「じゃあ麦わらボーイを援護するというヴァターシの使命は此処まで! ヒーハ〜! 後のことは任せッティブルけど良いかしらジンベエ!」
「ああ、ワシも未だ自由に泳げん。せめてこの儘ルフィ君の回復まで見届けよう、…何が出来るかは判らんがな……」

 九蛇海賊団の船との合流に併せ、ジンベエとそんな会話を交わしたイワンコフが囚人連中を引き連れ航路を分けて、一日。
 九蛇の船を引く猛毒持ちの海蛇と並走している影響でポーラータング号も海王類と海獣の脅威から逃れられている為、非常事態が起きにくい現状を利用して、かれこれ一時間前からアルトへ刀術と体術の指導を行っていた。

「痛っ!?」
「読み過ぎだ。お前の粗は其処だな…、同じ手喰らってんの三回目だぞ」

 横合いから首を狙った蹴りを受け、勢いを殺し切れず倒れ込んだアルトを見下ろして浅く息を吐く。咄嗟に俺の足と自分の首の間へ片手を割り込ませて衝撃を緩和したが、その手の甲は早くも赤みを帯び始めていた。

 アルトはどうやら動体視力が並み以上らしく、此方の攻撃の軌道や筋をよく見ている。だからこそフェイントにも引っかかりやすく、結果的に俺が振るう獲物を注視するあまり別角度から放たれた蹴りへの反応が遅れる事が相次いだ。
 刀の捌き方を覚える以前に、どんな攻撃であれ先ず避けようとする癖がついているのも問題と言えば問題かもしれない。

「受け止める癖もつけろ、お前の覇気ならその辺の海兵や海軍如きじゃ掠り傷も付けられやしねェ筈だ。得物が衝突する瞬間に"溜め"が生じるのはお互い様だが、お前は得物を手放して相手の想像を裏切る事も出来る」
「分かっ、…あ。そうだ、ずっと訊こうと思っててタイミング見つけられなかったんだけど……ハキって何の事?」
「……あァ?」

 素っ頓狂な事を言い出したアルトに思わず一声漏れたが、鍛練場の床に座り込んだアルトの顔に揶揄の色は見当たらない。ただし気まずさならば存分に透けて見える。
 シャボンディ諸島においてもアルトの指名手配が発覚したあの島でも、恐らく随意に使いこなしていただろう武装色の覇気を、こいつは今までそれが何たるかも知らずに感覚で操っていたとでも言うのだろうか。

 そう疑問が沸いて、しかし直後に思い直す。
 これまでにアルトの口から語られた内容から言って、元々乗っていた船でまともな指導を受けていた可能性は限りなく低く、己を護る為に格闘能力そのものを我流で磨いた線が濃い。
 危険度の高い場に度々放り込まれる環境が覇気の資質を発現させ、師と呼べる人間が居ないが故に本人にはその自覚が無い儘必要に駆られて無意識の内にでも力を成長させて来たのなら、覇気という概念を知らなくとも不思議ではない。

 仮にそうだとするなら、才も並みではない筈だ。現時点でこれだけ扱えるのだから武器へ覇気を纏わせる技も然程時間を要さず習得出来るだろう。

「そう言や、改めて聞いた事は無かったが……戦闘に関して教えを受けた奴は居るのか」
「先生とか師範って呼べる人は、特には。基本的な事は仕事の先輩から教わったけど、その人の元で修業を積んだって訳じゃないし…」
「なら鍛え方も格闘も自己流か」
「うん。手本にした人は居ない」
「…人体の急所を知ってるだけ挙げてみろ。怪我を負わせりゃ致命傷に至らせる場所以外に、痛みに弱ェ部位や神経に影響する箇所も含めてだ」

