after-1 (2/2)

 ふと、窓の外を見つめた。
 今朝の空はやけに高くて、どこまでも登っていけそうな予感すら覚えさせる。人間が空を飛べるはずはないのに、近頃は無性にこんな感情に取りつかれるのだから不思議だ。大方、先日まで見ていた長い夢の影響だろうけど。

 不意に病室の扉が数回小さくノックされた後、返事を待たずにカラカラと控えめな音を立てて開かれた。
 訪れたのはお母さんだった。まだわたしが眠っていると思っていたのだろうお母さんは病室に入るなりわたしと目を合わすとあら、と少し驚いたように声を漏らした。

「おはよう、名前。起きてたのね」
「おはよ〜。やだな、人を寝坊助みたいに」
「昨日も一昨日もこの時間はまだ寝てたでしょ」

 お母さんの的確なツッコミにまあそうなんだけど、と笑った。事故で1週間も意識不明の重体だったのだから、昼までゆっくり寝てるのくらい大目に見てほしい。第一、それだけ長いこと眠っていたからか身体が鈍りきっていて体力の衰えが酷いのだ。ちょっと動いただけですぐに疲れてしまう。気持ちはすこぶる元気だというのに、全く難儀なものだ。

「何してたの?」
「んー、別に……。寝てる間に見てた夢のこと思い出してた」
「夢?」

 お母さんは自宅から持ってきたわたしの着替えなんかをある程度片してから、ベッド付近の椅子に腰掛けた。

「寝てる間って昨晩?」
「ううん、事故に遭ってから目が覚めるまでだよ」
「へぇ……どんな夢を見てたの?」
「えーっと、事故に遭ったわたしは夢の中では死んじゃってて……」

 随分と長くて複雑な夢だったから、どこから話せばいいのか迷ってしまう。初めから一つ一つ思い出して、ゆっくりと説明を始めた。
物質界アッシャー虚無界ゲヘナの仕組みやわたしがゴーストになっていたこと、正十字学園や正十字騎士團のことなんかも話した。

「つまりゴーストになったわたしは、竜士くんっていう男の子の使い魔として祓魔塾で悪魔祓いエクソシズムを勉強してたんだよ」
「……"ゴースト"に"悪魔"…………」

 夢の大まかな設定と内容を話し終えたところで、お母さんが珍しく眉間に皺なんかを寄せて難しそうな表情をした。
 どうしたんだろう、何かおかしなことでも言っただろうか。いや、まあ、悪魔だとかなんだとかがおかしなことだと言われればそうでしょうねとしか言えないけれど。でもこれあくまで夢の話だしな。悪魔だけに。

「名前、この夢の内容に現実で何か心当たりはあったりする?」
「えっ、ないない!あるわけないよ。だってこんなファンタジックなことがこの世に存在するわけ……」
「私も詳しくは知らないけど、正十字騎士團って実在するのよ」
「…………え?!」
「そのとおり!」
「うわっ?!?!」

 突然どこからか少し高めの男声がしたかと思えば、ボンとコミカルな音を立てて薄いピンクがかった煙が部屋中を覆った。
 というか、今の声は。

「あれは夢ではありまセン……☆」
「メ……っ?!」

 晴れた煙の隙間から姿を現したのは、白のスーツに身を包んだピエロ男。ここにいるはずのないその人は、夢で見たのと何ひとつ変わらない。
 一体、何が起きているというのだろう。

「メフィストさん……?!」
「ハイ!お久しぶりです、苗字さん。それに御母上、突然お邪魔して申し訳ありません」
「は……」

 ベッドの足元に立つメフィストさんを、お母さんは絶句して目が離せないでいる。

「フフ……。私は正十字学園の理事長、ヨハン・ファウスト。正十字騎士團では日本支部長なんかやっております」

 ヨハン・ファウスト……そういえば、メフィストさんは表向きではそんな名前を使っていると聞いたような。メフィストさんの紹介にお母さんは「正十字騎士團の……」と納得したように独り言ちた。

「メフィ……じゃなかった、ファウストさん。どういうことなんですか?さっき夢じゃないって……」
「順を追って説明しましょう。まずは苗字さん、あなたが正十字学園で経験したあの1週間は、紛れもなく現実の出来事です」
「……! でも、わたしがゴーストだったのは……?」

 仮にあの夢が夢じゃなかったとして、一番引っかかるのはやはりその点だ。今こうして生きている以上、わたしがゴーストであることは最もあり得ない。
 メフィストさんはわたしの問いかけにフム、と片眉を上げ、再びお母さんに向き直る。

「御母上は先程苗字さんから物質界アッシャー虚無界ゲヘナ、悪魔の存在について聞いて、何かお心当たりがおありなようで……?」
「えっ?!」

 メフィストさんの発言に思わずお母さんを振り返り見る。射抜くようなメフィストさんの視線に気まずそうな表情を見せつつ、怖ず怖ずと口を開いた。

「心当たりというか……。随分と昔、まだ私が幼かった頃に曽祖母から『うちの古いご先祖には"人ならざるもの"がいたんだよ』と言われたことが」
「やはり……。おそらくですが、苗字さんは"先祖返り"……もしくはそれに近いものでしょう」
「先祖返り……?」
「悪魔と人間のハーフは代を重ねるにつれ当然血は薄まり、能力が弱まっていきます。遥か昔にゴーストがいた苗字さんの御家系も例外ではありません。きっと御母上もごく普通の人間なことでしょう。しかし何代かに1人いる、その能力が蘇る者……それを先祖返りといいます」

