、最後に笑顔でアルトを見上げてから離れる事を繰り返した。

 本人は接触を増やして己を意識させる狙いなのか知らないが、間近で幾度も苦手な香りを嗅がされるアルトの口元が、風が収まると僅かに力むようになってゆく。
 その横顔には感情を滲ませずにいるが、酔った事による胸のむかつきは「気分が悪い」と自覚を持ったが故に一層悪化したように感じる事もある。俺でさえ匂いがきついと思うのだから、アルトは既に気持ち悪さを覚えてしまっていても可笑しくない。

 自らも出来映えの確認をすべく手を止めるとは言え毎回中断する時間が延ばされるヘンネルも、進行を見守っているアシスタント達も段々と表情に苦い物が混ざる。ただしスタイリストの父親の影がちらつくのか、頻繁な手直しに口を出す気配はないのが現状だ。
 何をせずとも煙草の先がじりじりと黒く焦げてゆくように、女の指がアルトの肩や腕の線をなぞる度、少しずつ不快感が積もる。

「……オイ。動きのある画は必須なのか」

 片手を挙げて送風機の電源を入れようとしているスタッフを制止し、ヘンネルに尋ねる。

「うーん……出来れば、なァ。二人の着てる素材の違い、軽さなんかも皺の感じで分かりやすい」
「ある程度の枚数は撮っただろ」
「そうだな、良いのも何枚か撮れちゃいる。が……バシッと目が惹き付けられるモンがまだ撮れる気がしてな。すまん、二人共」
「いえ……」
「お前が謝る事はねェよ」

 記憶では、ツアーの最中に複数のインタビューを受けた際に音楽誌用の写真を撮ったのもヘンネルだ。ファイナル公演の会場入り口前で二人並んで撮影された、全体的に青みがかった雰囲気の一枚は割と気に入っている。ヘンネルが心から納得する出来の物が撮れていないのなら強引に切り上げるのは良策とは言えない。

「あくまで動きが付けば良いんなら、この場でサビのワンフレーズだけ踊るからそれを切り取れ。今日は連写の得意なカメラなんだろ」
「踊る? 踊る……。そうだな、自分から動いて生む一瞬のラインってのは中々意図して作れるモンでもねェし、それならオレも試してみてェな」
「サボ、適当な動画の『dancer』を一分十二秒の辺りからスピーカーで流せ」
「分かった。ちょっと待ってろ」

 先程から俺もアルトも表情、ポーズ共に細かく変え続けている。これまでの経験からそろそろデータチェックへの移行が告げられても不思議ではない枚数を既に撮った実感があるにも拘わらず、カメラマンであるヘンネルが気分良く仕事の終わりを宣言出来ないのなら、アプローチの方向性を変えるのも手だ。

 モデル業として経験豊富な訳でもない身で口を出し過ぎかとも思ったが、ヘンネルは気に障った様子もなく応じた。隣のアルトへ視線を遣る。

「勝手に話を進めたが、一発でキメて、さっさと帰るぞ」
「俺の相方が頼り甲斐しかない」

 ともすればこの仕事に気乗りしていないと誤解されかねない発言を口の中で転がすと、アルトが身体を傾けて自分の肩をとん、と寄せてきた。

 アルトは他人に対して警戒心が鈍い面こそあれど、直ぐに距離を縮めるタイプではない。元の家で家族同然に暮らしていた三人と俺、ペンギン、シャチの普段から関わりが深い人間以外には、それなりに仲が良いと言えそうなサボとクザンにさえこうした若干の触れ合いを伴う接し方は自分からはしない。せいぜい耳打ち程度だ。

 初対面から無遠慮にパーソナルスペースを詰めてくる──と一口に言っても相手の雰囲気と言動によって多少は受ける印象に違いも出るだろうが──良く言えば社交的で、悪く言うと馴れ馴れしい人間の相手を得意とはしていないアルトが、こうして自然と身を寄せてくる事が、何だか今日はやけに心地好い。

