前に向き直り、俺と殆ど同時にベポも走り出した様子を視界の端に捉えつつローの背中へ距離を詰めると、向かいから身の丈三メートル以上はありそうな海兵が駆けてきた。

「トラファルガー・ロー、さっきはよくも同胞を!」

 棍棒を振り上げた海兵が地を蹴る。
 殴りつけられれば頭蓋も只では済まなさそうな重量の棍棒が至近まで迫っているというのに、ローはやはり自身の得物は担いだ儘、くるりと身体ごと此方へ向き直る。
 ほんの一瞬視線がかち合って、ローの横を通り過ぎるタイミングで耳慣れた低音が届いた。

「ベポ! アルト!」
「アイアイキャプテン!」
「はいはい」

 棍棒海兵の方は同じく背丈の高いベポに任せる事にして、その隣に居る拳銃を構えた男の方に駆け寄る。
 此方の世界の銃は随分と旧式の製品のようで──と言うよりは俺の元居た世界で生産されていた物が進化していたのだろうが、海兵が少し驚いた顔で俺に照準を合わせようとする動きは、手間が多くて遅い。"天竜人"が持っていたのは形状が古めかしいだけの自動連射式拳銃だったが、あれも"お偉いさん"だからこそ最新作が手に入っただけかもしれない。

 銃のバレル部分を掴み強引に銃口の向きを逸らさせ、走った勢いその儘に相手の脇腹を横から蹴りつけると、男はあっさり武器から手を離して吹っ飛んだ。

「な、…何だ君は、海賊の仲間か!?」
「武器を置け!」

 ハートの海賊団は、ロー以外のクルーは皆揃ってハートの海賊旗のマーク──ジョリーロジャーが左胸に刺繍されたつなぎを着ている。
 その情報と事実は海軍にも伝わっていて、それ故に一般人と特に変わらない私服姿の俺をクルーの一員なのか判断しかねているらしかった。

 三人の海兵が若干戸惑った表情で扇状に俺を囲んだ。直ぐ傍ではベポが豪快に幾人もの顔面を蹴り飛ばしている。

「俺が一般人でも、海兵さん達には無関係だろ」
「何を言う、市民を守るのが我々の仕事だ! 海賊共に脅されているのか!? だったらもう安心…」
「あーいや、そういう事じゃなくて」

 結果的に奪い取る形になったライフル全体にオーラを纏わせ「周」を施しながら、足に集めていたオーラを反対の空いている手に移動させ「凝」の状態まで密度を高める。あくまで列や隊を組んで戦う事を前提に訓練してきた一般兵なら、判断を間違わなければ然程オーラを使わなくても勝てはするだろう。

 俺が敵意を持ちさえすれば、単純に「纏」でオーラに薄く覆われているのみの手で触れるだけで相手の骨に皹を入れる位の事は出来る。それ程に念能力者と一般人の差というものは露骨で顕著で、大きい。
 故に、脚力や防御力の向上はともかく、攻撃力の増強に関するオーラ量の調節にはかなり気を遣う。うっかり、で人を殺めかねないのだ。この銃もストックとバレルの一部が木製などという強度に難のある製品でなければ「周」をしていない。

 ただ、こうして気を遣いはするが。躊躇はあの図書館に置いて来た。

「俺が何であれ、あんた達はローにとっての敵だろ。其処だけはっきりしていれば充分だ」
「…貴様、トラファルガーの船のクルーか!」

 犯罪者ではない、しかもごく普通の生活を送る民間人からすれば正義を掲げた味方である人間に対して、自分の意思で暴力を振るったのは先程が初めてだ。
 それでも思ったより罪悪感を感じないのは、海軍と呼ばれる彼等がまるで当然の事だと言わんばかりの顔で、人を簡単に殺せるような武器の切っ先をローに向けたからだろう。誰一人即死はさせない能力で身体を切断しただけの海賊と銃の引き金に指をかけっぱなしの軍人、情けを与えていないのはどちらだろうか。

 ローの事は勿論、人として好ましいとは思っていた。
 ただしローを狙う凶刃を視界に入れた時、拒絶や怯えよりも先ず怒りが湧く程慕っていたとは、自分の事ながらたった今知った。

 俺の発言に口調も顔つきも変えた海兵が構え直した銃に腕を伸ばしてバレルの中程を掴み、力任せに折る。
 全長が半分になった得物を見つめて呆けたように瞬きをしたその男のこめかみを、「周」を施したライフルのストック底で横から殴りつけて昏倒させると、左横からガチャ、と金属音が聞こえた。