 告げた内容に、アルトはほんの数秒記憶を探るように宙を見てから、特に困った顔もせず口を開いた。

「額、こめかみ、鼻、目、乳様突起……顎の先端と側面、頸椎、喉仏、心臓、肝臓、腎臓…と、二の腕の骨の隙間、脇下、……えーとあの、あれ、肘の後ろって言うか上って言うか、彼処ら辺の筋肉」
「上腕三頭筋」
「あっ、それ。後…は、みぞおち、膀胱、膝の皿。脛、足の腱、爪先……かな?」

 少し前に訪れた島の図書館で別の海賊と交戦した際、アルトが敵の首裏、みぞおち、喉と的確に急所を選んで攻撃を加えていたのでもしやとは思っていたが、やはり知識があったらしい。急所の種類を覚えただけでなく、実戦でも各部位への攻撃が行える精神力は素直に評価してやるべきだろう。
 みぞおちやこめかみと言った一般的に有名な部位に加え、神経にダメージを及ぼす急所についてまでも独学で学んだのならその意欲も悪くない。もののついでに訊いたが予想以上の回答数だ。

「肩と手首の内側、肋骨も一応急所に含まれる。肩は強打なり刺すなりすりゃ其処から下が動かせなくなるからな。手首は動脈まで切れば大量出血、肋骨も折れて肺に刺さると命に関わる。咄嗟に庇えるように覚えておけ」
「ん、分かった」
「師も居ねェのにそれだけ知ってんのは上々だ、適当に頭を攻撃するのと顎かこめかみを狙って攻撃するんじゃ与える痛手が違う。……で、肝心の覇気だが」

 話を元に戻しながら室内を見回す。鍛練の最中に破損した木刀やゴム製ナイフの残骸が壁際で小さな山を築いているのを見つけて歩み寄り、練習用の木刀を足元へ置いて代わりに適当な物を拾い上げた。
 多少硬さはあれど素材がゴムな為、先端と柄に力を加えると山なりにしなるナイフを胸の高さまで掲げながらアルトへ向き直る。

「名前の通り、気合い、気迫、気配……その辺と同じ代物だ。何か実体を伴う訳じゃねェ。だが俺、そして自覚は無いみてェだがお前のように覇気に目覚めて身に着いている人間は、それを使う事で肉体の持つ力を攻守共に増強させる事が可能になる」

 言葉に併せて両手へと武装色の覇気を纏わせれば、厚みのあるゴムナイフが容易く折れた。
 それを残骸の山に戻し、次に欠損が見られるが先端は無事なゴムナイフを二つ見繕って拾うと、口を半開きにして見上げてくるアルトの向かいに腰を降ろす。

「そうは言っても、目に見えねェからな…結局は感覚的な話になるのが難点だが、お前が今までもここぞって時に気合い入れりゃ使えてたんなら、今後は一層意識すれば良いだけでもある。修業を繰り返せば力自体の成長も出来る。……それから」

 ナイフを一つ眼前に擡げ、アルトが視線を寄越したのを確認してから、使い古されてあちこちから綿が飛び出した分厚いマットレス目掛けて投げる。
 当然ながら跳ね返ったそれが床に落ちる頃合いにもう一つへ覇気を纏わせて再び投げつけると、後者は鈍い音を立ててゴムの切っ先を深々とマットの中に沈めた。

「この力の更なる利点はこれだ。物に纏わせる事も出来る。鈍器なら打撃力、刃物なら切れ味、槍だとか矢の類いなら貫通力を底上げするし、総じて武器の破壊力を補強するのにこれ以上の能力はねェ。通称"武装色"の覇気と呼ばれてる、……オイ、何つう顔してんだお前」

 説明する合間に顔の向きを戻すと、アルトが依然口を開けた儘ゴムナイフの生えたマットレスを凝視していた。
 物質にも付加出来る力だと知らなかったのなら驚くのも頷けるが、俺の能力を目の当たりにした時やベポに出会った時でさえこうも驚愕を露にしてはいなかったろうに、人の観点はそれぞれであると実感させられる。

 



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