よく晴れた朝、頬を撫ぜる風が少し肌寒い。わたしは真新しい正十字学園の制服の襟を正して、ふうと息を吐いた。
メフィストさんがわたしの病室へ現れたあの日から、正十字学園の転入に向けて準備を始めた。転入に関する書類云々はもちろん、転入試験に向けての勉強だって必要だったし、のんびりと行っていたリハビリも少しでも早く活動できるようにとメニューを組み直してもらった。
騎士團などの様々な都合によって、メフィストさんから指定された転入日は2学期が始まってからしばらく経った後だった。まだ2ヶ月もあると思っていたけれど、慌ただしく過ごしていればそんなのはあっという間だ。気がつけば転入試験当日。会場に着いたところで、わたしの転入は特例で試験なしに確定しているのだと教えられたのだから拍子抜けだ。言うなれば、"騎士團推薦"ってところだろうか。まあそんなものはないんだけど。
そんなわけで単なる"クラス替えテスト"となった試験も無事終了し、今日がとうとう転入当日なのだ。
本当はもっと早くこっちに来て竜士くんや皆に会いに行きたかったのだけれど、メフィストさんが「サプライズにした方がおもしろい」とか言って許してくれなかったのだ。あのピエロめ。
そんなわけでなんと入寮が今日からになり、正十字学園町に到着したのはつい今し方の話だ。
竜士くんに会いたい。逸る気持ちを抑えられずに、校舎へ向かう早足は次第にスピードを増していく。雑踏を縫って走りながら、あちこちを見渡してその人を探した。
やっと会えるんだ。じんわりと熱くなる目頭を誤魔化すように小さく首を振った。
校舎前の階段下に辿り着いたところでふと顔を上げれば、随分と見慣れた金と黒の後頭部が目についた。間違えるはずがない。この2ヶ月間、どれだけ夢に見たことだろう。
「竜士くん……っ」
込み上げるものを抑えて階段を駆け上がる。リハビリをしていたとはいえ、こんなにも走り回るのはいつぶりだろう。息をゼエゼエと切らして重い足をなんとか動かす。上がりきったところで立ち止まり、息を整える。ある程度落ち着いたところでその後ろ姿を見て、やはり竜士くんであることを確信した。階段下からは気がつかなかったけれど、周りには燐くんや廉造くん、子猫丸くんもいる。
すぅ、と小さく深呼吸をする。なんせ久しぶりだ、さすがに少し緊張する。
意を決して、精一杯の声で、彼の名を呼んだ。
「竜士くん!!」
わたしの声に驚いて、その人は振り返った。
ああ、やっぱり、竜士くんだ。
目が合った途端、堪えていた涙が溢れて止まらなかった。わたしは思わず彼目掛けて一目散に駆け、半ば倒れ込むようにその腰へ抱きついた。
「竜士くん……!」
「な……っ」
戸惑う彼はわたしの肩に手を添え、恐る恐る身体を引き離して視線を合わせた。
ああ、またこうして彼の顔をきちんと見られるだなんて。そんなふうに思うと涙が次々に溢れてくる。濡れそぼった双眸がなんだか恥ずかしくて、誤魔化すみたいに細めて笑ってみせた。
「久しぶり、竜士くん」
「ほ、ほんまに名前なんか……?どういうことや?だって名前、お前……」
「わたしね、死んじゃってなかったんだ」
「……はあ?!」
混乱する竜士くんに、驚きを隠せない様子の塾の皆。2ヶ月も会えなかったのだ。随分と懐かしい。
わたしはメフィストさんから聞いた通りに、先祖返りについて説明をした。事情を聞いた皆がそんなことがあるのか、とわたしと同じような反応をしていたのがなんだかおかしかった。
「──そんなわけでわたし、これからは竜士くん達と同じように正十字学園に通えるんだよ!」
わたしの転入報告に廉造くんや燐くん子猫丸くんは喜んでくれたけれど、竜士くんはわたしの肩に手を置いたまま眉間に皺を寄せて何も言わなかった。
どうしてだろう、何かしてしまっただろうか。わたしは竜士くんに会いたい一心で転入してきたけれど、もしかして竜士くんには迷惑だったのだろうか。
「えっと……竜士くん。ごめんね、わたし迷惑だった?」
「ちがっ……!…………ちゃう、そうやない。ただ俺は……」
竜士くんは言いあぐねる様子で何度か言葉を詰まらせた。隣にいる皆のことを一瞬だけ見た竜士くんはバツが悪そうに、また眉根を寄せた。
「……もう二度と会われへんと思うてたんや。名前がここにおってくれるんが、えらい嬉しゅうて……」
そう言って僅かに頬を赤く染めたのをわたしは見逃さなかった。
そんなこと言われたら照れるじゃないか。ていうか、わたしの方こそ嬉しくて仕方がないんだ。肩に置かれた竜士くんの手をすり抜け、もう一度その背に腕を回した。
「わたしもまた会えて本当に嬉しい、竜士くん……っ」
こうしていると、竜士くんと離れた日の夜のことを思い出す。ぶり返した悲しみを誤魔化すみたいに彼のシャツの背をぎゅっと握り締めれば、竜士くんはわたしの頭を緩やかに撫でてくれた。その大きな掌の持つ熱が、ひどく心地よかった。
涙も収まった頃、我に帰ったわたしはさっと竜士くんに回していた腕を引っ込めた。人前でくっついたりすること自体にそんなに抵抗はないんだけど、さすがにモロにハグしてるのはちょっと恥ずかしかったな。うっかりだ。竜士くんにも申し訳なく思いつつ、流れ出してしまった微妙な空気に苦笑いする。
するとそんな空気を打ち消すかのように飛び込んできたのは、和やかなソプラノだった。
「お〜い……みんなおはよ〜!」
「あれ、杜山さん?」
「しえみ!なんで
わたしと同じように階段を駆け登ってきたのだろう、息を短く切らしながら頬を真っ赤に染めるしえみちゃんは嬉しそうに「あのね」と話し始めた。
「私、これから皆と同級生だよ!よろしくね!」
「まじで!?」
「中途入学の試験に合格したの!」
「あっじゃあしえみちゃん、わたしと同じなんだね!」
「へっ……え?!名前ちゃん?!どどどどうしてここに……?!」
「えへへ、いろいろあって実は生きてたんだ〜」
「よ……よくわかんないけど、一緒に編入できて嬉しいよ、名前ちゃん!」
そう言って可愛らしく微笑むしえみちゃんは、仄かに花の香りがした。
すると背後から「苗字さん」と呼び掛けられたものだからそちらを振り向けば、そこに立っていたのは雪男くんだった。
「雪男くん!」
「ここにいたんですね。しえみさんも、職員室はこっちですよ」
「あっ、はい!」
「あ!そっか、わたし職員室に行かないといけないんだった!」
「忘れとったんかい……」
呆れたように呟く竜士くんをじっと見つめると、彼は「な、なんや」と身動いだ。
一時は夢かと思っていた彼がこうしてわたしの目の前にいることが、ひどく幸せだと思った。
「へへ、なんでもない!また後でね!」
そう告げて、わたしはしえみちゃんと雪男くんとその場を離れた。