「親含め、自分以外の他人に対して一つも隠し事をしてねェ人間なんざ居ねェよ。勿論ウチの連中も俺も何かしら腹ン中に在る。中身はくだらねェモンから重てェ奴まで、人によるだろうがな」

 部屋へと戻ってもやはり顔を上げられない俺に呆れるでもなく、急かすでもなく、ローは俺が首にかけっぱなしにしていたタオルで髪を拭いてくれた。
 誰かにそんな行為をしている場面を見た事がないのに、ローの両手は程好い加減で俺の髪を掻き混ぜる。

 他ならぬローのお蔭で張り詰めずに済んでいる空気の中、どう話を切り出したものか最初の言葉に迷っていると、ローが先に口を開いてそう言った。

 降って来た音の羅列に、固めた筈の決心を柔く揺さぶられる。まだ俺は何も言っていないにも拘わらず、まるで胸中を覗いた上で許してくれているような、自分に都合良く受け取ってしまいたくなる台詞だ。
 嘘を貫くも白状するも、どちらも間違いではないだとか、そんな風に。

「お前は、悪魔の実は食ってねェんだな」

 それから唐突にローが訥々と過去の出来事を挙げ始めた。どれもこれも、俺の"能力"がローにとって有益であったと認めてくれる内容だ。
 こんな時にそうやってかつてない程人を甘やかすローが次に紡いだ確認に、ほんの少しだけ息を吸った。ローに「助かった」とはっきり言われて尚顔を向かい合わせられない俺の情けなさは我ながら女々しいが、しっかり頷いてみせる。

「能力は生まれつき持ってたのか」
「多分。…周りにも、俺と同じ効果のある力じゃないけど、そういうのが使える子は居た」
「…それは正直興味があるな。島の環境だとかが影響してるのか」
「解らない。もう、故郷は無いんだ」

 会話が一旦途切れる。両親の病死は伝えていたが、生まれた地が無いとは言った事がなかった。流石に驚かせたのかもしれない。

 これが俺の最後の嘘だ。この能力をいつどうやって手に入れたのか、その一点。
 念能力の目覚め方と技の開発方法を教える訳にはいかない。こうして芯の部分を暈さなければ、俺は紛う事なき唯一の異端になってしまう。

 出身地に関しても、正直に答えた所で俺の故郷はこの世界の地図に記されてなどいないのである意味嘘と言えばそうだが、二度と帰れない事だけは確かだ。よって事実と変わりないだろうと自分に言い聞かせる。

「そうか」
「……うん」

 悪い事をしている気分にならない訳ではない。だがこれは俺が墓場まで抱えてゆくべき事なのだ。
 俺が普通の人間でも、この世界で言う所の"能力者"でもないと知ったローが俺に対する認識をどう変えようと致し方ないが、能力の根本については明かせない。

 こうして言葉を探してみて漸く判る。
 恐らく俺は無意識下でずっと、自分自身はともかくロー達に、俺が「違う世界の人間だ」とはっきり認識される事が怖かった。
 輪の中に一つ異物が混じっていると気付かれるのが怖かった。
 悪魔の実の能力者だと思われている方が役に立てる機会は多い、と言い訳を見つけて誤解を利用した。

 皆が、ローが俺の"能力"を頼ってくれれば恩返しも出来るから──そんな尤もらしい理由で蓋をした、頭の奥の方。其処に居座っていた「一人」になりたくないという自分本位な欲が、今になってしっかり顔を覗かせた。
 念の罠に嵌まって、生活水準も文化も経済環境も、常識すらもまるきり異なる世界へ飛ばされて、ローに拾われて。当初は適当な島で降りるつもりで居た筈だったのに、ローに海賊に転身するよう勧誘された時、確かに嬉しかった。

 不意に、動きの止まっていたローの掌が後頭部へ添えられたかと思うと、眼前の胸元に頭を引き寄せられた。
 つられて足が一歩だけ前に動き、ローの鎖骨の近くに額が当たる。

「お前を気にかけてるペンギンが水の中にお前を落としても溺れやしねェと知ったら、どれだけ安心するだろうな」
「……っ、」
「言わねェよ、例え話だ。本当の事を知らせてェなら俺達の誤解に気付いた時点で言うだろ」

