夕立と秘め事


*影山→(←)ヒロイン



梅雨に入ってからずっとぐずついた天気が続いている。梅雨なんだから当たり前だけど。いい加減うんざりしてくるほどのどんよりとした雲にため息を吐いた。空は濁って厚い雲が太陽を覆い隠している。空の主役は俺だと主張しているみたい。湿気で体はベタベタだし汗はひかないしで最悪だ。少しでも涼を得ようと襟元をパタパタさせてみるものの、正直そこまで変わらなかった。

あと数分で本日最後の授業が終わる。時計を睨みつけながら早く終われと心の中で念仏のように唱えていると、ふと横から視線を感じた。
まさかそんなはずは…だってこの視線の主は居眠り常習犯の影山くんだ。チャイムがなっていないのに起きているわけ…あった。視線がバッチリとあっているのでこれは現実だ。ただ、今起きたみたいで寝起きの顔をしている。普段仏頂面をしているのとは比べ物にならないくらい寝顔は穏やかで子供みたいでかわいいのだ。寝起きもそうで、眠そうに目を瞬かせて少しぼんやりしたあとに手の甲で目を擦る。今日はこちらに顔を向けて眠っていたのでその一連の流れがすべて見れてしまう。…ほんと可愛いなぁ。ギャップ萌え。

ところでこの人はどういった心境の変化があっていつもより早めに起きたのだろうか。やはりテスト期間ということもあって部活ができないから逆にそわそわしてしまっているのかもしれない。…なんでバレー部のマネージャーでもないのにこんなことを考えているんだ私は。いや、影山くんは本能的に授業が終わることを感じ取ったんだ…多分。

にしても、見過ぎじゃないかなこの人。何でこんなに見つめられてるんだろう。私も視線を逸らせばいいのにずっと見てるから悪いんだけど。…いや待てよ、私が自意識過剰なだけで、影山くんはただ寝起き特有のぼんやり眼で虚空を見つめているだけなのかもしれない。視線は私にあるけれど私を見ていない、みたいな。もしそうなら私ただの恥ずかしい人じゃん。えぇ…。
迷いが生まれた私は彼からそっと視線を逸らした。気付けば板書が最後に見た時から大分進んでいたので急いで書き写した。その間も影山くんからの視線は刺さっていて、目を逸らしてから余計に眼光が鋭くなったように感じた。

数分後、ここはテストに出すからちゃんとやっとけよーという先生の声で授業が締め括られ、ちょうどチャイムが鳴った。影山くんはやっと覚醒したのか日直のやる気のない「きりーつ」でガタガタと席を立った。そこで先生が思い出したように「影山ぁ、盛大に寝てたな。ホームルームの後3組の半分と2組のノート回収するから手伝えー。あと苗字も頼む」と言い放ち、私と影山くんは絶句した。クラスメイトたちが「影山はわかるけど苗字はただの巻き添えじゃんかー」と私を擁護する声を上げ始めた。影山くんは狼狽えている。先生は苦笑いしてたけど、じゃあお前らが手伝うかといえば、彼らは途端に何も言わなくなった。とどのつまりそういうことだ。私は親に売られたような心境で、もう何を言っても無駄なことを悟った幼子のように心の中でそっと合掌した。そして今度こそかけられた号令にみんなして頭を下げた。



「…悪い。俺のせいで苗字さんまで手伝わせることになっちまった」


ホームルームを終え、先生に言われた通り影山くんとノートを回収して職員室に向かっている途中、影山くんがぽつりと呟いた。隣を見上げると、彼はバツが悪そうな顔をしている。なんだか可愛らしくて思わず笑いそうになったけれどなんとか耐える。多分だけど、ここで笑ったら怒られる。


「あ、いや、私も起こさなかったし…隣だからこうなるのは仕方ないよ」


気にしないでと笑えば影山くんは眉間のシワをもっと濃くしてうぬんと唸った。同意していいものか考えているんだと思う。
…あれ、影山くんて意外と素直でいい人だ。あのオレンジの髪の子や長身の人がが言うような人じゃないのかも。…いかんいかん、大した話したこともないのに噂だけで人の印象を決めるのはよくない。そう思い至った私は心の中で影山くんに謝った。



