まいにち恋をする
『ただきみのためだけのぼくだよ』の続きB「明日って忙しい?」
「え?」
下着を付けているとパンツ一枚で水を飲んでいた坂田くんが呟いた。
明日、明日。もちろん特に予定はない。坂田くんと約束する日は次の日の事を考えたくなくてなるべく予定を入れないようにしていた。
「忙しくないよ」
「じゃあ買い物付き合って欲しいんだけど」
「……わたしでいいの?」
「ダメなら聞かねーよ」
じゃあ明日の午後集合なと待ち合わせ場所を告げられる。さらりとした会話だったけどこれって、初めてホテル以外で会えるってこと?…もうすぐバイバイの時間で憂鬱な気分が一気に急上昇した。嬉しい。明日も会えるんだ。
「っつってももう今日だな。日付け越えてるし」
散々イかされてくたくたになった身体も坂田くんの笑う顔見たら元気になってきた。にやにやしてるのがバレないように必死で頬っぺたに手を当てていると何やってんのとまた笑われた。坂田くんもいつもより機嫌が良いみたい。最近はホテルを出るまでに少しだけこうやって話すようになってきた。
「寒いね」
「湯冷めしないようにあったかくしろよ」
外に出ると街は人通りもだいぶ少なくなって時間が止まったような深夜特有の空気が流れていた。今夜はホテルに入った時間が遅かったから終電はとっくにない。拾ってくれたタクシーに乗り込むと坂田くんは手を挙げた。
「乗ってかないの?」
「ねみーから友達んとこ泊まって始発で帰る。すぐそこだから」
「…そっか。じゃあ明日ね」
「おー」
友達って女の子だろうなぁ。うとうとしながらアパートに帰ってクローゼットの中身と睨めっこしながら服を選んだり髪型どうしようとか悩んだりしていたら寝る時間がなくなってきていて慌ててベッドに潜り込んだ。二日連続で会えるなんて楽しみすぎる。明日もホテルに行くのかな。わくわくしてあまり休めなかったけど仮眠を取って支度をして、靴を履こうとするとシューズクローゼットの真ん中にある安っぽいスニーカーが目に入った。ヒールで靴擦れを起こした時に坂田くんがわざわざ買ってきてくれた物。思えばあの時からずっと彼に恋してる。
待ち合わせ場所に行くとその人はもうスマホ片手に立っていた。見間違いかと思った。だってよく講義サボってるみたいだから時間にルーズな方かと思っていた。まだ二十分もあるのに。
「寒いのに待たせてごめんね」
「待ってないからだいじょーぶ」
行こうぜと自然に手を取られ歩き出す。わ、デートみたい。身体の関係は何度もあるのに手を繋いだのは初めてでドキドキする。会話があまりないまま辿り着いたのは百貨店で買いたい物は既に決まっていたらしくちょっと高めなメーカーのボールペンを手に取った。
「これ書きやすいんだよな」
「そうなんだ」
覚えておこう。レジでラッピングして貰うと赤い下地に賑やかな絵柄。サンタがニコニコしてる。誰かへのプレゼントかな。
「あ、可愛い。もうすぐクリスマスだね」
「そーだな。そしたらすぐ冬休みだな。一人暮らしだっけ?実家帰んの?」
「年明けに帰るよ。坂田くんは?」
「バイトあるから帰んねーかな。寮だから誰かしら残ってるし」
「寮生なの?初めて知った」
「めっちゃボロいから出てく奴も多いけどな。あそこ入ろうぜ」
そう言って入ったカフェでコーヒーを奢ってくれた。今日付き合ってくれたお礼だと言う。何もしないでただ隣にいただけなのになぁ。女の子にお金出させないのってなんかずるい、格好良い。時間帯のお陰か結構混み合っていてカウンターに座ったわたしたちは探るように少しずつお互いの話をした。どこ出身かとか何人兄妹かとか、高校の時どんな部活してたとか。坂田くんがブラックよりカフェラテ派なのを知ったりよく聴く音楽が似ていて驚いたりした。話していたら楽しくてあっという間に時間が過ぎた。買い物よりカフェにいる時間の方が断然長くなった頃にふと、会話が途切れたタイミングで坂田くんがカウンターの下に置いていた手を握ってきた。
「…どうかした?」
