「せっ、船長ォ! どうしましょうヤバいです女帝が美しい!」
「今手が空かねェ、睡眠導入剤なら五番の引き出しだ」
「いやオレ睡眠不足で可笑しくなってる訳じゃないんで! ふ、浮上先で軍艦が待ち構えてて、でも何でか"海賊女帝"ボア・ハンコックが降りて来て、"麦わら"の現状を教えろって迫るんですよ…!」
「……あァ?」

 白昼夢でも見たのかお前は、と問うてやりたくなるクルーの報告内容に、"麦わら"のルフィに投与した薬剤のグラム数を記入していた手がつい止まった。
 現在この部屋で眠らせている"麦わら"とジンベエ、ついでに消耗が見られたアルトにも濃度が低めの睡眠薬を投与してあるがそろそろ効果が切れる頃合いであるし、患者の上で声を張るという行為は憚られる。

 一先ず手元の羊皮紙に走り書きで明記するべき事項を綴り終え、口布を外してゴミ箱に放る。手術用具を乗せたワゴンの下段から清潔なタオルを手に取りつつ、鬼哭をその場に置いた儘で手術台を離れた。

「頭から説明しろ」
「五分ぐらい前に船が浮上したでしょう? そしたらほんの数十メートル先に軍艦が在って。何故か砲撃してくる気配ねェし妙に静かなんで双眼鏡で覗いてみたら、乗組員の海兵全員が……石像? みたいに固まってて。見た目がまんま石なんです。で、何だアレ、って船長に報告に行く足が皆して止まっちまった所に、七武海の"女帝"がこっちの甲板に飛び移って来たんスよ! いやーもう戦女神が舞い降りたかと思うような光景…」
「で、麦わら屋の状態を教えろと?」
「ええ。無理に艦内に入ろうとはしねェんですが、引き下がる気配も全然…。ルフィは無事か、ってそればっかりで、目的が見えねェんスよ。さっきまでの戦争じゃあ一応海軍サイドだった"七武海"が何でそんなに"麦わら"を気にすんのか分かりませんし、"女帝"だけ無事ってェ事は石像も彼女の仕業かもしれんでしょう? 扱いに困っちまいまして」

 其処まで聞き終え、足を動かす。
 廊下に出た途端自分の周囲を覆う空気が一変したような感覚に見舞われ、思えばああも濃い血臭が漂う空間に半日も閉じこもっていたのは久方振りだと気が付いた。いい加減麻痺してしまっていた嗅覚が戻ってくる。

「本人がそれしか言わねェんなら本当に安否確認しに来たんじゃねェか。理由までは知らねェが、仮に死んで欲しいなら強行突破なり強襲なりしてるだろ。現に待ち伏せは成功されちまった」
「えっ…、"女帝"が、"麦わら"一人の為だけに…?」
「今は誰が女帝屋の相手をしてる」
「あ、ベポとペンギンとシャチが、正面入り口で足止めを。特に騒がしくもないから問題は起きてないんでしょうけど…」

 階上への階段を昇る合間に会話を続ける傍ら、予想外の来客に溜め息を吐いた。半日かけた長期戦の手術を終えたばかりで初対面の"七武海"の相手とは流石に億劫だ。
 ましてや向こうは一国の主で、それ故の高慢さを惜しみなく発揮されでもしたなら今の俺は疲労もあって割と簡単に苛立ちが頂点に達するかもしれない。ただ"麦わら"の状況を述べるだけで退いてくれるなら此方としても有難い。

 行き着いた正面甲板の扉をクルーが先に開けた。
 途端、射し込む朝の陽光が幾らか目に沁みる。前腕から手首にかけ付着した血をタオルで拭いつつ一歩進むと、甲板に佇む黒髪長身の女とピンク色をした斑模様を持つ大蛇が視界に入った。扉の開閉音に反応して振り返った顔はなるほど、確かに造りは上々だ。

「キャプテン!」
「やれる事は全部やった。オペの範疇では現状命は繋いでる、──だが有り得ない程のダメージを蓄積している。まだ生きられる保証は無い」

 要点を纏めて告げれば女帝の眉間に浅い皺が寄った。少し睫毛を伏せて唇を引き結ぶ様が妙な説得力を伴っていて、略奪行為を許された"七武海"がよもや本当に"麦わら"の生死確認の為だけに単身乗り込んで来たのかと感嘆に近い感想が生まれる。俺もまた人の事は言えないものの酔狂な女だ。

「それは当然だっチャブル! ヒィ〜ハ〜!」
「そうさ、麦わらは頑張った!」
「あいつのお蔭で脱獄出来た!」
「何だあいつ等!」

 突如として賑わい始めた軍艦の甲板を何事かと見上げると、果たして常人の何倍か目測が難しい程に巨大な頭部を持った男──随分と特徴的な容姿には見覚えがある──革命軍幹部、エンポリオ・イワンコフを筆頭に、風変わりな出で立ちの集団がずらりと船上に並んでいた。

 あれ等は誰だ、と同乗してきただろう女帝に目線で問うと「インペルダウンの囚人達…、ルフィの味方のようじゃ。軍艦に忍び込んでおった」との返答が寄越される。
 どういった経緯で"麦わら"が要塞監獄の囚人連中と知り合って且つ味方に引き入れたのか知らないが、敵意や戦意は見受けられない。丸腰で応対を続行しても問題はなさそうだ。
 
「麦わらボーイはインペルダウンで既に立つ事すら出来ない体になってたのよ! よくもまァあれだけ暴れ回ったもんだっチャブル! それもこれも全ては兄、エースを救出したい一心! その兄が自分を守る為、目の前で死ぬなんて…神も仏もありゃしない……! 精神の一つや二つ崩壊して当然よ!」

 存外軽やかな所作で此方の船の手すりに降り立ったイワンコフの口から、思いがけず新しい情報がもたらされる。
 マリンフォード近くで傍受した海軍内の通信内容からして"火拳"が命を落とした際に"麦わら"が現場に居合わせた事はほぼ確実だろうと予想してはいたが、思っていたより精神にも負荷を負っていたらしい。

 先程から騒いでやまない囚人連中の歓声とも声援ともつかない無数の言葉を聞き流していれば、イワンコフと改めて視線が合う。

「ところでヴァナタ、麦わらボーイとは友達なの?」
「……いや。助ける義理もねェ…、親切が不安なら何か理屈を付けようか?」
「いいえ、いいわ。直感が身体を動かす時って在るものよ」

 胸の前で腕をバツ印に交差させて笑むイワンコフの言い様に、此方も一つ頷くだけに留まる。流石に長く海に居る猛者だと物分かりも引き際も良くてやりやすい。

「おい、待てって! ジンベエ…!」

 背後の扉が開き、別の声が場へ割って入った。
 其処に本来出歩いているべきでないジンベエの姿を視認して、その呼吸の荒さに無意識ながら溜め息が出る。アルトの助力があったとは言えまだ立ち上がるにも苦労する容態の筈だ。

 止めたくともジンベエが依然重傷であるが故に止めきれなかったのか、弱った顔をしたクルー達が数人後続して甲板に現れ、二番目に出て来たアルトも同様に眉を下げて窺うような眼差しを向けて来た。
 相手は重体であれど"七武海"で、引き留められずともそれを咎めやしないのだが、あいつの心中に在る俺の人物像は鬼の形相でもしているのだろうか。

 



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