「雨、降りそうだな」


先程の悩み顔はどこへやら、唐突にそう言った影山くんにつられて外を見れば、確かに今にも雨が降り出しそうだった。というか少し降ってる。でも傘を差す必要はなさそうな雨足なのでこれ以上イレギュラーなことがなければ大丈夫だと思いたい。
空模様を気にする私に影山くんはもう一度謝った。どうやら彼は今日何度も謝らなければ気が済まない日のようだ。

職員室に向かう道のりで、何故他クラスのノートを私たちが集めることになってしまったのかなどの愚痴を溢しながら進んだ。影山くんはコミュニケーションをとるのが苦手なようだけれど、話せば頑張って話してくれるらしい。少しだけ影山くんの為人が分かってきたところで職員室に着いた。もう少し話していたかったな、と少し残念に思っている自分にびっくりした。

先生にノートを渡すとニコニコと「悪いなー」と言いつつ影山くんに一枚のプリントを渡した。影山くんと私は頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。


「それやって明日忘れずに提出しろよー。それちゃんとやって明日出せば授業中の居眠りはチャラにしてやるから」


先生は私たちに雑用をさせた挙句、随分と残酷なことを告げた。影山くんなんて絶句している。
先生の目がこちらに向けられた。目を合わせないようにしようと思ったけれど時すでに遅し。目があってしまった。先生は、お前もやっとくかと軽い冗談のように言っていたけれど、確かに私はこの教科(数学)が苦手だ。私は関係ないにしても、いい機会だし一応やっておくかと観念して受け取った。

先生に見送られ、教室への道のりを重たい空気を纏いながら戻る。影山くんは勉強嫌いなのでそのショックは計り知れない。周りの空気まで巻き込んでどんよりとしている。かける言葉も見当たらなかったので、職員室に向かうときとは真逆に静かな時が過ぎていった。


「…苗字さん」


帰り支度を済ませてさあ帰ろうという時、やっと声を発したかと思えば眉毛の形を変えてあちらこちらに視線を動かす影山くんが私の方を向いている。私も体を彼に向ければ口をモゴモゴさせた後、耳を澄まさなければわからないくらいの音量で呟いた。


「この後時間あるか?」

「えっ、あ、うん。あるけど、どうかした?」

「…さっきのプリント、多分俺一人じゃできないから…教えてください」


なんと。影山くんは真面目にあのプリントに取り組もうとしているらしい。勉強嫌いで有名なあの影山くんが、だ。
私はじーんとした。影山くんがこちらの様子を伺うように見ているので慌てて二言返事をすると、あざす! と、いかにも体育会系なお返事をいただいた。


「家誰もいないんで、もしよかったら家で教えてくれないすか」


そしてまさかまさかの展開、影山くんの家にお呼ばれされるとは思わず。驚きで思考停止してしまった。でもあの影山くんが私に興味を持っているとは考えられなくて、これはなんの下心もない提案なんだと一人で完結する。いやまさにそうだ。影山くんは恋愛とか全く興味がなさそうだし、ないない。
少しフリーズしたのちに頷けば、じゃあ行くかと歩き始めた。置いていかれないように私も慌てて彼に続いた。

学校を出ると雨が降っていることに気付き、お互いに折り畳み傘を差した。歩いている間、特に会話があったわけではないけれど苦ではなかった。でも、正直それどころではなかったというのが現状だった。何故なら、物凄く激しい雨が降り始めたから。
学校から離れるにつれて雨足が強くなり、終いには傘をさしている意味がないくらいの大雨になった。影山くんも私も同じことを考えていたのか、通りかかった商店街の軒下で一旦雨宿りをすることにした。
自分の状況を確認すると、両肩や髪の毛が濡れているのはもちろん、本来ならば無傷に近いであろうスカートはずぶ濡れになっていた。むしろ下半身の方がガードされていないのはやはり大雨の影響だろう。
すごい雨だねと影山くんを見上げれば、彼は頷いてからぎょっと目を見張り、気まずそうに目を逸らした。下着は透けてないはずなんだけど、何かあったかな。
影山くんは身長が高い分私よりもズボンが甚大な被害を受けているようで、大分色が変わってしまっている。きっと水を吸って重くなってしまっているはずだ。影山くんは何かを考えるような顔をして、解決したのか私にその結果を話すために屈んだ。私も彼の声に耳を傾ける。