「よし、流すぞ」
「はーい」

 サボの言葉にアルトが重心を戻す。

 その背に、文字通り無意識で片手を伸ばそうとしていたと、二の腕に触れていた淡い体温が失せた拍子に気が付いた。

 いつの間にかほんの数センチ身体から離れていた自分の手を見下ろし、カメラレンズへ焦点を結び直す。
 濃い疲労や失敗の反省を顔に浮かべたアルトの頭を雑に撫でる事はあるが、その身を抱きたいかのような、腕の中に招きたい感覚になったのは初めてだ。

『──♪ ──♪』

 今日までに一体何度聴いたか、回数などもう分からないデビュー曲の、サビ手前の間奏が流れ出す。
 短く息を吸い、意識を束ねて縒り合わせ、音に添わせる。

 一番のサビの頭に来るワンフレーズはおよそ七秒しかない。実際に歌う時と比べて意識的に正面のカメラを見つつ最後の二秒で右足を軸にターンする。
 景色が一回転し終わる間際、俺の左腕にアルトの手が軽く当たった。力が篭っていないので大した痛みもないが、勢いだけはあった所為か「バシッ!」と乾いた音が鳴る。

 思わず互いが顔を見合わせたと同時、曲が止んだ。

「カットー!」
「殴っちゃった! ごめん殴った!」

 アルトが焦った面持ちで両手を合わせる。

「溜まってる不満があるなら聞いてやる」
「ありません!」

 態とぶつけてなどいないのは百も承知だ。気にするなと告げる代わりに片手でアルトの頬を掴む。汗をかかないよう室内の空調は半袖だとやや涼しく感じる室温を保つ温度に設定されている影響で、思ったより肌がひやりとしていた。

「ローくん、ありがとう。さっきはさっきで良い陰影のものが撮れてたけど、今撮れた奴は良いよ。うん、良い。二人共お疲れ様、今日は終了だ」
「えっ? 表紙用のカットまだ撮ってませんよね?」
「君達さえ良ければ、先に撮ったツーショットの中から表紙を選んでも良いかい? 是非使いたいのがあるんだよ」

 歩み寄ってきたヘンネルの要望に、今一度アルトと目を合わせる。

「俺は構わねェ」
「俺もです。そうまで言って貰えるなら、信じてお任せします」

 これがライブグッズのパンフレット等であったならこの場でデータを確認して、どうしても自分達が納得出来る姿が其処に見つからなければリテイクを重ねるところだが、今回の主役はあくまで服だ。承諾で以て応じると、目尻に皺の寄った顔が嬉しそうに弛む。

「完成を楽しみにしててくれ」

 衣装の一つである腕時計を見れば、時刻は十八時半を回ろうとしている。途中で少し撮影が押したが、それでも予定より早く終わった。このままだとペンギン達と入れ違いになりそうだ。

「アルトの話だともう今日の仕事終わりなんだよな? マネージャーの二人見てねェけど」
「別件の打ち合わせの後に此処で合流する事になってたんです。どうしようか?」
「よっぽど急ぎの用件がありゃ連絡入ってるだろ。この局内の部屋を借りて相談する予定もねェし、何もなければ帰る」
「そうか、じゃあ次会うのはGステの収録日だな。お疲れさん」
「ああ」
「お疲れ様でした」

 サボとそんなやり取りを交わして出入り口へ歩き出すと、方々のスタッフから挨拶が飛んでくる。
 浅い頷きや片手を挙げるなどして応えながらそれとなくアルトを先に行かせ、扉を潜る際にスタジオ内を一瞥する。

 仕事を終えて今から着替えようという相手を衆目の中で追いかけてまでしなを作ったなら周りに眉を顰められる想像ぐらいは出来たのか、あのスタイリストは此方を見つめるのみだ。
 俺の向こうにアルトを探すよう上半身を傾ける仕種がやはり妙に不快で、景色を遮断するべく早々にドアを閉めた。
 



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