「船長、どうする…いえ、何をするつもりです」
「浮上先で麦わら屋を拾う。巧く鉢合わせられりゃの話だがな」

 その予定を博打だと思ったのは俺だけではないだろう。
 湾頭の、それも陸地に居る人間を乗せられそうな位置に顔を出すなら、シャボンディで見ていた映像を参考にする限り浮上先には先ず軍艦が至近距離に在る筈だ。どの船も海賊との交戦場と化していたが大砲の一つ二つぐらいは無事かもしれない。

 撃ち込まれた場合、被弾前に確実に対処出来るのはローだけである。俺もキャッチボールよろしく受け止めて投げ返しても良いが、近付いた瞬間に爆発すれば怪我をしなかったとしても爆風の煽りは受けてしまう。
 加えて今日の為に選りすぐられた海兵も其処かしこに居るのなら、ハートの船が集中砲火に遭う可能性とて低くはない。

 ローがそうしたいと言うのならその考え自体には反対だとか気乗りしないだとか否定的な意見は浮かばないが、ただでさえ先日の"天竜人"絡みの件で海軍から目をつけられている状況が改善されていない中で、態々マリンフォードまで出向こうと決めた理由が俺には推察出来ない。

「そもそもさ、ローは何でルフィを拾いたいの。俺達が到着した時にあの子がまだ生きてたら戦場から逃がしたいって事だよな? 成功すれば恩は売れるとしても、その事が見返りとして釣り合うとは思いにくいんだけど」
「別に大層な理由はねェよ。今回の件で死なせるには惜しそうだってだけだ」
「ふうん。そっか」

 分かった、と頷いて室内備え付けの簡易キッチンに向かう。ローの返答を受けて幾らか緊張が解け、思い出したように喉の渇きを自覚した。給湯場と室内を隔てるカウンターに置きっぱなしにされているやかんを持ち上げれば重みが感じられたのでその儘火にかける。

 続けて茶葉を用意しようと保存食の瓶詰めが並ぶ背の低い棚に向き直ると、カウンターを挟んでシャチが前のめりに上体を傾げていた。

「いやいやいやアルトクン!? そっかって何だよそっかって!」
「え、俺はただローが仲良しって訳でもないルフィを態々助けに行く理由を知りたかったから、あーそうなんだーって…」
「そうなんだ、ってお前なァ…」
「納得したのか?」

 言葉を探しあぐねるように眉を下げて襟足を掻くシャチの後方、壁に背中を凭れさせているペンギンから飛んできた問いかけに視線の位置を移す。
 ペンギンの表情は別段困惑にも怪訝にも染まってはおらず、けれども大分不思議そうな顔をして俺を見ていた。

 クルー達の戸惑いや不安の想像が、全くつかないとは言わない。返す言葉を、表現を、俺の内心をどうやって音に置き換えるかを頭の中で考えつつ何となしにローへ視線を遣る。
 照明を受けて透明感のある薄灰色の瞳とかち合うと、若干の懸念すら蒸発してゆくような錯覚を得られた。

「まあ、顔見知り程度の関係の、ゆくゆく衝突はするんだろう海賊団の船長一人の為にこっちが命張るのはちょっと心配だけど」
「だろ!? ちょっとじゃねェよ大いにだぜ!」
「でも、助けたくなっちゃったモンはしょうがないんじゃないかな。ね、ベポ」
「キャプテンが助けたいって思ったんならおれも手伝うよ!」

 俺がそう口に出してベポの賛同をも得ると、正面のシャチが少しだけ目を見開き、それから眉尻を下げて、僅かに開かせていた唇をゆっくりと閉じた。
 ローに個人的な思惑や理由が存在している可能性も否めないが、本人が明かさないのなら明言すべきでない、若しくはしたくない内容なのだろう。

 ローはルフィを助けに行きたいと願望を述べるのではなく、タイミングが巧く重なれば助けるのだと意思を固めた上で、こうして操舵室に指示を出し自己判断で動いてしまっている。よって後は俺達個々がローをどれぐらい信用しきるかだとも思う。今更海中に逃げ出せやしない。

「感覚や気持ちを理屈だの仕組みだので説明したがるの、人間って生き物だけなんだって。損得抜きに何となく誰かを助けようと思い立つ事も偶にはあるよ、誰だって」
「……まァ、そりゃな…」

 いつだったか、珍獣ハンターの先輩が言っていた事だ。人間以外の動物にも感情は備わっていて、喜怒哀楽を見せるし恐怖も感じるが、頭で何か物事を四六時中考えているのは人間だけ。原因、理由、動機と呼ばれる物を突き止めたがるのは人間だけ。動物は、大概は在るが儘を受け止めるばかりだと。

 困っていると見るや誰でも彼でも優しさを与えてしまうような人物は危ういかもしれないが、ローがそういった人柄でない事は俺より皆の方が余程知っている筈だ。
 己を過信して周囲を意に介さず単騎で駆けてしまうような人物なら後続する勇気は湧かないかもしれないが、ローがそんな性格でない事とて、俺より皆の方が余程知っている筈だ。

 ルフィが今日あの場で死ぬのは惜しく思えた。だから運さえ此方に味方するのなら助けてみよう。ローの意向は本人の言葉通りに、それだけなのだろうと思う。
 何が何でも救命するという程の熱意はローからは感じられない。博打が外れれば、即座に撤退してくれるだろう。

「…ま、三億の首に貸し付けるのも悪くないな」
「やってみっかァー」
「何なら麦わらの一味の連中にちょっとはデケェ顔出来るよな、お前等ンとこの船長助けたのウチのロー船長だぞーって」
「全員が賞金首なんつートンデモ集団だもんな。確かにオレ等が優位に立って船長を自慢出来んのは良い」
「それで麦わら達が船長に憧れちまって、電伝虫の番号教えてくれ、とか言ってきても…」
「断る」
「断る」
「デタラメな番号渡す」
「いや船長直通だと騙して新聞社の番号渡した上で電話口でウチの船長への感謝と敬慕を語って貰う」
「朝刊見出し、"麦わら一味が死の外科医のファンに"」
「ヤベェ、グランドラインが揺れる」

 ペンギンが肩を竦めて放った言葉を皮切りに続々と皆が希望的な内容を口にし始める。話が脱線して行っている気もするが全員表情だけは真面目なので何も意見は差し挟まず、カウンターに肘をついて頬杖の体勢で居るシャチに視線を戻した。

 シャチが背中を曲げているので今は俺の方が背が高く、いつもはサングラス越しに在る両目がはっきり見下ろせる。その双眸を俯き気味に細め、下唇を突き出したシャチの様相は、それはもう明らかに拗ねていた。

「…一番死んじまったらいけねェの、船長じゃねェか」

 次第にがやがやと普段の賑やかさを取り戻し始めた室内では、然程高さの無いヒールが床を叩く音はあまり響かない。
 指の付け根から甲に至るまで刺青が施された片手が伸びて、掌がシャチの頭に乗った。二秒くらいの間の後に、シャチが小さく頷いた。

 



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