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「なー名前、明日店定休日だから久しぶりにどっか行こうぜ」
「あ、明日は…」
「俺と映画見に行くんだよ残念だったな親父」
「は?いや、は?なんでお前と名前が二人で映画行くわけ?デートじゃんデートお父さんは許しませんよ」
「デートって銀ちゃん…良いでしょ親子で映画行っても」
「いやお前さぁ、高一にもなって母ちゃんと映画ってどうなの?お前に思春期って言葉はないの?そろそろ彼女とかできちゃう歳じゃんピチピチのJKがいっぱいいんだろ」
「名前ちゃんより可愛い女子いねぇもん。つーか何ピチピチって。魚?」
「だーかーら!お母さんと呼べお母さんと!名前のこと名前で呼んで良いのは旦那である俺だけなの!だいたい俺が高校の時なんて常にムラムラしてなぁ、」
「銀ちゃん、そういう話しないで。聞きたくない」
「あ、悪い。いや他の女の話したいわけじゃねぇんだよ?ただ俺の人生の中で名前との出会いが一番っていうことをだな」
「なんだぁ。銀ちゃん好き」
「俺もだよ」
「今度二人でデートしようね」
………………このような光景を産まれてからこれまで何千回見せられてきたことか。俺の両親はただただひたすらにラブラブで、子どもの前ってことも忘れてんのか気にしてないのか知らないけど抱き合ったりキスしてたりする。今となってはいつものことだからスルーしてるけど。父親はバーを経営していて、母親はその手伝いをしたり若い頃出てた雑誌の編集をしたりしてる。そんな我が家の日常。
これは自慢だが、うちの母親…名前ちゃんはめちゃくちゃ若くて美人で綺麗だ。母ちゃんなんて呼び名が本当に似合わない。だから名前で呼んでいるのだが親父はそれが気に食わないみたいでつっかかってくる。俺は高校生になった途端になーんか親父に似てきた気がしてそれが気に食わない。名前ちゃんは『若い銀ちゃんだ!』って喜んでるけどさ。
「何の映画見たいんだっけ?」
「すげードロドロの不倫殺人ドラマあったじゃん?あの映画版」
「えー苦手な感じ。怖そう」
「隣でポップコーンでも食べてればいいよ」
「映画館なんて久しぶりだなぁわくわくする。何着てこう」
「ちょいちょいちょーいカップルみたいな会話止めてくんない?」
俺も行く!と意気込んでた親父だがいざ当日の朝になってみると用事が入ったらしく結局名前ちゃんと二人になった。休みなのに自由に行動できないなんて、大人ってものはつくづく窮屈な生き物だ。約束通り映画を見てぶらぶらとショッピングセンターを歩いていると「そこのお二人、時間あります?」と声をかけられた。
「今度カップル限定のイベントあるんですけどどうですか?」
「えー、カップルだって」
くすくす笑う名前ちゃんの左手に光る結婚指輪を見た店員は不思議そうな顔をした。結構でーすと断るとチラシだけ貰った名前ちゃんが困ったように指輪を撫でた。
「お母さんとカップルなんて間違われたら嫌だよねぇ」
「別にいーけど。名前ちゃん若いし」
「若くないよいくつだと思ってるの?」
「実年齢じゃなくて見た目の話。結婚式の写真と全然変わんないじゃん」
「それはあり得ないよもう十何年も前だもん」
「じゃー不老不死?」
「だったらいいのにねぇ。そしたら先に死ななくて済むのに」
「そーゆーこと言うなよ」
「そうだ、銀ちゃんにお土産買おっか。本気で残念がってたよ。銀ちゃんも家族みんなで出かけたかったんだと思うよ。いつもお店で忙しいから」
「…うん」
「何が良いかな」って楽しそうにショップを眺める名前ちゃんの頭の中の8割が親父の存在が占めていると思う。残りの1割は仕事、もう1割は俺…だといいのだけど。あんな風に想われてる親父は絶対に幸せだろうし、恥ずかしげも無く愛を伝え合える大人を羨ましく思う。
「苺のシュークリームだって!あれにしよっか。でさ、内緒でアイス食べよ。何がいい?」
「抹茶」
「わたしはどうしようかなー」
「チョコ」
「いいね!銀ちゃんとわたしは甘いもの好きなのになんで苦手なんだろうねぇ」
「妊娠中に甘いもの食べすぎてたんじゃない?」
「どうだったかな。エッグノックばっかり飲んでたかも」
「今もじゃん」
ベンチでアイスを食べているとじっと俺の顔を見て笑った。
