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珍しくタクシーじゃなくて電車を使ったのは駅地下に新しくオープンしたアロマのショップを見たかったから。スマホで場所を調べながら歩いていると人の波にのまれてしまった。あれ、たぶんこっちじゃない。でも来た道は戻れそうにないし反対側に行こうとすれば人にぶつかってしまいそうになる。すると見兼ねたのか誰かがぐいと腕を引っ張ってくれてなんとか抜け出すことができた。お礼を言って顔を見ると知り合いだった。その人には何度か『接客』してもらったことがあった。

「あっ、土方さん」

「……?あー、アイツの。顔違うから気付かなかった」

アイツ、とは銀ちゃんのことで目の前にいる土方さんは今頃気付いたようで手には煙草を持っている。喫煙所に向かう途中だったのかな。今日はナチュラルメイクだ。と言ってもパウダーはたいて眉毛書いたくらい。いつも仕事の日にお店に行ってたからばっちり決めた顔しか見たことなかったんだろう。

「今日休みなの。知り合いに会うなんてなんか恥ずかしいな」

「なんつーか…すげぇ幼いな」

「ふふ、うん、そう。コンプレックスだったんだけど」

銀ちゃんが好きって言うからいつの間にか平気になってた。

「元気か?」

「うん。お店の準備も順調に進んでるみたい。忙しそうだけど銀ちゃんってちょっと仮眠しただけですぐ元気になるんだよね」

「違う。アンタの方」

「え?」

アイツの心配なんざしてないと真顔で言い放つ土方さんは『Caramel』で銀ちゃんと同期のバーテンダーさんだ。数えるくらいしか接客してもらったことはなかったのに覚えてくれてたんだ。今思うとあのバーでは恥ずかしい部分ばかり見せてしまっていた気がする。元彼との崩壊から銀ちゃんと付き合うまで。土方さんにも色んなことが伝わっていただろうな。もちろん、わたしと銀ちゃんが付き合っていることも同じ家に住んでることも知っている。それはマスターからの告げ口で銀ちゃんが仲間のバーテンダーにわたしとのことを自慢していると教えてくれたから。土方さんとはほとんど話したことはないのにプライベートのことが知られていると思うとなんだかむず痒い。

「元気だよ。ありがとう土方さん。『Caramel』にもあんまり顔出さなくなっちゃったから今度行くね」

「いや、アイツに何言われるかわかんねぇから」

「銀ちゃん重いもんねぇ〜」

「彼女のアンタが言っていいのかよ」

やっと軽く笑った土方さんとバイバイしてショップに向かった。お試しサイズの小さなアロマを何種類か買って帰宅すると銀ちゃんがソファで横になっていた。資料もパソコンも開きっぱなしで傍に置かれたコーヒーも冷めてる。紙袋を置いて銀ちゃんの寝顔を覗いてみる。ああ、好きだなぁ。安心するなぁ。すうすうと繰り返される穏やかな呼吸。でもきっとそろそろ起きる時間だ。もう少し寝かせてあげたいけど、えいっと唇を銀ちゃんのにくっつけた。薄く開かれた唇を軽く挟んだり舐めたりゆるく刺激してみても反応はない。あれ、ガチ寝してる。じゃあもう少し大胆に。舌を差し入れて歯を撫でながら隙間をこじ開けて力の入ってない舌を捕まえた。この辺りまで来るとわたしもスイッチが入ってきて、銀ちゃんの身体に馬乗りになって両手でほっぺをむにむにしつつ起きてー起きてーと念じながら舌を吸ったり唾液を絡ませたりした。

「…ぎん、ちゃ…」

なんか虚しい。物足りなくなった。なんにも反応が返ってこないんだもん。いつもならぎゅうぎゅう抱き締めて窒息するかもと思うくらい激しくしつこいキスしてくるのになーんにもしてくれない。

「ねぇ起きてよ、キスして、」

「くく、」

「えっ?」

突然痙攣し始める銀ちゃんの身体から飛び退こうとすれば片手でガッチリ腰を掴まれもう片っぽの手で頭を固定され銀ちゃんの唇にむちゅっと押し付けられた。まさか起きてた!?いつから!?

