ウォーターセブンに滞在して三日目の朝。遮蔽物がなく朝陽が窓から直に射し込んでくる七階建てホテル最上階の一室内、既に開ききった紅茶の葉が残存しているポットの後片付けをする合間にベッド方向へ振り返った。

「今日の優先事項は?」
「食器類の補充だな。マリンフォードで軍艦に狙われた時の揺れで幾つか皿割れたんだろ」
「皿もだけど、ジョッキも何個か。何班に伝えれば良い?」
「三だ。三人か四人でヤガラブル使って買うように言え」
「分かった」

 地形が複雑で面積も広いこの都市は、ハートの半数の人員が数日観光しただけでは地図の半分も把握出来ていない。裏道や近道を熟知していて人懐こいヤガラ達の存在は非常に有難く、皆から口々にその賢さを聞いたローも積極的に乗り回している。

 知能が高いとは言え動物だからか、商店街を通ると好物の水水肉を求めて勝手に露店の前まで泳いでしまうという欲に素直な面もあるが憎めない。
 常に水に浸された状態で売られているウォーターセブン特産物の骨付き水水肉は高級品という程の値段でもないので、駄賃として一つでも与えてやれば一層案内や荷運びに励んでくれるからと、俺以外のクルーもちらほらヤガラに奢っているらしいと聞いた。

「朝ご飯どうする? 食堂に降りる?」
「外に出る。この時間なら確か昨日の店は開いてる筈だ」
「あー、開店九時…だっけ、その辺の時間書いてあったよね」

 個人経営の庶民的な飲食店も数多く建ち並ぶ裏町の一角で昨日、買い出し途中に軽食屋へ入った。ローは其処の味を気に入っていたようだ。
 水水とうもろこしとやらの粉で作られた生地で生野菜や味付け肉を包んだ品は、見た目こそシンプルながら非常に良い塩梅の味付けがされていた事を思い出す。生地の食感はもちもちとした弾力があれど薄焼き故に重たくはなかったので、中身が野菜だけのメニューなら朝からでもさっぱりと食べられそうだ。

 今泊まっているホテルには食堂が完備されているものの、俺達は食事が付かない宿泊のみのプランを申し込んでいて、食堂利用にはその都度代金が必要になる。
 決して安価ではない上に全体の品の半分以上は毎食変わらないビュッフェスタイルの場なので、初めから金を使いに来た観光客はともかく、ハートのクルーでは余程疲れていて外出する気力が湧かない人間しか今の所利用していないだろう。街のレストランや飲み屋の方がずっと良心的な値段である。

「じゃあ支度お願いします」
「ああ」

 そう告げると、目覚めの一杯として淹れた紅茶を飲んでからも暫くは眠たげに瞳を細めていたローは相槌に併せて欠伸を零した。
 胃腸の働きを促すには良い温かな飲み物も、起き抜けの人間からすれば余計リラックスを誘ってしまうのかもしれない。かと言って冷え切った物を飲めば胃が刺激され過ぎる事もあるので難しい。

 シャチを筆頭に「お前ならきっと上手くやれるぜ、船長の目覚まし係!」と妙な期待を寄せられてローと相部屋になって以降、部屋の室温に合わせてモーニングコーヒーならぬティーの温度に悩むのも三度目だ。けれどもローに悩まされた事はない。

 船では皆と違って一人寝が当たり前のローには他人と同じ部屋での就寝がストレスになるのでは、と初日は心配したが、試しに「絶」の状態で気配を薄くして休んだところローも問題なく眠れていた。
 シャチ達が何を思ってああ言ったのか解らないが、結果的には確かに俺が適任であったのかもしれない。買い物と散策で動き回る俺も比較的早く体力の回復が叶うので好都合だ。

 ──パキン、

「、……」
「何…、あっ……」

 洗ったポットを水切り籠の中へ逆さに伏せた直後聴こえた小さな硬い物音に、今一度ローの方を見遣る。光景に何等変化はなさそうで思わず首を傾げたのだが、足元を見下ろすローの視線を追った後で音の正体に気付いた。

 横向きで寝転がる時には少なからず違和感なり痛みなりあるのだろう、ローはきちんとベッドで眠る時は両耳のフープピアスを四つ全て外す。そして起床した際には大概洗顔と着替えの間に着ける事が多い。
 今朝もそのつもりだったのかベッドサイドのランプが置かれた小机には見慣れた金の装身具が乗っていて、しかしその数は三つだ。

 残りの一つはローの足元に転がり、耳の穴に通す一際細いパーツが半ばから折れてしまっていた。

「……取り敢えずあの水水クレープの店行って、食べ歩きしながらジュエリーショップ探す?」










「作業に十分ほどお時間頂戴致しますので、よろしければ店内ご覧になってお待ちください〜」

 愛想良くそう言って会計カウンター奥の工房らしき部屋へ入る男性店員を一瞥した後、視線だけで店の中を見回す。

 商店街から通りを一本横に入った場所に在った宝飾店はこじんまりとしていて、品物を収めたケースや備品がしっかり手入れされている雰囲気の良い所だった。
 ローの壊れたピアスを見せたところ、一旦パーツを根元から切断して新品を熔接すればまた問題なく着用出来るとの返答で、修理代金も高くなかったのでローはこの店に決めた。

 外出するには十分は短い。よって商品を物色して待つ他ないが、時計やベルトはともかくアクセサリーをまじまじ眺めるのは個人的に初めてだ。料理の邪魔になるので指輪はしないし、ネックレスもピアスもあまり興味を持っていない。

「…これさ、ずーっと着けてたら耳たぶ縦に裂けたりしない…?」
「それはねェが、孔が多少は縦に拡がる。そんだけジャラジャラしたモンがぶら下がってりゃ当然だがな」
「女の子って大変だね…」

 S字を描いた、或いはCの形をした金具に、これでもかとビーズが取り付けられたピアスが並ぶボードを眺める。
 適当な一つを手に取ってみれば多少重みがあり、これが細い針金で耳から吊られる上、恐らく動く度に耳元でシャラシャラと鳴って気が散るだろうに、こういった品をお洒落として着ける女性の心理は俺にはよく解らない。少し首を振ればビーズが頬に当たりそうで、想像するだけで煩わしい。

「ああ、でも、こういう奴よりはあっちの方が無くしたりしなさそう」
「…………」

 隣のコルクボードにはハートをモチーフにした比較的安価なピアスが纏めて飾られていた。
 カラーバリエーションが豊富で、立体的であったり平面的であったりと造形の種類も多いが、どれもこれもが米粒のような大きさだ。着ける時に手を滑らせて落とそうものなら果たして見つけられるか怪しい。

 そんな印象から単に雑談として思った事を口にしただけだったのだが、隣のローから相槌が途絶えた。やけに眼下のボードを見つめているので一目惚れした商品でも在ったのかもしれない。

「…お前、」
「何?」
「空けるか? ピアス」


 



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