「なんか最近ほんとに銀ちゃんに似てきたね。赤ちゃんの頃はわたしにそっくりって銀ちゃん大喜びだったんだよ。かわいーかわいーってわたしのこと放ったらかしで」
「あの親父が名前ちゃんより俺見てたの?そんなん想像できねぇ」
「ふふ、本当だよ。初めてのことだらけで不安だったし熱出したら大騒ぎして一晩中寝顔見てたりね。二人してあなたのことのことばっかり考えてた。今もだけどね」
カップの中の抹茶アイスが溶けていく。俺が産まれた頃、二人はどんな顔して笑っていたんだろう。どんな顔で俺に笑いかけていたんだろう。
「銀ちゃんと過ごした幸せな時間がこうして形を…命を持って目の前にいるんだって思うと今でも嬉しくて泣きそう。ほんとに大きくなったねぇ」
そう言って俺を見つめる名前ちゃんの表情は立派な母親だった。俺は、母親になってからの名前ちゃんしか知らない。
「…名前ちゃん」
「もう高校生だもんね。てことはもうすぐ独り立ちしちゃうのかな。お母さん寂しいなぁ。一人暮らししたら絶対遊びに行くね!」
「いやまだ家出るなんて言ってねーし」
「だって高校卒業したらやりたいことあるって言ってたじゃない」
「そーだけど、家出るとは言ってない」
「ほんと!?」
「いや、わかんねぇけどさ………」
なんでそんなに嬉しそうなんだ。二人にとって俺は邪魔者だろうに。早く自立した方が親父も名前ちゃんも自分のやりたい事できて良いじゃん。デートもできるし。やっぱ親の気持ちって、イマイチよくわかんねーなぁ。
*
「…っていうことがあったんスよ。この間」
「別に家から通いたいならそれで良いけどな。今もそうだし」
「いや……家にいたいっちゃいたいけど、あのイチャイチャを毎日見続けるのは思春期には結構ダメージがあるっつーか……」
「ったく子どもに気ィ使わせてどーすんだあの夫婦は」
「これ下げていいっすか?土方さん」
「ああ頼む」
俺のバイト先は『Caramel』というバーだ。高校生だから遅くまで働けないため開店前から出勤し氷やドリンクの仕込みをし、開店してからは裏で簡単なフードを作ったり洗い物など雑用をしている。開店作業が早く終わった日は店長である土方さんからドリンクの作り方や道具の扱い方を教えて貰えるから気合いが入る。
昔、親父と土方さんは当時ボーイズバーだったこの店で一緒に働いていたらしい。俺が産まれて物心ついた時にはもう親父は『sugar』という自分の店を持っていたからあまりピンと来ない。とにかく昔からの染みである二人は馬が合わないとかなんとかで仲が良くないらしい。まぁでもお互いにリスペクトし合っているのは見ていてわかる。小さい頃からこの店に何度か両親と顔出しに来ていて前の店長である長谷川のおじさんともよく遊んでもらった。土方さんがカウンターに立って魔法みたいにドリンクを作っている姿がめちゃくちゃカッコよくて…高校生になって頼み込んでようやくバイトとして雇ってくれた。
親父の『sugar』は名前の通り明るくて優しくて甘い香りのするバーだけど、『Caramel』はキリッとして落ち着いた雰囲気で…俺にはここの方が落ち着いた。親父がいると家みたいで気が緩むし。勿論親父のことは尊敬してるしカッコいいとも思ってはいるけどさ。
「お前も変わった奴だな。こんな古臭い老舗のバーより若者向けの親父の店継いだ方がいいだろうが」
「ここで修行させて貰ってから考えます。俺に継がせる気なんて無さそうだし。バーテンダーやりたいっつったら反対されたし」
「……どうだかな」
「でも絶対勝てる気しねーっす。名前ちゃん、親父のことばっかだし」
「そうでもないさ。夫婦でここに来るとお前のことばっか話してるぜ、二人とも。…にしてもそろそろ親離れしねぇとマザコンとか言われるぞ」
「母親のこと好きで何が悪いんすか?大変な思いして産んで自分の時間全部使って育ててくれたんすよ?それにめっちゃ可愛いし優しいし」
「そういうところが父親似だな」
カラン、と入り口が開いて入ってきたのは『sugar』の立ち上げからのスタッフで両親の友達である退くんだ。
「お疲れさま。迎えに来たよ」
「毎回迎えありがとーございます」
「夜の街は物騒だからね。店長にも頼まれてるし」
お疲れさまでしたと土方さんに頭を下げて上がり退くんと並んで歩く。
「うわ、急に背伸びたね。もう俺抜かされそう」
「成長痛?朝とか手足がミシミシいってる」
「高校生やばいなぁ」