「こっから家近いから、傘差してても無駄だし走るぞ」


雨音に負けないように少し声を張り気味にそう言った影山くんに頷けば、腕を掴まれて二人一緒に土砂降りの中を駆け出した。
雨の中に飛び込んだ瞬間、辛うじて無事だったお腹のあたりも頭のてっぺんもぐっしょりと濡れ、まるで服を着たままシャワーを浴びたかのように濡れた。でも影山くんの言う通り傘をさしている意味はほとんどなかったので結果オーライだと思いたい。影山くんが腕を掴んでくれているとはいえ、バリバリのスポーツマンについていくのは簡単なことではない。少しでも早く家に着けるように短い足をフル回転させて影山くんについて行った。


影山くんの家の前に来ると、彼は掴んでいた手を離して鍵を探すために鞄を漁った。私はその間待ちぼうけだ。恐らく目的のものを見つけたであろう影山くんがそれを握りしめて鞄を閉じる。そしてふいにこちらを振り向いたと思えば、私を見下ろしていた。なんとも言えぬ表情を浮かべている。少し憂いを帯びたような、表現し難い顔だ。
どうしたんだろうと彼を見上げていると、影山くんは私の両肩に手を乗せてそのままペタペタと触り始めた。家に入らないのかと思ったけれど、それはさすがに厚かましくて聞けないので家主の彼にされるがままになっている。
じっとりとまとわりつくような暑さの中で激しめの温い自然のシャワーを浴びているので寒いわけではないけれど、熱を持った影山くんの手が心地よいと思った。雨に濡れているせいか彼の手の温度が一層熱く感じる。影山くんは肩を掴んでいた手を段々と降下させて二の腕やらを確かめるように掴んだ。
同級生の男子に、しかも長身で顔がいいクラスメイトにこんな風に触れられて、だんだんといけないことをしているような気分になってきた。それと同時に体の奥がジンと熱を持ち始めている。

何故、こうなった。

影山くんは彼を見上げる私を、顔を思い切り歪めるような感じではなく、思わずといったような苦悶の表情を浮かべ、目を逸らしてもう一度こちらをちらりとみたかと思うと戸惑いがちに私に口付けた。離れていく影山くんをみていると、その一瞬の出来事が現実だったということがわかる。影山くんがゆっくりと目開けて上体をほんの少し戻し、先程よりも近い距離で見つめ合えば、彼は私の腕を掴んで家の中へと入った。少し乱暴とも思えるその行為は、彼の切羽詰まった気持ちを表している。

家の扉が閉まり、激しい雨音が小さくなった。少しの間私に背を向けていた影山くんが悪ィ、と呟くように謝罪したのが聞こえた。私はどうしていいかわからず、腕を掴んでいる影山くんの手にそっと触れた。

瞬間。

彼は私の二の腕をがしりと掴んで唇をくっ付けた。壁に押し付けられた後頭部と勢いよくぶつかった唇が少し痛かったけど、影山くんにこんな風に襲われているのが実感できなくて、何よりも気持ち良くてあまり分からなかった。驚きのあまり…いや、逆に冷静になったのかもしれない。それにしても何もせず、目を閉じることも忘れて呆然と彼を見上げていることしかできなかったことには変わりない。
彼はハッとしたように勢いよく唇を離して謝ったけど、体は素直で私の腕をまだ強く掴んだままだ。それにさっき外でもキスして謝ったのにまたキスして謝った。同じことの繰り返しだ。しかしここで注意すべきは、私は決して不快な気持ちになっているわけではないということ。
影山くんを見上げると、彼の顔…それどころか首や耳まで真っ赤になっていた。照れている顔も可愛いと思っていると、見んなと言われた。でもそっぽを向かれて痛いくらいに腕を掴まれてそんな真っ赤な顔で言われても迫力なんてないし説得力もない。何より言ってることと今の状況がちぐはぐだ。
クソ、と呟いて俯く影山くんにつられて目線を下げれば、彼の髪から水が滴った。それを追ってさらに目線を下げればワイシャツが透けて肌色が見えている。あの雨の中一緒に走ってきたのだから当然だ。それでも今の今までそのことを忘れていたのだ。私はごくりと唾を飲み込んだ。見てはいけないものを見ていると自覚はあったけれど、視線を逸らすことができなかった。美しくて、普段晒されることのない部位の肌色だからかもしれない。彼のシャツが透けているのなら私も同じ状況になってしまっているのは確実だ。見苦しいものを見せてる自覚はあるけれど、そんなことに構ってられる余裕があるはずもなく、もう一度自分の喉が上下するのが分かった。

