「…何だったんだ、今の」

 思わずそう呟いてしまったが、この場に居る人間は誰一人正しい返事を寄越せやしない。

 広場における両端の液晶は通信が切られ、唯一映像の受信が継続された中央の画面をやけに赤く丸い鼻を持った男が妙な小芝居と共に占拠したかと思えば、唐突に撮影先が切り替わり、────"白ひげ"が部下らしき男に、己の上半身の真ん中を、長く幅のある刀で深々と刺される瞬間が映った。

 彼等の近くに音声を中継する電伝虫が居るのか、謀反を起こした男や"白ひげ"の言葉がスピーカー越しに聴こえる。
 "白ひげ"が海軍へ自らの傘下陣を売り渡したのだと憤る長髪の海賊の発言に民衆がどよめいた折、遂に真ん中のモニターも黒一色に染まった。

 露骨に不自然な事態に市民がこぞって騒ぎたて始める中、ローが緩慢な動きで立ち上がる。

「船を出すぞ。ベポ!」
「アイアイキャプテン! 着いて来いジャンバール!」

 全体に向けた号令に次いで名指しされたベポが元気良く敬礼で応える。手すりから上体を乗り出し、先日の加入により後輩の位置付けとなったジャンバールに声をかけてから真っ先に階下へ駆け降りてゆくベポの背中を一瞥し、俺も木刀を手に取って腰を上げた。

「現地に行くの?」
「通信が傍受出来る範囲まで近付く。海軍の用意する茶番劇に付き合う暇はねェ、中継されねェんなら知りに行くまでだ。…急ぐぞ」

 現在進行形で進んでいる戦争の舞台へ近付く為には少しでも早く船に乗り込んで出港する必要がある。ペンギンが電伝虫を使って見張り組に出港準備を促す会話を背後に聞きながら俺達も揃って足を速め始めた。

 やはり人気のない道を全員ほぼ無言で駆ける。

 目に痛い程赤々と燃える岩が降り注ぎ、各地で火柱や爆発の煙が立ち込める戦場の光景が、なかなか脳裏から退かない。
 少なくともあの場に死にたい人間は居ない筈だ。あそこで死のうと、死んでも良いと、或いは死んでも致し方なしと覚悟を決めている人ならば相当数居るかもしれないが、死にたいと思っている人間は居ない筈だ。
 人の命が一瞬で消し飛んだであろう事を嫌でも想像してしまうあの景色が、単純に怖かった。

「"ROOM"」

 潜水艦が肉眼で確認出来る距離まで行き着くと、ローがサークルを展開して全員を覆った。瞬きの間に景色が変わり、島の端に程近い位置に転送される。この諸島は各地でしゃぼん玉が無数に浮遊しているお蔭でローの位置交換能力と相性が良い。

 既に船体を海上へ浮かせている船に走り寄り、速度を落とさず続々駆け込む。
 最後に船内へ入ったのは俺なので、後ろ手に鍵を閉めながら扉の脇に在る伝声管の蓋を開けて顔を寄せた。

「全員帰船完了! 出して!」
『アイー!』

 声の届け先である操舵室からベポの応答が返る。直後に船全体へ細かな振動が走り、数秒経て船が発進した事により揺れが収まった。
 各自が万が一に備えて戦闘準備をするべく自室に向かう背を見送りつつ、その場で一旦深呼吸をする。

 船をどの辺りまでマリンフォードに近付けるにせよ、これから戦争の表面には触れるのだ。











 シャボンディを出発し、燃料の残量は気にしつつも出せる限りの全速力で船を走らせ続け、マリンフォードの中心に聳える海軍本部の要塞が米粒ほどの大きさに見える距離まで近付いた頃。
 少しでも念波を拾いやすいように、と甲板に出続けていたもののそれまで何の動きも見せず俺の掌の上で大人しくしているだけだった黒電伝虫が、唐突に瞼を開いた。

『──全兵に連絡! 全兵に連絡! "大将"赤犬が"火拳"のエースと交戦、及び撃破! "火拳"の死亡を確認! "麦わら"のルフィはジンベエと共に現場から逃走中、発見次第始末せよ! 繰り返す──』

 その口から綴られる言葉に、甲板中の意識と視線が此方に向く。
 航路の見張りと操舵に宛がっている数名を除いた全ての船員がこの場に集まっているにも拘わらず微かな呼吸すら聴こえない一拍の静謐の後、ローが先ず身体の向きを反転させて半開きになっていた船内へ続く扉を引き開けると、伝声管に向けて短くも鋭い語調で声を放った。

「ベポ、潜れ。マリンフォード湾頭まで潜行する」
「船長!?」
『……アイアイ!』

 突飛な命令には日頃ローに従順なベポも驚いたのか即座に応答はされず、けれども一秒も経たない内にいつもの一言が返る。
 傍目にも狼狽したシャチの声にも反応せず、ローはその儘船内に入ってしまった。

「"火拳"が軍に殺されたとなりゃ、白ひげ海賊団の残党が今まさに暴れ回ってるんじゃねェのか!? 何だってンな場所に…」
「…取り敢えず中に入るぞ、シャチ。船長が考えなしに動く人じゃないのはお前もよく知ってるだろう」

 マリンフォードと船を交互に見て直ぐには動けずにいるシャチの肩をペンギンが軽く叩いて促す。帽子のつばの下から覗く瞳と視線が合って、先に俺が浅く頷くとペンギンも小さく顎を引いた。
 皆の間に漂う動揺の気配も色濃いが、先程のローの指示が冗談などではない事は誰もが承知しているので撤収は比較的速やかに始まる。

 全員が屋内に入った事を確認して甲板へ続く扉を閉め、水圧の影響を受けて開いたりしないように二人がかりで複数の錠を閉めてゆく。全ての鍵の施錠を確認してから前を行くクルーに続いて階段を降りる途中、展望用の窓の向こうに在る景色が空から海中に変わった。

 ローの行き先を見ていたクルーが居たのか、列の前方が淀みない足取りで通路を進むのでそれに続く。
 行き着いた操舵室の、クルー全員が集合した室内で一同の視線を受け止めるローは、壁に寄りかかりながら窓硝子越しに進行先である前方を見つめていた。

 



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