 急な方向転換を為した話の内容に思わず肩が緊張したが、冗談だったようでローが低く笑った。喉が鳴る僅かな震えが額に伝わる。
 天気が良いとは言え全身が濡れた俺と違ってローは当然体温は下がっておらず、素肌の温かさがじわじわと頭皮にも額にも広がる。

 不安だった。今更気付いた。

 異世界に転送されて直ぐにローと出逢い、以降人の好いクルーに囲まれ退屈とは無縁の日々を送れていたから自覚する機会が無かった。

 けれども俺は、「誰も知らない能力を持っている自分」に対してきっと、漠然と不安を育てていたのだ。

 だから個々の能力の解説は躊躇わなくても、これが何を源とした力なのか言葉にしようとはして来なかった。皆の勘違いに便乗する方が楽だった。

「此処に居ろ」

 思わず顔を上げそうになる。ローの身体と片手に頭を挟まれているので身動ぐ程度に終わったが、前触れなく鼓膜が捉えた言葉は俺の中の、足が竦むような後ろめたさを、簡単に掬いとって何処かにやってしまった。

「お前が自分の素性について黙ってた事には別に怒っちゃいねェ。言ったろ、隠し事のねェ人間なんざ居る訳ねェんだ。それにお前が黙ってた事で何か不味い事が起きた訳でもない」
「でも、ロー、」
「お前は此処に居ろ、アルト」

 仮に本当に怒ってはいなくとも、ローが必要な嘘を認める事の出来る人間である点を差し引いても、決して良い気分ではないだろう。
 そう思って、せめて謝罪だけでもしようと今度こそ顔を上向けた。

 だが真正面から絡んだ視線と、被せて重ねられた一言に、俺の唇はか細い吐息を逃がすだけに終わる。

 俺がこれから先も自らを悪魔の実の能力者だと周囲に誤解させながら過ごしてゆく事を、ローは看過する姿勢を見せてくれた。
 それがどれだけ俺の気持ちを楽にさせてくれたか直ぐには見合った表現が思い当たらない程なのに、この人は更に与えてくれる。

 俺はローと同じ"能力者"ではない。そうと知った上で改めてローが口にしてくれたその言葉に、呼吸と瞬きしか出来ない程の嬉しさが目一杯に胸腔を満たして、腹の底から湧く安堵が遂に、罪悪感を覆ってしまった。

「…………あり、がとう」

 やっとの思いで、それしか言えなかった。
 なのに今音にした五文字では、俺が得た情動と抱えきれない感謝をきちんと伝えられている気がしない。

 何とも歯痒い気分でもう一度礼を言おうか逡巡するも、図ったようなタイミングで今一度ローの片腕に頭を抱きしめられる。

「勘違いされちゃ困るんで、改めて言っておく。能力だけに注目した訳じゃねェ。俺が選んだのはお前だ。お前だから選んだ。……それを忘れるな」

 俺の過去を、出生を、経歴を、今後もこの人を含めた皆に偽った儘生きてゆく。もう俺がハンターとして在れる機会はないのだし、俺が自らの意思で望んで嘘を塗り重ねるのだ。
 その事を後悔する日は来ないだろうが、申し訳なさはいつか再び蘇って、年月をかけて少しずつ俺の内側を蝕む事だろう。

 ただし今日以降、ローの前でだけは、少し呼吸が楽になるのだと思う。

 瞬きをすると、目尻から一粒だけ涙が逃げてローの服に吸い込まれていった。飲み込んだ謝罪が姿を変えたみたいに見えた。

「はい」

 この人の為に命を使おう。
 救ってくれた分に報いられるだけの人間になろう。
 恐らくは人生の最初で最後、こんな感情を抱く事の出来た自分を誇りたい程の静かな幸福感に思考と全身を浸しながら、解けるように綻ぶ唇で返事を紡いだ。

 瞬きをする。熱を持った涙が睫毛を濡らして、頬を滑り落ちてゆく。

 横から伸びてきた、俺のものより少しだけ温かい指先が、それを受け止めて連れて行った。

「ローに、俺の残りの人生寄越せって言われた時、」
「ああ」
「嬉しかった」
「ああ」
「本当に、すごく、嬉しかったんだよ、……ロー……!」


 この人に出逢えた事が、俺にとって最上の幸せだ。
 目元の熱が引いたらそう告げるから、気付くのが遅いと笑って欲しい。





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