Thursday (3/3)

「はあ〜〜〜〜っ………………」

 深く息を吐き捨てながら、柔らかいベロア素材のソファーに背凭れた。
 お菓子はもうおなかいっぱい食べちゃったし、貸してもらったルービックキューブだって3面揃えたあたりで飽きてしまった。
 あの後椿さんに連れてこられた執務室らしいこの部屋で、暇を弄んでかれこれ数十分だ。
 ピエロみたいな格好をしたフェレス卿と呼ばれていたこの部屋の主は、一瞬だけ会ったきり椿さんに連れられてどこかへ行ってしまった。用事を済ませたらまた戻ってくると言っていたので、わたしはこの部屋でそれを待たなければいけないのだけど。
 暇だ暇だと無意味に脚をばたつかせていると、不意に扉がガチャリと音を立てた。どうやらようやく帰ってきたらしい。
 ぱっとそちらへ顔を向けると、空いた扉から顔を覗かせたのはやはりピエロのような男だった。

「いやはや、お待たせ致しました」
「ほんとにですよ、暇すぎて死んじゃうかと思いました。あっもう死んでるんだっけ」
「フフ……これは面白いお嬢さんですな」

 小さく笑いながら執務席についたピエロは「さて」と顔の前で手を組んでみせた。

「私はメフィスト・フェレス。表向きは正十字学園の学園長をしております」
「メフィスト……?ゲーテのですか?ていうか、表向きってなんですか?」
「おやおや、知識欲の尽きない方だ。私、そういう人は好きですよ」
「はあ……」

 隈で黒ずんだ瞳にチャーミングにウインクをかまされても、苦笑いしか出てこないのが正直な感想だ。というか質問に対して何も答えてくれないのか。

「それで、貴女のお名前を尋ねても?」
「……名前です。苗字名前」

 やっぱり質問の答えは返ってこないようなので、諦めてここは相手に譲ってやろう。ウン、わたしはなんて優しいんだ。
 するとメフィストさんはフム、と小さく息を吐いてから、いくつか質問を続けた。

「事情は椿先生から軽く聞きましたが……いつからあの遊園地に?」
「えっと、それがわからなくて。目が覚めたらあの場所にいたっていうか」
「言われるまでゴーストになった自覚がなかったそうですね?」
「あは……ハイ、まあ。間抜けな話なんですけど」
「では、なぜ死んでしまったのかはご存知で?」
「あー……なんかたぶん、事故?なのかな……」
「たぶん?」

 死因を尋ねられて、こめかみがちくりと痛んだ。
 さっきのように激しく体調を損ねるようなことはないけれど、そのあたりについて深く詮索するのはやはりよくないことなのだろうか。

「たぶんです。正確にはわかりません」
「なるほど……」

 わたしの返事を聞いて手を組み直したメフィストさんは何やら難しい顔をしながら再び息を吐いた。なんだなんだ、わたしは何かよくないことを言ってしまったのだろうか。
 ふとそんな視線に気づいたらしく、メフィストさんは「いや」と小さく首を振って笑った。

「前例がないのですよ、苗字さんのようにゴーストとして自覚できていなかったり、死因……生前の記憶が曖昧であることは」
「えっ、そうなんですか?」
「ハイ。そもそもゴーストというのは死体から揮発した物質に憑依されることによって成り得る悪魔ですから、通常ならゴーストになった瞬間に把握できるものです」
「…………?……ちょっと待ってください、悪魔って……?」

 気に留まる単語ばかりで、また話の腰を折ってしまった。
 悪魔と言われるとどうしても悪いイメージが思い出されるというか、霊は霊でも悪霊……みたいな感じがするのだけど。

「もしかしてわたし、悪霊なんですか?」

 不安を素直に口に出せば、メフィストさんは一瞬驚いた表情を見せた後、なんと声にあげて笑い飛ばしたのだ。自分の顔が熱くなっていくのを感じる。人が不安がっているというのに、なんなんだこのピエロは。

「ヒイッハハハッ……!!これは傑作だ……いや、すみません。…………そうですね、まずは悪魔についてご説明致しましょう」

 目尻に溜まった涙を指先で拭いながら(泣きたいのはこっちだ)彼はいくつか話を始めた。

 この世界は物質界アッシャー虚無界ゲヘナという二つの世界が合わせ鏡のように存在していること、虚無界ゲヘナに住む者を総称して「悪魔」と呼ぶこと、悪魔は物質界アッシャーのあらゆる物質に憑依することでこちら側に干渉してくること。それに、悪魔の中でも人間に協力的な者も存在することや、祓魔師エクソシスト、正十字騎士團についても教えてもらった。