 膝を曲げてしゃがみ込む。片手を地面につき近くの脚を横から雑に蹴って転ばせながら、その向こうに居るもう一人の脛を目掛けて折った部品を投げつけた。

「ぅ、ぐあッ!?」
「っが……!」

 ライフルを構えていた事で足元への注意が足りず、思わずといった風に膝を曲げてバランスを崩した男に駆け寄って背中を真上から踏みつける。そのまま足場にしながら腰を捻って反対の脚を振り上げ、ぐらついた男の横っ面も蹴り飛ばした。
 素手で何かを傷付ける感触が嫌で、何かを傷付けた手で料理をするのが嫌で、足技ばかり使うようになったのはいつからだったろう。使うのが武器でも手でも足でも、結局俺の行為は暴力としか表せないので、自己満足の抵抗でしかない。

 辺りはまだまだ海軍だらけで、人混みの中から俺の行動を目撃していたであろう数人が険しい顔で此方に駆けて来るのが見える。
 奪った銃で脚を撃っても良いが、背を向けた所で無事な手を使って鉛玉や刀を飛ばされても厄介だ。オーラを練り上げて身体全体に「堅」をすれば恐らく刺さりはしないものの、この包囲網を抜ける為に要する時間の目安も分からない状態でやたらにオーラを消費したくない。

 刀の一振りで何人もの相手を行動不能に出来るローの能力はこういった場で魅力的だと改めて思いつつ、走り寄る兵に身体を向け────不意に横から伸びてきた巨大な掌が、海兵を四人いっぺんに弾き飛ばした。

「えっ」
「アルト、走れ。向かって来る奴全員とやり合っていたら埒があかねェ」
「あ、うん、……えっ? あの、ロー、この人どちら様?」
「ジャンバール。其処で拾った」

 肘から指までの長さが俺の身長と変わらなさそうな大き過ぎる腕に度肝を抜かれて振り返り、いつの間にか身の丈十メートルもありそうな逆三角形の体型を持つ強面の男が背後に居た事に驚いて、俺の隣に来たローの言葉に三重に驚いた。
 俺が拾われた時にペンギンが「犬猫じゃないんですから」とローに言っていた気持ちが何となく分かる。人はそんなにもあっさり拾えるものなのか。そう言う俺はほぼ二つ返事で拾われた身だが。

 人垣が崩れている箇所を選びつつシャチとペンギンが拳銃片手に前を走り、ローと俺とジャンバールがその後ろを並走し、しんがりをベポが行く。

「追っ手増えてない!?」
「隣のグローブに移る橋が近い所為だろうな。つまりこの一番グローブに海軍側の主戦力が集められていて、此処を脱出すれば逃走の難易度が下がる可能性は低くねェ」

 後方に見える兵の数が更に増している。船長三人が結構な数を戦闘不能にした筈なのにと思わず声を上げると、ローが答えてくれた。

「海賊を逃がすなァ! 回り込、っぐ!?」
「アイアイアイ!」
「何だこの熊、速…っ、ぅわあ!」
「アイヤ〜ッ! アイ! アイ!」
「アルト、行くぞ! 今の内に渡っちまおう!」

 ベポが最も近くに来た数人に飛びかかり始めた。
 加勢すべきかと足が止まりかけるもシャチに腕を引っ張られ、橋を渡り終える。

 幸い海軍の服を着た人間の姿は一人も見当たらない事に多少安堵した所で、背後から派手な轟音が響いたと同時に若干地面が揺れた。

 足を止めずに首だけ捻って後方を見れば、橋が半ばで大破している。木に無数の亀裂が入って裂けるように砕けているのでローの仕業ではないだろう。だとすれば最後尾に居るあのジャンバールが体格に見合う腕力だけで破壊したのかもしれない。

 俺も日頃の念の鍛練怠っちゃいけないなあ、とシャボンディでは遊びがちであった事を反省しつつ先頭を駆けていると、隆起して盛り上がっている根の先に見覚えのある集団を見つけた。見知らぬ巨漢の男も混じっている。
 仲間と合流でもしたのかと思ったが、横に居るシャチがやけに緊迫した声を上げた。

「船長! アレ…」
「………、!? ユースタス屋と、…アレは……何で"七武海"がこんな所に…!」

 丸い耳のついた愛嬌のある帽子を被った男を目にした途端、明らかにその場に居る全員の雰囲気が固く張り詰める。
 "しちぶかい"って何、とはとても訊けない空気に俺の顔も強張った。殴ったらもう一人海軍大将を呼ぶ、などという地位の相手だったらお手上げだ。

 



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