ドキドキしてるのがバレないように自然に返したつもり。裸を見せるのに比べたら手を繋ぐくらいなんて事ないはずなのに、そもそもの順番を間違えたわたしにとってはこっちの方が動揺してしまう。その手が膝丈のワンピースの裾をほんの少しずらして直に脚に触れた。身体が条件反射のように震えそうで慌てて手を押さえた。
「見られちゃうからダメ」
「混んでるからわかんねーよ。今日の服、可愛いじゃんって思って」
「それなら触らなくても言ってくれればわかるから」
「触りたいくらい似合ってるってこと」
「もう、ほんとバレたら恥ずかしいからやめて」
すりすりと太腿を撫でる手つきがいやらしくなってきてるのは気のせいだろうか。昨夜の指使いを思い出してしまい下腹部がじんと熱を持ちそうになる。追い討ちをかけるように耳元で囁かれる。
「……行く?」
どこにと言わなくても浮かぶ場所は一つだ。どうしよう、そんな声で誘われたら行きたくなってしまう。でもそしたらやっぱり自分はこの人のセフレなんだって思い知ってまた虚しくなるんだろう。やっと初めてホテルの外で一緒にいられたのに。
「ううん、今日は大丈夫」
「そっか」
せっかく誘ってくれたのに断るなんて馬鹿。でもどうしても今日の思い出はこのままであって欲しかった。
日が暮れる頃、アパートまで送ってくれた坂田くんは呆気なく帰っていった。彼からふわりと香る同じ香りは今夜にでも落ちてしまうだろう。寂しいな。身体以外であの人を繋ぎ止められる程の権利や物をわたしは持っていない。
「…クリスマス、空いてるかな」
聞けば良かったのにな。でもやっぱり怖い。本命とはいかなくても特別な子とかいたりするのだろうか。他の女の子とはどんな風に過ごしているんだろう。
次に坂田くんを見かけたのはちょうどクリスマスの日。明日から冬休みに入る。帰省の為にトラベルセットが欲しくてドラッグストアに寄ろうと思い普段は使わない道を通ると賑やかな声が聞こえてきた。学生寮だ。こんな所にあったんだ。外でパーティでもやるみたいで寒いのにテーブルを出したり飾り付けをしている。学園祭みたいで楽しそうだなぁと興味本位で見ていると銀髪が目に飛び込んできた。坂田くんだ!隣には女の子がいて仲良さそうに何か話していた。そしてポケットから取り出した赤い包みをその子に渡した。一緒に出かけた日に買ったのと同じラッピング。
「ありがとー銀時!」
たくさん人がいるのにプレゼントに喜ぶ女の子の声だけがやけにはっきりと聞こえてきた。お気に入りのボールペン。わざわざラッピングして貰ったのはそう言う事だったんだ。きっとあの子が坂田くんの本命なんだろう。
「…なんだ」
いるんじゃん、特別な子。少し街を歩いて話しただけで浮かれて馬鹿みたいに喜ぶわたしと、寮で毎日一緒にいられるあの子とじゃ何もかもが違いすぎる。やっぱりセフレから始まる時点で勝算なんてなかったんだ。あんなの見たらもう、これ以上抱かれても虚しいだけだ。……もう止めよう。こんなこと続けても満たされるのは一瞬で心が擦り減っていくだけ。
『もうホテルで会うのやめるね』
『どういうこと』
家に戻って坂田くんにメッセージを送ると直ぐに返ってきた。パーティーはいいのかな。水を差すようで悪いと思ったけど決心が揺るがないうちにさよならしてしまいたかった。
『もう飽きちゃったから』
全然飽きてない。ただ悲しくてもう無理なの。坂田くんには嘘ついてばっかりだ。こんな自分じゃ好かれるはずがない。
『じゃあ最後に一回だけ抱かせて』
「…………何それ……」
じゃあってなに。わかってない。何も。結局身体があれば心なんてどうでもいいんだ。ヤれたらなんでも良いんだ。わたしはこんなにも、身体じゃなくて心が欲しいのに。涙が溢れそうになった時、インターホンが鳴った。確認もせずドアを開けると誰もいない。聞き間違いかと思い閉めようとするとガン!と何かが挟まった音がして見ると足だった。見たことある靴。
「さ、かたくん…」
「……何、さっきの」