「退くんさ、なんで親父のところでずっと働いてんの?元々違う仕事してたんだよね?楽しいから?それとも腐れ縁だから?」
「ん?そうだなぁ…、あの場所は坂田さんが大切な人達のために一から作った店で、そこにせっかく俺を呼んでくれたなら同じように大切にしたいと思ったんだよね。それに…うちの嫁さん達が『子ども達が成人したらここで酒飲もう』って口癖だったからね」
「…ふーん…」
今の自分には難しい話だった。格好いいからってバーテンダーという仕事に足を突っ込みかけている自分は浅はかなんだろうか。楽しいからだよって一言言ってくれた方がよっぽど分かりやすくて良かったんだけどな。
向かうのは家ではなく親父の店。バイトが終わったら来いと呼び出しを受けていた。『Caramel』を一歩出た夜の街は昼間よりも眩しくて騒がしくて落ち着かない。この光に慣れる日は来るのだろうか。
「娘達と仲良くしてる?」
「同じ高校だからまぁ喋るよ。学年違うから学校ではあんま会わないけど」
退くんちの娘とゆんちゃん(って呼ばないと怒る)ちの息子とは幼なじみになる。ガキの頃から大人達が集まってわいわいやってる横でよく遊んだ。そういえば借りたジャンプ明日返さないと。『sugar』の前に来ると退くんは今日はもう上がりだからと帰っていった。え、もう上がり?早くね?
「おーお帰り」
「ただいまー。ってなんで店に呼び出したの?」
まだこれからという時間なのに店には親父と名前ちゃんしかいなかった。カウンターから甘い香り。名前ちゃんが好きなカクテルだ。隣に座れば「お疲れさま!」と頭を撫でられた。
「実はね、今日は発表があるんだ」
「つーか提案?」
「なに?ついにこの店潰れるとか?」
それにしてはニコニコ楽しそうな二人。親父も機嫌が良い。名前ちゃんは立ち上がり親父の隣に行ってくっついた。その腰を優しく抱きながら同じように笑って、言った。
「お前さ、『兄ちゃん』やってみねー?」
「…はぁ?」
「可愛い弟か妹、産むね」
「はあぁ?」
「というわけで今夜は家族三人…四人でお祝いパーティするぞー」
「待て待て待て!アンタら何歳だよこれから子ども産むの!?どんだけ元気なんだよ!」
「ふふ、それほどでも」
「いや褒めてねぇし…褒めてるけど」
「お前も立派になったしな。まだまだ生意気で危なっかしいけど」
肩に手を置かれ、身長が伸びてきたせいで最近近くなった目線で親父が目尻を下げて微笑んでいた。あ、これ『父親』の顔だ。名前ちゃんを見る時の顔じゃない。俺を、見てる。
「お前がバーテンダーやりたいって言った時反対したのは簡単じゃねぇからだ。生活も昼夜逆転だし知識も練習量も半端じゃない。どっかで必ず壁にぶち当たるのを身をもって知ってるからだ。楽しいとか格好いいとか、そういうの通り越してもまだこの世界に来たかったら…待っててやる」
「ちょっと銀ちゃん、今日はそういう話するつもりないって言ってたじゃん。まだバイト始めたばっかりなんだからプレッシャー与えないでよ」
「そーだっけ?はは」
その日の夜、名前ちゃんが寝た後に家のキッチンで親父がエッグノックの作り方を教えてくれた。「アイツ悪阻しんどくてもこれなら死ぬほど飲むから」って。それがバーテンダーとしての親父に教わったはじめてのドリンクだった。とろみがあってあったかくて甘過ぎるそれを小さなバーカウンターで並んで飲んだ。
「…あのさなんで今更子ども?できちゃった系?」
「できちゃったと言えばできちゃったし狙ったと言えば狙ったかな。俺はいつでも名前のストライクゾーンを狙ってんだよ」
「意味わかんねーしキモい」
「いいもんだよ、守るものがあるって」
店持ってて家庭もあって、家族を養ってる親父は欲張りだなぁと思った。そんなに色々守ってどうすんの。そういうの、いつか俺にも分けてくれたりすんのかな。そしたら俺、多分すげぇ嬉しいよ。
「こうして俺達の縁が次の世代に繋がっていくんだな」
そう言った横顔を忘れられない。名前ちゃんの旦那としても父親としても、バーテンダーとしてもこの人には一生敵いそうもないと思った。それが悔しくもあり、なぜかこの上なく嬉しかった。
降りそそぐ幸福の隣で
そうして生まれた年の離れた妹をめちゃくちゃ可愛がることになるお兄ちゃん。
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