ダンダンダン、と階段を駆け降りる足音が離れた位置から聴こえる。足音は荒さを保った儘此方に近付き、クルーの一人が内側から扉を開けるとジャンバールとベポが顔を出した。
 途端、鉄錆のそれに酷似した濃い血臭と、たんぱく質が焼ける嫌な匂いが鼻をつく。

「うわ、酷ェ…!」
「コイツ七武海の"海侠"のジンベエじゃねェか!? 何で此処に、」
「オイ"麦わら"! ジンベエ! 返事しろ、意識在るか!?」

 シャボンディで関わったハチと同じ魚人族なのか随分と大柄な体躯と特徴的な鰭にも似た部位、加えて牙を持ち瞼を閉ざした青い皮膚の男も、白目を剥いているルフィも、赤いペンキを浴びせられたかのように全身が血塗れだ。

 傷口が何処に幾つ在るのか咄嗟には判断し難い程に、衣服の大半の面積が真新しい鮮血に濡れ、水分を吸い込みきれなくなった布地や素肌を晒す四肢を伝って、断続的に丸い血の雫が落ちてゆく。こんな有り様を見ればローの声色も硬くなって当然だ。

 ジンベエと呼ばれた男をジャンバールの腕から引き取って数人がかりで運び、ベポがルフィを寝かせている隣で隣接する手術台に横たわらせる。
 程なくして新たに複数人分の足音が耳へ届き、シャチとペンギンに続いて麦わら帽子を持ったローが入って来た。

「船長、二人の血液型判りました!?」
「こっちの手に渡った時点でどっちも意識不明だった、取り急ぎ表検査で判定する。坑血清試薬を用意しろ」
「じゃあオレ五班のとこ行って取って来ます!」
「アルト。血液型の判定結果が出るまでの間、コイツ等の体力回復を頼めるか」

 ルフィが被っていた筈の帽子をシャチに預けるローの発言に、重体の二人を見る。
 既に事切れていないのが却って不思議な位傍目にも危険な状態なので念の発動を惜しむつもりはないが、一つ気掛かりな点があった。

「その結果、出るまでに長くかかる?」
「いや、数分だ。何かマズいのか」
「俺の回復能力、二つ条件があって。一つは前にローに話したけど、相手の素肌に俺が素手で触る事。二つ目、対象を回復させて一旦技を終了させると、もう一度同じ技を使うには、前回の発動から十倍の時間が経過している必要があるんだ。だから一分間だけ二人を癒せば十分後にまた能力は使えるけど、作用時間を三十分とかにすると、その後六時間は回復させられなくなるよ」

 "有限の蜜(セルフチャージ・パナシーア)"はこれまでに図書館で一度、シャボンディ諸島からの脱走時に一度、ローに対して発動している。

 二度目は回復開始からものの数秒でローに勘づかれ、且つ強制中断させられたのでその後直ぐに俺自身の回復が可能だったのだが、説明をせずに短い間隔で使用してみせた事でノーリスクな能力に見えたのだろう。
 相対する瞳が思案気に細まる様に申し訳なさを覚える。今となってはハートの為に使う能力でもあるのだから、きちんと詳細を話しておくべきだった。

「なら、容態が安定するか、せめてそれぞれの致命傷の処置が完了するまで発動し続けた方が良さそうだな。最長でどれぐらいもつんだ」
「過去に冬場の山岳地帯で、自分の体力をじわじわ維持させながら六時間……もっとかな? それ位過ごした事はあったけど…」

 俺の過去に話が及んだ途端、視界の端で作業をしていたペンギンが何故だか勢いよく此方を振り向いたが、声がかけられないので一先ずスルーさせて貰いながら改めて患者を眺める。

 ルフィはともかく、身の丈がベポ並にありそうなジンベエを「周」で覆うとなると相応の量のオーラが要る。
 人間二人へ同時に技をかけた事も無い上、これ以上外傷と痛みのショックに身体が負けないよう全力で能力を使うとなると、何時間粘れるのか自分でも見当がつかない。ただでさえ念の応用技は消耗するのだ。

「…ごめん、此処まで重傷な相手を二人纏めて対処した事がなくて予測が立てにくい。限界感じたら言うよ」
「ああ、そうしろ。仮にお前に余力が残っている段階でも、バイタルサインが安定すりゃ能力は解除させる」

 三角形に畳んだ大判のガーゼをマスクのように口へ宛がって後頭部で両端を結ぶローに、ベッドの間に在る椅子を目線で指される。
 ペンギンから手渡されたガーゼを同様に口布として自分の顔面の下半分を覆いつつ、一度深呼吸をした。











 ローの行う"手術"は、俺が元居た世界で小説やテレビ番組などを媒介に見知っていたものとは幾らか違った。患者二人に呼吸器から輸血器具、止血帯までを一通り装着させて麻酔剤を打ったかと思うと、二人の身体で最も損傷が激しい部位を自分の能力で切り出してしまったのだ。