何はこっちの台詞だし、それより何で怒ってるのかわからない。息を切らしてここまで来たことがわかるくらい必死な顔して。パーティーは?彼女は?そんなこと聞ける雰囲気じゃなくて、とにかく上がってと言うと静かに靴を脱いだ。
「説明してくんないと納得できない」
「…さっき送った通り」
「急に?前触れもなく?この間まであんだけ善がって喜んでた癖に?」
「……っ」
「彼氏でもできた?」
「ちがう。こういうのがもう嫌になったの」
「俺だけ?他の奴は?」
そんなの初めからいない。なのに坂田くんは存在しない他のセフレのことをよく気にしてた。独占欲が強いのかもしれない。だからわざわざ家まで話をしに来たのかもしれない。こんなことになるならメッセージじゃなくて電話にすればまだマシだったのだろうか。答えられないでいると何か理解したのか「ふーん」と面白くなさそうに鼻で笑った。
「この部屋来た男何人目?このベッドでもセックスしたの?」
「してないよ」
「まぁどっちでもいいけど。なぁ、最後に抱かせてくれるんだよな?」
「っや、んん、!」
強引に唇を合わせて割り開いた舌先が何でって問いかけてる。ベッドに押し倒されて荒々しく服を捲り上げると冷えた手が肌に触れて震えた。
「や、だ」
知り尽くされた弱い所や敏感な部分に触れる度、喘ぎ声じゃなくて涙が溢れた。流されて気持ち良くなってしまいそうな自分が嫌だった。こんな最後嫌なのに。お願い止めてと思い切り胸板を押し返すとようやく止まった。
「そんなに俺に抱かれるの嫌?」
「…っ、う、………うー…」
「泣きたいのはこっちなんだけど」
こっち見てと言われてぎゅっと閉じていた目を開けると坂田くんもおんなじくらい悲しそうに眉を下げていた。てっきり怒ってるかと思ったのにいつもの余裕ある表情がなくなって弱々しく見える。なんで坂田くんがそんな顔するの。
「なぁ、俺なんかした?買い物付き合って貰った時もホテル行くの断られたし。ああいうことしない方が良かった?めんどくさくなった?」
畳みかけるように質問されて何て返せば良いかわからなくなった。もうこれ以上嘘はつけない。
「…ちがうの……楽しくて…。楽しかったから、もう嫌なの…」
坂田くんが他の人と居るのが無理になっちゃった。もっと特別になりたくなってしまった。こんなのセフレ失格だから、このままじゃもういられない。
「っ…、エッチしたい時じゃなくて、会いたい時に会いたい…。坂田くんの一番になりたい…っ、でもそんなのセフレじゃないから、だから」
「…なんだそれ。会いたい時に会えばいーじゃん。連絡したい時にすればいーじゃん。別にセックスしなくたって俺は」
「でも彼女いるのにそんなことしたくない」
「は?誰の彼女」
「言わせないでよ…。さっき寮でボールペン渡してた子」
「は?」
ポロポロと涙が落ちた。乱れた衣類にボサボサになった髪でおまけに泣くなんて最悪だ。「見てたのかよ」とバツが悪そうに呟いた坂田くんはティッシュを何枚か取ってわたしの顔に雑に押し当てた。
「あれはバイトでアイツの弟の家庭教師やってて、たまたまクリスマスが誕生日だから渡すように頼んだだけなんだけど」
「……家庭教師…?」
「そう」
それって、あの子じゃなくて男の子へのプレゼントってことで。じゃああの子は彼女じゃない?それならわたしと同じってこと?
「セフレ?」
「だーかーら。彼女もセフレもいねーんだって。ホテルで会ってたのは名前だけ」
「へ…………?なんで?」
「何でって、逆になんで他にセフレがいることになってんの?まぁ否定も肯定もしなかった俺も悪いけど」
「え、だって」
もともと出会ったのは出会い系の飲みサーで。そこで会った女の子達が坂田くんはよくサボって女遊びしてるって言ってたから。それを裏付けるように振る舞いも見るからに手慣れた。そもそもセフレになろって誘ってきたのは坂田くんだし、なのに、
「嘘、だったの?」
「ならこっちも聞いていい?俺の学部の先輩から名前と同じシャワージェルの匂いすんだけどセフレの一人なの?」
ぱちぱちと瞬きする。え、何で急にあの先輩が出てくるの?
