1:ねむるしょうじょ

 今でも脳裏に思い浮かぶのは目も当てられないほど無残な両親の遺体。頭に響き渡るのは骨を切り落とすゴリゴリと鈍い嫌な音。
 必死で声を押し殺して、息を潜めて、涙を堪えた。

 壁の向こうで両親が喰われている。

 そっと窓から家の中を覗き見た。
 灰色の頭をした細身の男が横たわる母の唇にそっとキスをして、そのまま頬ごと齧り噛みちぎった。バリバリと肉を剥ぎ、辿り着いた眼球をぺろりとひと舐めする。
 わたしは吐き気が催したのを既のことで押し留めた。
 見つかってはいけない。見つかったら、きっとわたしも殺されてしまう。
 ガタガタと震える身体をなんとか押さえつける。爪が食い込んだところから血が滲んでいたけれど、そんなことは構わなかった。


「……ごちそうさん」

 不意に家の中から落ち着いたテナーが聞こえてきた。
 はっと気がついた時にはもう遅くて、家から出てきたその男とばったりと出会してしまったのだ。

「……っ、ひ……!」
「おやぁ、娘がいたのか。惜しいことをしたな、もう腹はいっぱいだ」

 愉しげに目を細める男は腰を抜かすわたしの頭をぽんぽんと2回撫でた後、またねと言って踵を返した。

「僕はこれから旨い肉を求めて偉大なる航路グランドラインに行くんだ」

 そう言って去っていく背中を見つめて、下唇を噛んだ。許せない。わたしの大好きな、優しいお父さんとお母さんをこんなふうにひどく甚振って。絶対に許さない。殺してやる。殺してやる……!
 だけど男の背中が見えなくなるまで脚は震えたままで、腰に力は入らなくて、ただ見送ることしかできなかった。

 唇に滲んだ鮮血は鉄の味がして、いやに不快だった。






**




「……おォ?」

 怪訝そうに目を細めたウソップは甲板からぐいと身を乗り出して海面を見つめる。ゆらゆらと波に揺れているのは一艘のボートだ。心地よさそうに眠るゾロを除き、一味の皆もつられてそれに目をやった。

「珍しいわね。あんな小さな船が沖にいるなんて……」
「だよなァ、今時海賊がウヨウヨしてて危ねェっつーのに」
「おれたちも海賊だけどな!なははは!」

 大海賊時代とはいえまだここが最弱と呼ばれる東の海イーストブルーだからかもしれないなと、あまり気に留めずにこれから進む偉大なる航路グランドラインへの想いを募らせてその場は解散しかける。
 しかしやはり違和感があるらしいサンジは訝しげにボートを見つめ続け、はっとその正体に気がついた。

「おい待て、誰か倒れてねェか?」

 物陰に隠れて見えづらかったが、誰かがうつ伏せて横たわっているのだ。それは自分たちと同じくらいに見える少女だった。
 昼寝から目を覚ましたゾロが大きな欠伸をしながらどうした、と集まりに混ざる。

「なんだ、遭難者か?」
「マイゴか!じゃあ助けよう!」
「待て待てルフィ、いくら東の海イーストブルーったってここはもう偉大なる航路グランドライン直前、どんな悪党かわからねェだろ!」
「そうよ!遭難のフリをしてこの船を襲うつもりかもしれないわ。私も昔その手口は使ったことあるし」
「オイ」
「まァ細けェことは後でいいだろ!」

 ウソップやナミが止めるのも聞かずに、ルフィはゴムの両腕をボートまで伸ばしあっさりと飛び移った。2人とも、あとほんのもう少しでいいから危機感というものを持ってほしいものだ、と、呆れて溜息を吐いた。まあ、それが彼らの船長の長所でもあるのだが。

 ぐったりとしたままで特に怪しい動きを見せない少女を小脇に抱え、ルフィは再びゴーイング・メリー号に飛び戻る。皆が甲板へ降りたその元へそろそろと屯した。

「……本当に気絶してるだけみてェだな」
「この子、随分窶れてるみたい。こんなところに1人でいて、一体何者かしら……」
「放っておくわけにもいかねェし、とにかく彼女が目を覚ますまで待つしかなさそうだな。ナミさん、あったけェ毛布とかあるかな」
「あるけど」
「船ん中で休ませてやるのが一番だろうが、起きた時にすぐ気付いてやれねェかもだからこのままこの辺で様子を見よう」
「それもそうね。じゃあ私のデッキチェアに寝かせてあげましょ」

 ナミの提案を元に、少女を抱き上げ移動させてやる。今日、潮風が落ち着いているのは幸いだった。

 少女を寝かせ各々が自分の時間に戻ったところで、1羽のカモメが船へと舞い込んだ。ニュース・クーだ。毎日ナミが新聞を購入するものだから、今ではもう呼ばずともこうして自分から訪れるのだ。

「また値上がりしたの?ちょっと高いんじゃない?あんたんとこ」

 新聞を受け取り首から提げた集金袋にチャリンと小銭を落としながらそう文句を言えば、ニュース・クーは「クー」と気まずそうに一鳴きした。

「こんど上げたらもう買わないからね」
「なにを新聞の一部や二部で」
「毎日買ってるとバカになんないのよ!」
「お前もう金集めは済んだんだろ?」
「バカ言ってるわ。あの一件が済んだからこそ、今度は私は私のために稼ぐのよ。ビンボー海賊なんてやだもん」

 少女の眠るデッキチェアの端に浅く腰掛け、バサと新聞を開く。紙面のどこを見ても物騒な言葉ばかりが並んでおり、ナミはふぅ、と息を吐いた。

「……しかし世の中もあれてるわ。ヴィラでまたクーデターか。……ん?」

 ページを捲った弾みで折り込みちらしが落ちてしまったようで、ひらりと床を滑る。皆つられてそれを目で追うが、書かれた内容に気付くや否や、思わず驚嘆の声を漏らした。

「あああああーーーーっ!!!」

 眠る少女が、ほんの僅かに眉を潜めた。

 船は今偉大なる航路グランドラインへ向かっている。

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