私は彼に、欲情している。そして、きっと彼も。

影山くんは普段仏頂面でにこりともしないし、眉間にシワを寄せてることが多いし、良いことも悪いことも思ったことを口にするし、口も悪いし授業中眠ってばかりだけれど、今目の前に立っている彼は本当に同じ人物なのかと思うくらいに狼狽えていて、いつも感じる威圧感なんてなくて、何故だかとても愛おしく感じた。
影山くんはすでに二度やらかしている。それなら、私だっていいはずだ。お互いに若気の至りということで処理できるはずだ。そう信じたい。

私は影山くんの腕にそっと手を添わせ、影山くんを覗き込むように、下から掬い上げるように彼の唇に自分のものを当てた。影山くんは体をビクつかせ、至近距離で見つめてくる。…私が言えることじゃないけど、キスしてるんだから目開けないでよ。そして見つめるな。
ゆっくりと離れても影山くんの視線は私を捉え続けている。今度は私が恥ずかしくなる番だ。きっとさっきの影山くんもこんな感じだったんだろうなと思うと申し訳なくなった。

緊張で唇が乾燥する。露骨に舌を出して唇を舐めるのは気が引けたので、唇をぎゅっと噛み締めるようにしまって軽く湿らせた。影山くんの視線が唇に注がれているのがわかる。彼がだんだんと先ほど私がしたことを理解し、我に返ってきたらしい、青みがかった黒い目に力が宿り、とても色っぽく目を細めた。
少し戸惑いがちだけど、今度は確かにゆっくりと屈んで唇を当ててきた。少し長めにくっつけて、離して、くっつける。ただそれだけの単純な行為なのに、ひどく胸が高なった。影山くんがその合間に「柔らけェ、」と吐息まじりに言うものだから、この行為も相まってお腹の奥がジンと熱を帯びる。思わず影山くんの腰に手を添えてしまったけれど、影山くんも戸惑いながらも私を抱きしめてくれた。もっと気持ち良くなりたくて唇を軽く当てると、唾液で濡れた影山くんのつるつるな唇が啄むように重なった。
まるで電流が走ったような快感が体を駆け巡り、影山くんのシャツを握り締めてしまう。でもそれは影山くんも同じみたい。シャツ越しに感じる影山くんの体は火照っていて、興奮しているのが自分だけではないと分かって安心した。きっと影山くんも気持ちいいと思ってくれているんだろう。そう思うと、とても興奮した。あの影山くんが、私で興奮しているんだ。より一層お腹の奥が熱くなり、ぎゅっと力が入る。
影山くんの薄く開いた唇に舌を差し込むと歯を立てられかけた。びっくりさせてしまって申し訳ないけれど、もう後には戻れない。私は快感を貪る怪物になってしまったらしい。でも影山くんが拒んでくることもなかった。それどころか私の舌を甘噛みしたり吸ったり、ぎこちなく舌を絡めてきたりしている。
もっとくっつきたい。勝手に体に力がこもって影山くんにさらに密着してしまうけれど、影山くんは拒否せず私が抱きつけばその分もっともっと強く抱き締めてくれた。影山くんの腕が腰と頬に添えられて深く繋がっている感覚に陥る。

ああもう、すべてが気持ちいい。だいすき。

麻痺する頭の中でそんなことを考える。雨に濡れた服をお互いの肌に擦り付け合いながら服越しに体温を共有していると、裸の時よりも卑猥さが滲み出ると思う。私ってこんなことを考えるくらい変態だったんだ。
キスがだんだん濃く深くなっていくのにお互いを貪り合うから息が荒くなっていく。目尻から快感による涙が流れ出る。すき、すき。背伸びをして縋り付く私は多分側から見ればとても滑稽な姿をしているんだろう。それでもよかった。影山くんとキスしていられるならそれでよかった。


どれくらいそうしていたのかわからない。影山くんの舌が上顎に触れた瞬間、体がビクつき、堪えきれなかった声が口端から零れ落ちた。
その瞬間、影山くんはハッと顔を離したかと思うと、脱力するようように私の胸元に顔を埋めた。私を抱きしめる腕は腰に回ったままだ。
…どうして影山くんが私より恥ずかしがっているんだろう。でも、自分よりも焦っていたりテンパっている人を見ると不思議と落ち着くもので、その点では感謝だ。私は自分の行いを棚に上げて、普段ほぼ表情を崩すことのない(不機嫌そうな顔はよくする)彼が照れたり欲情したりする様を見ていた。

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