「コイツの事も麦わら屋の容態も知らねェ癖してよくもまァ、それだけ強気に口を出せたモンだ。それもこんな夜更けに、部屋の中にまで聞こえる程の大声でな」
「ルフィの傷を治せと言うただけじゃ。此奴にそれを叶え得る力がある事はわらわが体験した」
「へェ。アマゾン・リリーの女共は人に頼み事をする時、相手の都合も考えず高飛車な命令口調で我欲を押し付けんのか。今後の航海で立ち寄る島々の連中に教えといてやるよ」

 ローの言い様は咎め立て、というより嫌味だ。
 けれどもハンコックは鼻先数センチの距離に突き立てられた刀にもローの眼光にも怯まず言葉を返すので、次第にローの双眸が細まって口角が上がり始める。明らかに内包している苛立ちが増したと見てとれる両者間の空気は大変悪い。

「…無礼者め。わらわはただルフィの為、彼の一刻も早い回復と目覚めを願っているだけじゃ」
「麦わら屋さえ助かりゃアルトの事はお構いなしか。一途な事だ」

 ハッ、と短く息を吐き出すような薄笑いを伴って紡がれたローの皮肉はなかなか辛辣だ。この文脈で"一途"と言われてしまえば流石にハンコックも腹に据えかねてか眉を寄せ、素早い所作でその場に立ち上がった。

「わらわを誰だと思うておる、口が過ぎるぞ若造。貴様がルフィの救命に携わってさえいなければ即刻石へ変えて蹴り砕いてやるものを」
「テメェは口の減らねェ女だな。何の権利がある訳でもなく俺の身内に無理を強いておきながら、更に上から物を言えるとは……余程面の皮が厚いらしい」
「あーハイハイえーっとちょっと、ロー落ち着こう、いや落ち着いてるかもしれないんだけど、昨日からずっとルフィとジンベエの治療にあたってて疲れてるもんね!? ホントもうずーっとルフィの容態気にして経過観察してくれてるし!?」

 堪りかねて間に入った。恐過ぎて。

 これまで何度か顰めっ面をしたローから注意や説教を受けた事はあったし、最近は何度か戦闘に関わる事が相次いだので厳しい表情も珍しくはないが、これは恐い。俺は今までローを"怒らせた"事は無かったのだと今知った。
 ローの眼差しも声色も底冷えした凄みを孕んでいて、声が荒げられた訳でも怒気が俺に向けて放たれた訳でもないのに、俺の臓腑が縮み上がりそうである。

 取り敢えずローの現在に至るまでの努力と事実を強調して言葉にしながら、ハンコックと向かい合う形で二人の間に割り込む。
 言葉の内容か、それとも俺の顔が引き攣っているのか、ハンコックの瞳が憤慨の影を少しだけ潜めて此方を見下ろしてきた。

「姫様も何卒、船長の発言も含めまして現状ご容赦ください。貴女様の心痛を和らげる助けになれず申し訳ありませんが、俺の力は今のルフィには使用させられない物なんです」
「……理由を話せ。そなたの口からじゃ」
「ならば他言無用で願えますか。指名手配の身ですので、手の内が万が一にも余所に知られれば困ります」
「聞き入れよう」

 第三者立ち会いの元言質が取れたので、肩越しにローの方を振り向く。
 話しても構わないか、と言外に問う意味を込めて首を傾げると、不機嫌な様相は隠さないながらも小さく顎を動かす仕種で会話を促してくれた。

「俺の力は、傷を元通りにするのではなく、あくまでも肉体の自己治癒を強制的に速めるものです。操れるのは速度のみでして、不足している血液や栄養分を補う事は出来ません。ルフィは輸血こそ終えていますが全身の疲弊が著しく、怪我の数も多く、それに伴い体力も低下しているので……今ルフィの身体は、点滴で得た栄養を生命維持の為に消費するので精一杯だそうなんです。言わばエネルギー不足な状態で無理に治癒力を高めさせれば、却って全快するまでの期間が長くなる恐れがあります」
「…傷さえ癒せば、その分早く回復するのではないのか?」
「傷が治る為の土台がそもそも今は脆いっつってんだろ、コイツが力を使おうにも使えねェ程麦わら屋にダメージが蓄積されてんだよ。分かったら部屋へ戻れ、そんな格好で彷徨つかれて風邪でもひかれた日には俺の仕事が増える」

 向き直った俺が言葉を重ねる毎にハンコックの面持ちが痛切さを帯びて、目線がまたもや俺達の背後の扉へと向く辺り、余程ルフィが心配なのだろう。恋慕う相手が意識不明の重体となればその心中は焦燥と不安で埋め尽くされている事も想像に難くない。
 けれども、正直ローの意見に賛成だ。言い方にやはり棘が生えているが、俺もハンコックに風邪をひいて欲しくはない。

 粗雑な口調で寄越された言葉にハンコックは形の良い唇を引き結んで真っ向からローを睨み返し、次に惜しむような目つきで手術室を一瞥した後、踵を返した。ヒールの音と、蛇の身体が床と擦れる微かな音が混ざり合って静けさの満ちる廊下の空気に介入する。

「それと。次コイツに何か無理強いしやがったら、両手足斬り落としてやるからな」

 やめてください。誰より俺がそう思うが、冗談の気配が窺えない冷えた声色で述べるローにその一言を寄越す度胸がない。ハンコックに釘を刺してくれるのは有難いが、何もそんな電柱レベルの太さの釘で脅さなくとも良いだろうに。

「貴様と違って其処の男の言動には品と敬意が覗く。そやつが力は使えぬと詫びたのじゃ、これ以上の催促はせぬ」

 どうやらハンコックの中で、ローの好感度が底辺まで落ちた代わりに俺の印象は上向いたらしい。一旦歩みを止め、俺の方を向いてそう返事をしたハンコックが淀みない足取りで廊下を進んで階上に消えると、傍らのローが深く溜め息を吐いた。

 刀の切っ先が床から離れ、逆の手に在る鞘へ鋼の擦れる音を連れて収まる。鍔が鯉口に触れる澄んだ一音が宙に溶けた。

「お前が謝る必要なんざなかっただろ」
「ああまで言い合ったらもうお互い様って言うか、両成敗だよ。けど姫様を本気で怒らせて国に着いた途端に国民から総手で白眼視、とかなったら困るし、一応はあっちを立てないと」
「……面倒くせェ」

 今一度ローの口から吐息の塊が生み落とされる。すっかりハンコックに嫌われたであろう我等が船長と、手中に在るすっかり湯気が失せて表面に薄い膜を張ったホットミルクのそれぞれに、俺もまた苦笑を零すしかなかった。

 



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