「あの人、今わたしの学部の友達と付き合ってるの。その子にシャワージェルどこで買ってるのって聞かれて教えたから同じの使ってると思うけど…。その先輩とは直接話したこともない…よ…?」
「………なんだ、そっか」
説明するとあからさまにホッとした顔をした。あれ?何か思ってた展開と違う。坂田くんには彼女も他のセフレもいないらしい。だとするとわたしはどうしてこんなに悩んでたんだっけ。
「あのさ、もうひとつ聞きたいんだけどっつーかもう期待しちゃってんだけど…もしかして名前、俺のこと好きだったりする?」
いつの間にか離さないと言わんばかりに手を握られていた。あの日カフェで繋いだみたいに。もしかしてわたしたちってお互い本当に話さなきゃいけないことがあるんじゃないかと気づき始めた。言ったらもうセフレにも友達にもなれないかもしれない。それでも、どうせ終わってしまうなら気持ちを伝えたい。
「…うん……っ、坂田くんが好き………」
「…………」
「坂田くんになら抱かれても良いと思ったからセフレになったんだよ。男遊びなんてしたことない、ずっと坂田くんだけだったの、」
言い終わる前に唇が触れた。温度を確かめてすぐに離れる、優しいキスだった。
「…その話詳しく聞かせて」
「…うん…」
少しずつ、本当のことを話していった。成り行きで一緒にホテルに入った夜が初めての行為だったこと、好きになってからは身体だけの関係が辛くて仕方なかったこと。
「は!?え!?ちょっと待ってもしかして初めてヤッた時処女だったってこと!?」
「…うん、だからわたし坂田くんが思ってるような人じゃない。性欲強いとか他に男の人がいるとか嘘なの」
「えっ、?ちょっ……えっ?」
途端に青ざめた坂田くんは頭を抱えた。どうやら初めての時の記憶を引っ張り出しているらしく「嘘だろ…」と唸っている。
「じゃあ俺知らないうちに名前の処女貰ってたって事だよな?マジかよ経験あると思って絶対無理させてたわ……しかも初めてなのにガンガン潮吹かせてたってこと?ヤベー…色々やべー…」
「経験豊富な坂田くんとなら良いかと思って……言わなくてごめんね」
「………ちょっと…今年イチの衝撃なんだけど…あーでも思い返すとちょっとおかしいなとは…。いや、知らなかったとは言え乱暴にして悪かった」
「ううん、気持ち良かったから大丈夫」
冗談めかして言うとやっと顔を上げて笑った。
「お前素質ありまくりだよエロ過ぎんだろ」
「でもわたしも坂田くんに他に女の子がいないなんて信じられないんだけどなぁ…」
「そこはマジで信じて。マジで名前以外なんもねーんだって。つーかそれならセフレやってんの馬鹿馬鹿しくね?俺たち普通に両想いじゃん」
「…両想いなの?」
「あー……、うん、その、…名前、ずっと好きだった。初めて会った日から」
「……うそ」
「どうやったら信じてくれんの?」
じっと顔を覗き込んでくる坂田くんの瞳は真剣で、その言葉に嘘なんかない。わたしももう嘘はつかない。周りの噂や思い込みで判断するようなことはもうしない。
「今までで一番優しくキスしてくれたら信じるね」
「いーよ」
好きだって囁いてから肩を包んでキスしてくれた。身体を繋げなくても手と手を握れば心がじんわりと暖かくなって気持ちがここにあるんだって伝わってくる。
「あのさ俺たち相性いいみたいだし、付き合わない?」
セフレになろうって言われた夜みたいな言い方をするから思わず笑ってしまう。
「ふふ、…うん」
「こんなに好きにさせておいて簡単に終わりになんてさせねーから」
「うん」
頷くとすごく嬉しそうに笑った坂田くんは乱れた着衣に目を落とした。てっきりそのまま脱がしてしまうのかと思ったら丁寧に服を着せてくれた。
「しないの?」
「ほら今日ってクリスマスじゃん。コンビニにケーキ買いに行こうぜ。一緒に食べてテレビ見て笑おう。そういう過ごし方もしてみたいんだよ。名前と」
「…うん!わたしも!もっと坂田くんのこと知りたい。たくさん話したい」
「明日から冬休みだからなー。今夜は寝かさねーぞ」
外に出たら雪が舞っていた。こんな寒い中必死で走って来てくれたんだと思うと胸が苦しくなった。それは今まで感じていた悲しい苦しさじゃなくて、もっとずっと暖かくて優しい痛みだった。信号を渡ったすぐそこにコンビニが見える。
「手繋いでいいかな」
「わざわざ聞くなよ」
「…コンビニ、もうちょっと遠かったら良かったのに」
「何だそれ。あんまり可愛いこと言うとケーキ食う前に抱いちまうぞ」
「ケーキ食べてテレビ見るんじゃないの?」
「…あ、その靴」
手を繋ぎながら不意に足元を見た坂田くんの視線の先はあの日にドンキで買って来てくれたスニーカー。てっきりもう処分したと思ってたらしいけどわたしにとっては初めて坂田くんから貰った大事な物。
「絡んできた先輩から助けてくれた時も、このスニーカーをくれた時も…坂田くんがすごく優しい人だってわかったの。だからこれは特別なんだ」
「…やっぱ抱く。絶対に抱く」
「だめだよ」
「名前、好き」
「坂田くん、セフレになってくれてありがとう」
「はは。何だそりゃ」
信号待ちでキスしてくれた坂田くんのお陰で家に戻るまでは全然寒さを感じなかった。何やかんやで結局今夜は彼に抱かれてしまいそうだけどまぁ良いやと思えた。だってもう次の約束は必要ないから。
Merry Xmas!
title by さよならの惑星