 そう言い放ち眼光鋭くこちらを見やったメフィストさんとぱちと目が合い、ゆくりなく心臓を大きく飛び跳ねさせた。
 つまり、わたしには生まれつきゴーストとしての能力が備わっているのだというのだ。

「で……でもわたし、今までゴーストみたいに空が飛べたり何か不思議な能力が使えたこと、一度もなかったですけど」
ゴーストは死体から揮発した物質に取り憑く悪魔です。おそらく苗字さんが事故により仮死状態になり、ゴーストの本来の状態と非常に近くなったことで、内に秘められた能力が一時的に発現したのではないかと考えられます」

 なるほど、そう言われると概ね納得できるけれど、どこか判然としない。それは何故だろうと考えていたところ、不意にお母さんが「その……」と控えめに切り出した。

「先程からなんだか随分と曖昧な言い回しをされていますよね。正十字騎士團の支部長さんであれば、こういった案件はよくご存知なのかと……」

 言われてみれば、この話題になってからメフィストさんは「おそらく」だとか「考えられる」だとか、はっきりと言い切らないことばかりだ。わたしが感じていた違和感はこれかと、ようやく合点がいった。
ゴーストだった頃もメフィストさんとは話す機会が多かったわけではないけれど、物事ははっきりと言い切る人だという印象があった。何かわけがあるのだろうかと思いそちらを見たところ、メフィストさんは楽しそうに目を細め、明るい声色でハイ、と陽気に答えてみせた。

「当然悪魔に関することですから、騎士團が専門的に取り扱っています。しかし、実は苗字さんのような事例は過去に例を見ず……目下調査中なのです」
「えっ……そうなんですか?例を見ないって、先祖返りが?」
「ハイ!そして、そこでいよいよ本題に入りまショウ!」

 声を張ったメフィストさんがパチンと指を鳴らすと、メフィストさんが訪れた時と同じようなコミカルな煙と共に、正十字学園のパンフレットが現れた。
 突然の手品に思考が追いつかず母娘で目を見張っていれば、苗字さん、と名を呼びかけられた。

「私は今日、貴女を我が学園への転入にお誘いするためにこうして参ったのです……!」

 特有の演技めいた語り方で、マントを翻す華麗なお辞儀をしながらパンフレットを差し出された。とりあえず受け取ったが、気になるのはその中身よりもメフィストさんの方だ。
 今の話の流れでどうして転入に繋がるのだろうか。先祖返りが珍しいから騎士團が調査中で……。

「……あっ、わたしのことをもっとよく調べたいからってことですか?」
「仰る通り!やはり貴女は察しが良くて話が早い。ぜひとも苗字さんに騎士團への協力をお願いしたいのです」
「騎士團に協力するなら正十字学園に通ってるほうが何かと都合がいいですもんね……協力って何をするんですか?」
「定期的な血液検査や、体調に違和感がある時に申告していただきます。その他にもお願いすることがあるかもしれませんが、日常に支障が出るようには致しません」

 いかがでしょうか?と伺い立てられる視線から外れ、お母さんをちらと見やる。祓魔の勉強は興味深くて楽しかったし、正十字学園だってずっと憧れだ。それに何より、祓魔塾の皆──竜士くんに、また会えるのだ。夢だと思って諦めていた、会いたくて仕方のない人に。
 正十字学園に転入できるというのなら、わたしにとっては願ってもないことだけれど、そんな大掛かりなことをわたしのわがままで通せるだなんて思えない。お金持ち学校で有名な正十字学園なのだから、きっと学費なんかも馬鹿にならないし。わたしはお母さんやお父さんに、高校に通わせてもらっている身なのだ。

「名前は……」
「えっ?」
「名前は、どうしたい?」
「……わたしは…………」

 考え込むわたしを見かねてか、お母さんが心配そうに顔を覗き込んで優しく声をかけてくれた。
 わたしが正十字学園に通いたいと言っても、お母さんを困らせてしまうだけなんじゃないか。そう思うとなんて言えばいいかわからずに、また黙りこくってしまう。

「……名前、家から通える進学校だからって今の高校を選んだけれど、あまり楽しくなさそうで……心配してたの。お母さん、名前が正十字学園に転入したいのなら応援するし、お父さんもきっとそう言うよ」
「…………!……けど、学費とか、お母さん達にこれ以上迷惑をかけるのは……」
「おや!その点ならご心配なく!こちらの都合で転入していただくのですから、多額を免除させていただきますので」
「へっ……ほんとですか?!」

 それなら、両親に迷惑をかけずに済む。わたしはもう一度お母さんを振り返ると、お母さんはただ黙ってニコリと微笑んだ。

「わ……!わたし、正十字学園に転入したい……!!」

 振り絞った声は、緊張で少しだけ震えてしまった。
 改めて口にすることでようやく実感が湧いたのか、喜びや期待なんかがない混ぜになったよくわからない感情でなんだか涙が溢れそうになったけれど、既のことで堪えた。

「メフィストさん、よろしくお願いします……!」
「フフ……!歓迎します、我が学園へ!」

 自然と口角が上がる。どうしようもなく胸が躍って、仕方がなかった。
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