01.無防備の底
「お兄ちゃん、学校は?」
「……何時」
「7時半」
「無理だわ休む」
「もー、なんで起きれないのに夜遊びするの?」
「………」
「バイクの音うるさかったよ?ご近所さんにも迷惑だよ」
「………」
「せっかくお弁当作ったのに。あまーい卵焼き、上手に作れたのに。食べてくれないの?」
「………」
「じゃあわたし学校行くね」
「……10分待って」
だるそうにむくりとベッドから起き上がったのはわたしのお兄ちゃんの坂田銀時。銀魂高校の2年生。あまり学校は行っていないようだけど。勉強じゃなくてお弁当食べに行ってるようなものだ。まぁなんでもいいからとにかく学校には行って欲しいのがわたしの希望である。高校を卒業するのに出席日数は大事らしい。留年なんてした日には辞めかねない。この人は極度のめんどくさがりなのだ。加えて朝が弱い。
それなのに高校に上がってから『お友達』と夜遊びするようになってしまった。わたしの最近の悩みの種。バイクをふかして夜遅くまでどこかでたまっているようだった。
うちには両親がいない。早くに事故で亡くなってしまった。お兄ちゃんがわたしにとって親代わりで、わたしがお兄ちゃんの親代わりでもある。そうやって支え合ってやってきたのに、最近家に帰ってこなくなってしまった。朝にはちゃんとベッドに寝転がってはいるのだけど。家で顔を合わせるのが朝だけなんて、さみしいよ。
制服に着替える手つきは覚束ない。
制服とは言うけど着るのはワイシャツじゃなくてパーカー。学ランは着たり着なかったり。そこにあるはずのボタンはなぜかない。隣の高校の生徒と喧嘩したら弾けたんだとかなんとか。
寝癖でボサボサの髪を撫でて整えてあげるのは昔からわたしの役目だ。
「名前」
名前を呼んで目線を合わせて「ん」と喉の奥で言うのが合図。
お兄ちゃんがわたしの前髪を大きな手でかき分けておでにキスをする。おはようの挨拶だ。
「はよー」
「おはよう銀時お兄ちゃん」
子どもの頃からの習慣を高校生と中学生になっても続けている。幼い頃お母さんがよくしてくれていたのをお兄ちゃんがしてくれるようになった。前はおやすみのキスもしてくれていたけど、お兄ちゃんの夜遊びによってその習慣は終わってしまった。きっとおはようのキスも、そのうちなくなるんだろうな。
なんにも入ってない鞄にお弁当と朝ごはん用のおにぎりを突っ込んでヘルメットを被ったお兄ちゃんのバイクの後ろに乗せられる。わたしもヘルメットをかぶってぎゅっと大きな背中にしがみつく。必要以上に大きな音がするこのバイクは少しだけ怖い。
お兄ちゃんの高校とわたしの中学は中高一貫だからすぐ隣にある。お兄ちゃんが学校に行く日はこうしてわたしを中学まで送ってくれるのだけど、バイクの2人乗りで登校するのは非常に目立つ。遅刻ギリギリに校門に着いた。急ぎ足で横を通り過ぎる生徒たちはわたしたちを見ないフリして駆け足でかけていく。『坂田先輩だ』『やべぇ、カッケェ』『高等部の3年生倒してシルバーウルフのリーダーになったんだろ?』
とにかく、銀時お兄ちゃんは有名なのだ。
「おはよーございまーす」
「坂田ァ!お前は高等部だろーが!早く行け!」
「ついこの間まで担任してくれてたじゃないっすかぁ〜あー今は校長でしたっけ〜ババァ先生」
「ババァ先生じゃねーよ寺田先生と呼べっつってんだろ!ったく、妹がしっかりした分兄はとんだ怠け者になっちまったもんだよ」
校門で生徒を迎えていた校長先生に怒鳴られつつお兄ちゃんに支えられてバイクから降りた。ヘルメットを返してスカートがめくれていないか確認する。うん、大丈夫。
「お兄ちゃん、行ってきます」
「おう。帰りは真っ直ぐ帰れよ」
「はーい」
ブルルルと大きな音を立ててお兄ちゃんは行ってしまった。帰りは来てくれないんだ。背中にくっついていた体温はもう溶けてなくなってしまった。
title by 失青