「この方が俺の疲労と負担が少ねェ。患部が常に手元に在れば、施術の為に腕を伸ばし続ける必要がなくなる。特に海侠屋は図体がデケェからこうしねェとやりづらい」

 目元だけでも明らかに驚きを表に出してしまった俺に向けて述べられたローの言葉に納得はしたが、二人の身体の体積分にプラスしてローが手元に置いている患部にまで「周」の範囲を拡げなければならなくなった為、オーラ操作の調整を要した。
 医学的な意味合いでの人間の内部は決して見慣れていない俺はそれ以降の執刀光景を見ていられず、ルフィとジンベエの手を両手で握りながら瞼を閉じて能力発動に専念する。

 そうしてどれ位椅子に座り続けていただろうか。
 瞼を伏せてひたすらオーラを放出し続けるという「堅」の修行に近い状態を維持し続ける最中、不意に肩を叩かれて反射的に顔が上がった。

 存外近くに居たペンギンの顔が視界に入り、それまで意識の外にあった汗が頬を伝う感覚が明瞭になる。集中を弛めた所為か倦怠感も自覚した。

「アルト、一旦休め」
「え。でも、」

 思わぬ言葉に隣を見る。ジンベエの左胸に在った熱傷気味の大穴は処置が完了したのかガーゼで覆われ、細かな傷をクルーの皆が軟膏や脱脂綿片手に手当てしている。
 今の状態で「凝」をして自分のオーラを少しでも他の箇所に流すのは勿体ないのでジンベエのオーラを視認しての判断は出来ないが、治療をしているという事は、即ち命をとりとめたのだろう。これならジンベエに触れている手は離しても大丈夫かもしれない。

 首を捻って反対側を見れば、ルフィの手術は続いていた。既に手術台に付着した血液は酸化が進んで浅黒く乾いているが、ローの手元には鮮やかな新しい血が付いている。
 ローがジンベエの治療を終えてルフィに着手したばかりならば俺が能力を解くのは不味いだろうに、と今一度ペンギンを見上げると、ジンベエの指を掴む俺の手がそうっと外された。

「大丈夫だ、ジンベエは一先ず峠は越えた。普通なら死んでいただろう大怪我だし、筋肉が厚いのと、ギリギリ心臓は抉れてなかったお蔭でどうにか…って感じではあるんだけどな。"麦わら"の方も、ちょっとした切り傷や打撲は船長がジンベエ治療してる間に俺達で手当てしてある。お前が二人の体力補充し続けてくれてたから、容態が急変する事も無かったよ」
「寝ておけ。お前が手を離した途端に麦わら屋が危篤になったりだとかはしねェし、お前も結構な顔色だ。手術が終わった後でまたコイツ等の回復が進むように能力を使って貰う事になるだろうから、今の内に休め。ご苦労だった」

 重ねて此方を振り向いたローからも促され、力の抜けているルフィの片手を見下ろしてから、繋いでいた指を離す。即座にルフィを覆う俺のオーラは消え去り、解放感と脱力感に思わず項垂れた。

 どれ位の時間が経ったのか分からないが、やはり二人同時に回復させるのはなかなかにハードであったらしい。対象者に疲労の度合いを尋ねられないだけに、念の為常に七から八割以上の力で技を使わなければならなかった点もキツいものがあった。

「持続力には、ちょっと自信あったんだけどな…」

 俺自身に発動する際は、疲れてからではなく疲れきる前から発動して疲労の蓄積を防ぐような使い方が多かった"有限の蜜(セルフチャージ・パナシーア)"だが、体内でオーラをきちんと練った上で使えば、数時間山登りをして疲労困憊な一般人相手でも一分弱ぐらいの時間でほぼ完全に体力を取り戻させてやれた。
 元の世界で珍味である山菜獲りの登山ツアーのガイドを請け負った時、疲労を訴えた十数人の客を相手に一人あたり能力を三十秒発動しては五分休憩、という事を対象の数だけ繰り返したのは流石に多少消耗したものの、今のように大粒の汗をかいた記憶は無い。

「二人とも随分な疲労を身体に積んでたみたいだし、その所為じゃないか? ジンベエはインペルダウンの最下層に投獄されてたって話だから拷問でも受けてたかもしれないし、"麦わら"は何があったんだか全身に満遍なくダメージを負っちまってる。おまけに酷い出血量だから回復も遅いんだろう」
「………そっか、…」

 椅子の背凭れに寄りかかりながら呟いた言葉に、ルフィの指の擦り傷へ薬を塗り込むペンギンが答える。
 気が抜けた影響なのか急速に生じる強い眠気に逆らえず、重みを増した瞼を必死に瞬きさせながら話を聞く。

 投獄、という非常に物騒な単語が何でもなさそうな声色で聞こえた気もしたが突っ込む余裕は俺には残っておらず、睡魔に誘われるが儘視界を閉ざした。

 



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