「んっ、んん、待っ、ぎん」

「お姫様のキスで王子様目覚めるーってか?それにしちゃあ大胆なキスだったけど、な、」

「おきて、たん、っ、ふ、」

キスしながら会話なんて無理、なのに一向に離してくれない。誘ったのはそっちだと言わんばかりにわたしがしたキスを反復させる。はむはむと唇の弾力を味わってから舌を滑り込ませて溢れそうな唾液をじゅるりと音を立てて吸った。はぁ、と漏れる熱い息さえ飲み込んで舌が口の中いっぱいに動き回る。銀ちゃんはかなりのテクニシャンだと思う。そのいやらしさにいつも飲まれてしまう。

「あーなんか今日の名前いつもより可愛くね?休みだからか」

嬉しそうに言う銀ちゃんは相変わらずすっぴんのわたしが好きらしい。

「ぎんちゃ、しごと…、っ」

「わーってる。一回イかしたらするから。こんなに可愛い子がおねだりしてくれたのにキスだけじゃ申し訳ねーだろ」

いや、申し訳なくないけど。キスだけで満足だけど。でも、その熱の篭った目がギラギラと輝いてわたしの目を、身体を見ると全身が熱くなっていられなくなる。結局一回どころか最後まで三回もイかされてしまった。わたし、忍耐力がないのかな。




しつこいナンパ男ってなんでこんなに多いんだろう。教習でも受けてるのってくらいのテンプレートで『お姉さん綺麗だね〜お茶しない?』『俺たちと遊んで!お願い!ちょっとでいいから!ID教えて!』ってまとわりついてくる。この町の夜の世界に関わる人の多くはだいたいわたしのことを知っているし付き合いの長い同業の人達ならこっちも結構把握してる。面倒なのはその辺の若い男の子たちやおじさん。

「もーめんどくさいよ。ついて来ないで」

仕事終わりに大通りのドラストに寄って帰ろうと思い歩いていると大学生くらいの子たちに絡まれた。酔ってるし声でかいしこっちの話聞かないし。すぐそこだからって歩いたのは失敗だったかな。

「どこ行くの?ついてっていい?家まで」

「無理だってばーそんなに一緒にいたいならお店来てよ」

「おいやめとけ。この女ヤベェぞ」

低い声がかかった。ヤベェって何?とにかく止めに入ってくれた人を見ればまたしても土方さんだった。

「土方さん!」

「んだよオッサン、何がヤベェんだよ」

「この女に近づいた男は全員……」

こそこそと耳打ちしたので内容は聞こえなかったけど学生達は震え上がって立ち去った。何を言ったんだろう。

「ありがとう。また助けてもらっちゃった」

「もうアイツもいねぇんだからふらふら出歩くなよ。タクシーとかなんか使え」

「うん、そうする」

「じゃあな」

それだけ言ってお店の方に歩いて行った。バーの制服。手にはコンビニの袋。休憩中だったのかな。ドラストでそろそろ切れそうだったシャンプーや日用品を買って、もう一つ分の袋いっぱいに飴や飲み物をたくさん買って『Caramel』に向かった。

「いらっしゃ……いや真っ直ぐ帰れよ」

「土方さん、さっきはありがとう」

「いやお前、バーにドラストの袋両手に持って入ってくる女がどこにいんだよ。つーかカウンターに置くな!」

「さっきのお礼。早く渡しとかなきゃと思って」

「魚や野菜じゃねぇんだから、」

「この席久しぶりだなぁ」

「……ちょっと待ってろ」

袋を受け取って中を確認してからカクテル作っている土方さんを見ながら銀ちゃんがここに立っていた日々を思い出していた。お客さんとして通ったこと、彼女として過ごした時間。どれも遠くない最近のことなのに懐かしいなぁ。銀ちゃんがここに立つことはないのは少しさみしいけど、新しいお店ではどんなお酒を作ってくれるんだろう?どんなお店になるんだろう?そう考えるとわくわくした。

「眠いなら迎え呼ぶか?」

「…寝てた?」

「軽くな」

いつの間にか目の前に置かれていたのは黒と茶色の間のような飲み物。色はとてもじゃないけど美味しそうに見えない。

「なに?これ」

「キューピット。コーラとカルピスを割ったノンアルカクテルだ。お前ら揃って甘いもんばっか飲んでるもんな」

「へぇ…キューピット…」

コーラとカルピスって会うの?飲んでみればこっくりと甘くて美味しい。土方さんってこんなに甘いカクテル作れるんだ。バーテンダーなんだから一通りのものは作れるのは当たり前なんだけど、意外だった。