「私は正十字騎士團の日本支部長を務めているのですよ」
「へえ……」

 今まで知らなかった情報が一度に頭に入りパンクしそうではあるが、なるほど、一先ず悪魔の世界については理解できたように思う。それにしても童話や小説の世界で語られるようなことが、実際に存在していたとは。いつものわたしなら信じられなかったかもしれないけれど、事実わたし自身がゴーストになっている以上、嫌でも信用できた。

「えっと。それで、今のわたしはゴーストっていう悪魔で、だけどその実状に前例がないってことですよね」
「その通り!飲み込みが早くて大変助かります」
「あはは、まあこの状況じゃ飲み込むしかないっていうか」
「それで、貴女の今後なんですが──……」

 メフィストさんが表情を少し楽しげに変えたような気がした刹那、コンコンと丁寧なノック音が扉から聞こえてきた。
 反射的にそちらを振り返れば、背後でメフィストさんが入るよう声をかけた。

「……失礼します」

 あれ、この声。なんて言う間も無く、開かれた扉から現れたのは、昼間のモヒカンの彼だ。

「あ!!」
「え?……あっ、あんた、なんでここに……」
「まあまあ!立ち話もなんでしょう、どうぞお座りくださいな」

 言葉を遮るように着席を促したメフィストさんに、彼はおずおずとわたしの隣のソファに腰掛けた。

「突然の呼び出しにご足労いただきスミマセン!」
「は、はあ……」
「確認なのですが、こちらのゴーストの少女は今日、貴方が発見したんでしたね?」
「はい、そうですけど……」

 自身の問いに頷く彼を見たメフィストさんは愉快そうに口元をニィと歪ませたのだが、それがどうも不気味で、わたしは僅かに身震いしてしまった。

「本題に移りましょう!普通、偶然入り込んだ悪魔は騎士團の使い魔として世話をするのですが、彼女はゴーストとして不可思議な点があり、先が読めない。他の悪魔と同じように扱っていいものか…………しかし放っておくわけにもいきません」

 いやに演技めいた、語るような口ぶりで話すのを黙って聞いていれば、話の区切りがついたところで突然「そこでだ」と隣の彼を指差した。

「彼女を見つけたのは貴方です。ですから、彼女を使い魔という名目で引き取っていただきましょう!」

 言葉の意味がよくわからなくて、時間が止まったかのように思考も停止した。隣の彼も固まっているのを見たところ、きっと同じなのだろう。
 つまり、わたしは彼に引き取られるというわけで。使い魔って何するのかわかんないけど、とにかく彼がご主人様になるっていうわけで……あ、なんかいかがわしいな。

「え……と、使い魔は召喚せなアカンのや……」

 どうやら彼も再び思考が動き始めたらしい、控えめに挙手をしながら疑問を口にした。
 というか、悪魔って召喚とかもできるのか。魔法陣描いたり呪文唱えたりするんだろうか。それは見てみたい。

「多くが召喚によって契約を結んでいますが、もちろんそうでない場合もありますよ。先日の奥村くんだってそうです。彼から猫又ケットシーの話は聞いてませんか?」
「そ、そういえば……」
「他に何かご質問は?」
「あっはいはい!」

 少し前のめりに手を挙げれば、「ハイ、どうぞ」とメフィストさんが楽しげにわたしを指した。

「使い魔って何するんですか?」
「通常であれば戦闘であったりその補助がほとんどです。しかし貴女の場合はまずは学んでいただかなければならない。彼と共に悪魔祓いエクソシズムを通して悪魔について知っていただきます」
悪魔祓いエクソシズム……」

 これからわたしは悪魔の祓い方を勉強するということなのか。悪魔なのに悪魔の祓い方を学ぶなんておかしな話だ。

「……よろしいですかね?お互いのことはそれぞれ話して知り、ぜひとも親睦を深めてください!」
「あ、ちょ……」

 話を終えようとするメフィストさんに納得がいかない様子で彼が立ち上がった瞬間、「私はこの後用事がありますので」と告げ、指がパチンと鳴らされた音と共に、わたしたち2人は気がついたら部屋の外へ出ていた。すごい、瞬間移動だ。これも悪魔祓いエクソシズムを学んだらできるようになるんだろうか。
 隣を見ると、半ば強制的に話を終了させられ不服そうな彼がガシガシと頭を掻きながらハア、と大きくため息を吐いた。

「なんなんやあのピエロ……」
「あは……えっと、なんかごめんね」
「いや……あんたのせいちゃうやろ、こうなったらしゃーないわ」

 そう言って彼はわたしの前に、少しだけ照れ臭そうに手を差し出した。

「勝呂竜士や」
「……!わたし名前!苗字名前。よろしくね、竜士くん!」

 彼の大きな右手をきゅっと握りしめ、にこと笑ってみせた。やはり、彼はいかつい見た目に反して優しそうだ。

 こうして、わたしのゴースト生活は幕を開けた。
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