Saturday (2/3)

「そ……そろそろ科目……交代しよっかあ…………」

 不意に発した声は思いがけず裏返ってしまったけれど、そんなことに構っている余裕はなかった。
 そもそも公式とは何なのかを説明するのにかなりの時間と気力を消耗してしまったが、一先ずは理解してくれたようなので(たぶん)そこは大目に見よう。問題はその後、いざ解き始めてはみたものの、なんと掛け算……寧ろ九九で止まってしまったのだ。そりゃあ公式云々の話じゃないはずだよ。ていうか、この学力で名門だと有名な正十字学園にどうやって入学したんだろう。コネか。お坊っちゃまなのか。こう見えて富豪の息子だったりするんだろうか。
 そんなこんなで小まめに休憩を挟みつつも数時間が経ち、2人揃って肩で息をし始めてしまったものだから、さすがに科目を入れ替えることにしたのだ。
 ふと廉造くんの方を見ると、一足先に科目を入れ替えていたらしく、今は竜士くんが般若の形相で歴史を叩き込んでいるものだから、気の緩みから思わず吹き出しそうになってしまったのを既の事で堪えた。

「お疲れ様、名前ちゃん」
「しえみちゃん」

 手渡ししてくれたいい香りのするミルクティーを「ありがとう」と言って受け取ると、しえみちゃんは死んだように机に突っ伏している燐くんの側にも同じものを置いた。
 グラスから伸びる細いストローを咥えてちゅると一口飲み込むと、鼻先にハーブの風味が伝わりつつも仄かな甘みが口内に広がった。

「おいしい……!」

 素直に感想を述べれば、しえみちゃんは嬉しそうにニコと微笑む。

「疲れた時は甘いものがいいかなと思って、少しだけはちみつを入れてるの」
「ほえ〜」

 ストローをくるくると回して、中のはちみつを探してみた。
 こんなにも美味しいハーブミルクティーを飲んだのは初めてだ。
 はちみつ然り、わたしたちが勉強をしている間もしえみちゃんはずっとお茶を淹れてくれていたし、なんて気の回る子なんだろうか。

「そろそろ次の科目の勉強始めると思うし、よかったらあっちで話そうよ」
「……!うん!」

 そう提案したわたしはグラスを片手に、しえみちゃんと廊下へ出た。どうやら廊下の方が部屋よりも涼しいらしく、しえみちゃんはふうと小さく息を漏らした。
 広場に置かれた椅子に腰掛けると、不意に彼女の衣服が目についた。塾では皆と同じように制服を着ていたけれど、今日はかわいらしい着物を着ている。と、そこで昨日塾の帰り際に廉造くんから聞いた話を思い出した。

「そういえばしえみちゃん、学園に通ってるわけではないんだっけ」
「うん、私、お外が苦手で……。だけど、それじゃだめだと思って。それで祓魔塾に通い始めたんだ」

 少し恥ずかしそうに笑いながらそう話してくれたしえみちゃんは、懐かしむように手元に視線を落とした。

「元々は世間のことを知るために祓魔塾に入ったんだけど、今はちゃんと祓魔師エクソシストになりたいと思ってて…………そう決めたのが、ちょうどこの寮で合宿をした時だったなあ……」

 ゆるりと目を細めるしえみちゃんを見つめていると、途端にハッと目を見開いたかと思えば、みるみる顔が赤く染まっていく。

「ご……!ごごご、ごめんねっ……!なんかしんみり話しちゃって恥ずかしい……!!」
「あはは!わたしまだ祓魔師エクソシストのこと全然知らないけど、きっとすごく魅力的なお仕事なんだね」

 しえみちゃんはそんなわたしの呟きに、また嬉しそうに「うん」と頷いた。
祓魔師エクソシストはかなり特殊なお仕事なわけだから、専門的なイメージがあったけれど。どうやらしえみちゃんみたいに初めから祓魔師エクソシストを目指していたわけではない人もいるらしい。

「……そういえば、前にも合宿したことがあるの?」
「うん!前に候補生エクスワイア認定試験も兼ねて強化合宿があったの」
「へえ〜〜いいなあ、楽しそう!」
「名前ちゃんは合宿が好きなの?」

 不思議そうに首を傾げて尋ねられた。
 きっと、昨日の塾で近々合宿があると言われた時についはしゃいでしまっていたことを言っているのだ。なかなか恥ずかしい。

「あは……ウン。中学の修学旅行がね、すっごく楽しかったんだ。だからそういう、みんなでお泊り!みたいな行事はどうしても」
「そうなんだ……祓魔塾だけじゃなくて正十字学園にもそういう行事はたくさんあると思うから、これからいっぱい参加できたらいいね」

 そうか。あまり深く考えていなかったけれど、竜士くんについていれば正十字学園の行事にもこっそりと参加できてしまうんだ。

「……正直高校にはあんまり期待してなかったから、楽しみだなあ」

 そう呟いて薄く目を閉じると、瞼の裏にぼんやりと竜士くんの顔が思い浮かんだ。
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