「酒弱いんだろ?」

「そんなことまで知ってたの?」

「これでも俺も、気にしてたからな。名前のこと」

どういう意味での『気にしてた』かは聞かなかった。やっぱりわたしたちって色んな人に支えてもらってるんだな。ありがたいな。お代を払おうとしたら『お前から貰ったジュースで作ったから』と結局タダで飲ませて貰っただけでお店を出た。ああ眠たい。早く銀ちゃんに会いたいな。家に帰って銀ちゃんと一緒にお風呂に入って寝てしまえばこの日のことはすっかり忘れてしまっていた。




「あ、キューピット」

買い出し中にジュースのコーナーを見て思い出した。この間の結構美味しかったな。銀ちゃんに作ってあげたら喜ぶかな?そんな軽い気持ちでコーラとカルピスを買った。夕飯を作って時間があったから部屋でこの間買ったアロマをほんのりと焚いてみたりしているとドアが開く音がした。

「おかえりー」

「おー夕飯作ってくれたの?いい匂いする」

二人で夕飯を食べて銀ちゃんの新しいお店の話を聞いたりしながら洗い物をして貰ってる横でキューピットを作ってみた。確か、こんな感じだった気がする。

「どうかな?」

「キューピット?誰に教わったのそんなん」

「土方さん。この間ナンパから助けてくれてお店行ったの」

「…へーーーーーーーーーーー……………」

やけに長い「へー」だなぁと思っているとグラスの中身を一気飲みした。

「土方のキューピット美味しかった?」

「うん」

「それで俺にも作ってあげようって?」

「うん」

「ダメだよ、名前ちゃん」

「え?」

優しく諭すような言い方なのに背筋が凍った。だってこの顔絶対怒ってる。なのに声と吐息はとても甘い。

「キューピットはさ、カルピスにコーラ1:5が基本。今のは甘すぎ。なぁ、甘けりゃ良いと思った?」

「あ…ごめん、適当に作って」

「あとさ、俺言わなかったっけ?俺以外が作るカクテル飲んじゃダメって」

確か、付き合い始めた頃に言われた気がする。あれって冗談じゃなかったんだ。だからこんなに怒ってるの?

「口直しさせて」

「んっ」

冷たくて甘い舌が口の中に入り込んでくる。両手で顔をしっかり固定されてされるがまま。甘い。銀ちゃんの舌ってとっても甘い。じん、と心臓が痺れてきた頃、「…あともう一つ」と囁いた。

「何ナンパされちゃってんの?俺もう店辞めてんだからさ、守れないんだよ。助けてくれた土方だってお前のこと、好きだったのに」

「ごめ、んね、銀ちゃん」

「いいよ」

銀ちゃんにしてはあっさり許した。それに土方さん、わたしのこと、本当に好きだったんだ。でもそれをなぜ銀ちゃんが知っているんだろう。

「いいよ、土方のこと思いながら俺に抱かれても」

「そんなことしないよバカじゃないの」

「だったらもう忘れて。キューピットの作り方も土方のことも」

「…うん」

ぎゅっと銀ちゃんの首の後ろに腕を回せばひょいと抱き上げられて向かったのはわたしの部屋。扉を開けると香るのはさっき焚いたアロマの香り。しかも今日のは官能的な気分を高めるというイランイランだ。

「…何これ、もしかして名前ちゃんその気だった?こんな雰囲気作ってくれちゃって」

「違うよ、たくさん買ったから順番に試してるの。早く下ろして」

「じゃあ今夜は名前に全部任せるわ」

ごろんとベッドに転がって意地の悪い笑みを向けてくる彼氏。あれ?仲直りしたんじゃなかったっけ?

「120分耐久コースでお願いしまーす」

「どっちが耐久するの?」

「お前に決まってんだろ」

「ほんと銀ちゃんってわたしのこと好きだよね」

「当然だろーが」

寝そべる銀ちゃんに寄り添ってキスした。任せるわーとか言っておきながら力強い腕で離さないって言わんばかりにぎゅうぎゅうに抱きしめてから身体に触れてくるところが好き。服を脱がして脱がされて、そして体温が触れ合う瞬間が好き。全部銀ちゃんだからだよ。他の誰かじゃダメなんだよ。例えその人がわたしのことをいくら好きだって言ったって、もう銀ちゃんじゃなきゃダメなの、わたしも相当重たい女だよねぇ。

いっせーの ちゅっ

嫉妬してばっかりの銀ちゃんは彼女のことがほんとに大好き。

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