「進路方向は一先ず南西にしましたが…これからどうします…」
「ちょ、ペンギン矢継ぎ早に真面目な話すんなよ……ちょっと休もうぜ…」

 各々が上がった息を整える為に忙しなく呼吸を繰り返しながら、潜航するべく扉を閉め切った所為で風通しの良くない通路に座り込む。毎日多くのクルーが土足で行き交うと言うのに、シャチに至ってはだらしなく寝そべっていた。

 シャボンディからの逃走途中で、幾分遠くのグローブの大木がくまの放ったそれより余程強力なレーザーで爆撃され、へし折れる光景を目にした。いよいよ"大将"が上陸したと思わしきその事態を見ても尚悠長に歩いてなどいられず、潜水艦まで全員休まず走り抜けてきた。

 潜水艦が肉眼で確認出来る距離まで逃げた所で能力を使い六人纏めて瞬間移動はしたものの、少なからず疲労感はある。
 自身の能力の弱点がスタミナ面であるが故にこれでも体力作りのトレーニングは欠かしていないが、身長が百八十近い成人男性のアルトを抱き抱えての疾走は流石に堪えた。背中を伝う汗が止まらない。

 海軍に見つかるでもなく今しがた乗船と出航、潜水は無事に済んだまでは良い。行き先に迷う。
 海兵の包囲網を潜って逃げおおせた海賊団はハート以外にも存在する。いずれシャボンディから撤退する軍の連中が、帰りの道中で虱潰しに迂回して周辺の島を捜索しないとも限らない。

「……エアタンクの空気残量はどれ位だ」
「満杯です」
「なら丸二日潜る。"大将"を出しておいてめぼしい収穫もねェんじゃ、海軍側も"天竜人"に顔を向けづらいだろう。明日の朝刊の内容次第じゃ捜索範囲を拡げる筈だ……。浮上と陸への寄港は折を見る」
「了解しました」
「アイアイ〜…っス…」
「シャチ、声だけでも元気出せ。能力使った船長と怪我したアルトが一番疲れてるんだぞ」
「へいへーい」
「お前等、取り敢えず……、」

 幾らか呼吸が落ち着いてきたシャチとペンギンを自室に帰そうと声を発しかけた所で、不意に身体全体を温かな膜で包まれるような感覚に見舞われて言葉が途切れる。

 直接肌に何かが触れるでもない覚えのある体感に顎を引いて目線を下げると、俺の膝を枕代わりに宛がって寝かせていた筈のアルトが、俺の左手に自らの手の甲を触れさせていた。

 もしや、と思った頃には倦怠感と、足裏やふくらはぎに特に集中している疲労感がゆるゆると溶けるように失せ始める。
 一つ溜め息を吐いて、素知らぬ振りをして疲労と貧血の色濃い顔色で瞼を閉ざしているアルトの額を右手の指で弾いた。

「痛った!?」
「馬鹿。先ず自分を癒せ」
「だって運んでくれたのローじゃん、運賃払ってるんだよ」
「……馬鹿が」
「何で二回言ったの!?」

 こいつのこの、何かにつけて俺を優先しがちな部分はどうにか融通を利かせられないものだろうか。

 ふとした事は存外真っ向からずけずけと意見してくる癖、満足やら快適性やらに繋がりそうな恩恵は先ず俺に与えようとしてくる。アルトに染み付いた処世術なのかもしれないが、別段アルトが身を粉にする必要はない。

「お前にとっての優先順位の一位には、俺とお前を同率で置け」

 額を押さえて此方を見上げていたアルトが、瞳を丸くして口を半開きにし、絵に描いたような間の抜けた顔を晒す。
 次に首を捻ってシャチとペンギンの方を向き、二人が無言で頷く姿を見てから顔の角度を戻すと、唇を結んで俺に触れていた手を離した。
 見えはしないが、額へ置いた手がその儘という事は己に疲労回復の能力を作用させているのだろう。

「…普通に考えたらすっごい俺様発言なのに、ローに言われると頷く気になるのが何か悔しい」

 手を退かせてもう一発額を叩いた。









 船から陸地へと続く梯子を降りた途端、微かながら鼻先が拾ったのは甘い匂いだった。蜂蜜のような、砂糖のような、爽やかとは言い難いが人工的でもない香りが風に紛れて断続的に届く。

 街の様子を偵察すべく一足先に島へ上陸していた数人のクルーから電伝虫に問題なしとの報を受け、息抜きも兼ねて下船を決めた。
 シャボンディから脱出して二日間が経った。結果的に海獣とも海軍とも遭遇せずに済んだものの、此処最近は味わう機会のなかった緊張感に包まれ続けた事でクルー全体がやや気疲れしている。

 潜水している間はニュース・クーから新聞を受け取れないが故に情報を掴むのが遅れてはいるが、オークションハウスでの暴動及び籠城騒ぎの共犯扱いをされている俺とハートの名が報道されていない訳はないだろう。
 その上で住民がクルーのつなぎを見ても過剰に反応しなかったのであれば、この島は「当たり」だ。気分転換に外泊を考えても良い。

「何だこの甘ったりィ匂いは…」
「わあ、いい匂い! 食べ物かな!」
「絶対そうだって、砂糖焼いたみたいな匂い! 俺さっきペンギンさんに小遣い貰ったし、この匂いの元ベポにも買ってあげるよ」
「本当!? わーい、行こう行こう! こっちだよね!」
「そっちそっち! 匂いが強い」

 後に続いて降りて来たアルトとベポも香りに気付き、やけにはしゃいだ様子で言葉を交わしたかと思うと揃って街の入り口の方へと駆け出して、道を右に曲がって行った。貧血もすっかり治って顔色の戻ったアルトとベポが連れ立つのならば、誰かに多少絡まれた所で相手を瞬殺出来るだろう。

「ガキか…」
「まあまあ、ロー船長。危険が去ったと実感してアイツ等もほっとしたんですよ。特にアルトは海軍とは初戦でしたし」
「てか匂い辿るってもうまんまワンコっスね」

 買い出し用に空の布袋を持って降りて来たペンギンとシャチの表情にも安堵が垣間見える。
 シャボンディで適当な三下海賊や賞金稼ぎから金品を巻き上げた事で、少しは財布に重みもある。二泊してクルー全員を交代で一日ずつホテルで泊まらせてやるのがやはり良いかもしれない。

『──えええええ!?』

 唐突に聞こえてきたアルトとベポの重なり声に、自然とこの場に居る三人で顔を見合わせる。
 これが悲鳴であったなら問題だが、今の声色はどう聞いても驚愕したものだ。

 声の大きさから言っておおよその位置は然して遠くない。取り敢えず行くか、という意味合いで僅かに顎を動かすと二人も頷いて歩き出した。

 



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