揺動する梅桃(1/1)


「すごーい!お風呂たくさん!滝もあるよ!」

 広い浴室内にしえみちゃんの楽しげな声がこだました。
 巨大な象のオブジェの鼻先から勢いよく湯が流れ出る。壁一面に描かれているのは立派な富士山だ。

 わたし達は今日、スーパー銭湯“Uウルトラ南国の湯”を訪れている。

 先日の島根での戦いの疲れを癒すようにと、メフィストさんから塾生全員分の招待券をいただいたのだ。
 今、この広い女湯にいるのはわたしと出雲ちゃん、しえみちゃんに霧隠先生の4人。なんと今日1日は祓魔塾生だけの貸切なのだそうだ。こんなに広々としているのにたった4人だけで使うなんてなんだか勿体ないような気がしつつ、「貸切」という贅沢ワードに期待感で胸が弾む。

「みてー神木さん!名前ちゃん!ピンクのあわあわのお風呂だよ!入ろーよ!!」
「……ったく、しょーがないわね」
「わ!ほんとにピンクだ!かわい〜!」

 顔を真っ赤にしてはしゃぐしえみちゃんに誘われ、3人揃ってピンクのジャグジーに浸かった。掌に溜まった淡い桃色のお湯が光の反射でキラキラと輝いている。それになんだかいい香りだ。
 少し高めの温度が心地よくて、ふう、と息をつくと、壁越しに楽しげな笑い声が薄らと聞こえてきた。

「あっ燐の声!すぐ隣にいるんだ!ふふ」
「何ヘラヘラしてんのよ」

 出雲ちゃんがそう言ってじっとりとしえみちゃんを見つめる。いつも明るいしえみちゃんだけど、確かに今日はそれ以上に高揚しているように思う。それを聞いて彼女はえへへと小さくはにかんだ。

「……朔ちゃんも一緒だったらよかったのになぁ……」
「そうだねぇ。今回は慰労目的だから仕方ないけど……」
「……ていうか、これからいくらでも来られるじゃない。近いんだし今度は四人で来れば……」

 お湯が熱いせいか否か、出雲ちゃんの頬がぽっと赤く染まる。
 夏前の2人はあまり親密でないイメージがあったのだけれど、どうやら夏休みと先日の島根での出来事を越えて随分と距離が縮まったらしい。出雲ちゃんの言葉に「また来ようね」と微笑んだしえみちゃんにつられてこちらの口角も上がる。
 すると、不意にピンク色の水面がザブンと波に揺れた。

「にゃはは、若いねぇキミたち」

 同じジャグジー内によっこいせ、と少しおじさん臭く腰を下ろしたのは霧隠先生だ。せっかくの温泉も生徒3人の中に教員1人だけでは気まずくないだろうかと少し心配していたけれど、どうやら杞憂そうで安心した。
 ふと、そういえば今度時間ができた時に霧隠先生か雪男くんのどちらかに聞こうと思っていたことがあったことを思い出した。今のうちに、とわたしは霧隠先生に声をかけた。

「んにゃ?」
「実は相談したいことがあって……お休み中なんですけど……」
「ああ、いーよそんなの。どした?」
「その……この前の島根でのことなんですけど」

 おずおずと話し始めたわたしに霧隠先生はきょとんと首を傾げ、出雲ちゃんやしえみちゃんも不思議そうにじっとこちらを見つめた。
 ──イルミナティとの戦いでわたしは満足に戦えなかった……皆の足手纏いになってしまった。自分も医工騎士ドクターを志すとはいえ、皆の迷惑にならない程度には戦えるようになりたい。わたしが話したのはそういうことだった。

「だから戦い方とか、教わりたくて」
「んー……つっても、医工騎士ドクターなんかはサポートメインだからな〜……」

 眉を顰める霧隠先生は唸りながら首をひねる。
 もちろん、祓魔師エクソシストの中に医工騎士ドクター称号マイスターを持つ非戦闘員が多く存在していることは分かっている。それでもわたしは、何か別の称号マイスターを取得する程ではなくとも、闘える術を身につけたいのだ。最低限、自分の身くらいは自分で守れるようになりたい。
 そんなわたしの考えを察してくれたらしい、霧隠先生はしばらく考え込んでいたが、不意にその眉間の皺を緩く解かせ、あ、と思い立ったように声を漏らした。

「つーか、そういうことならアタシじゃなくカレシに聞きゃいいじゃんか。勝呂はそこんとこしっかり両立できてんだろ」
「う……はい。だけどわたし、竜士くんにばっかり頼りすぎてるような気がして……」

 わたしはたぶん、ゴーストの時の癖で何においてもまず竜士くんに頼る節があるのだ。祓魔初心者なわたしにとって竜士くんの存在は貴重な拠り所ではあるわけだけど、彼だって今はまだ学ぶ身なわけだし、ある程度の分別はつけるべきだろう。
 わたしは再び考えるそぶりを見せる霧隠先生の次の言葉を待っていたのだけれど、先に声を上げたのはその全く逆方向、出雲ちゃんだった。

「ちょ……! ちょっと待ってよ、アンタ前付き合ってはないとか言ってなかった?! いつのまにそんなことになってんのよ?!」
「へっ?! …………あ、ええと……ダンパの時に……」

 面と向かって出雲ちゃんに問い質され、なんだか顔が熱く火照る。
 そういえば学祭前にダンスパーティーの話題になった時、出雲ちゃんと朔子ちゃんにはそんなことを言っていたんだった。学祭後、島根に行ったりいろいろバタつくことが多くて、「付き合い始めました」と伝えるタイミングを見失っていた。あと純粋に忘れてた。なんか勝手に伝わってる気になってしまっていたのだ。
 わたしの返事を聞いた出雲ちゃんは「そういうことは早く言いなさいよ」と珍しく少しだけ興奮した様子を見せている。隣で霧隠先生が若いにゃあ、なんて言って小さく笑った。

「……ねえ、何か聞こえない?」

 そんな時、ふと疑問を呈したのはしえみちゃんだ。その声に耳を済ませてみると、なるほどたしかにガガガガとまるで工事現場みたいな騒音が遠くで響いているのがわかった。それに加えて壁の向こうの男湯から聞こえてくる叫び声に、出雲ちゃんは「騒がしいわね」と浅く息を吐く。

「どうしたら銭湯に来てあんなに騒げるのかしら」
「まだ猿だからにゃ〜」
「ていうか、あんな岩を削るみたいな音が出るだなんて、一体向こうは何をやって……」

 そう言って音のする方へ顔を向けたその瞬間、ぶ厚いはずの壁にピシと亀裂が走った。

「え?」

 異変に気付いた時には既に遅く、みるみるうちに──大破された壁が音を立てて崩れ落ち、側の湯に沈んでいく。
 崩れた壁の合間から見えたのは見慣れた塾生の皆の顔と、たくさんの肌色だ。

 咄嗟に首まで湯に浸かる。出雲ちゃんやしえみちゃんも同じだ。
 向こうの壁際では錫杖を抱えた廉造くんが横たわり、そのすぐ側に燐くんがこちらに背を向けて立ち尽くしている。この2人が騒いで壁を壊したのだろうか……?廉造くんはともかく燐くんがそんなことをするとは思えないけれど。燐くんが止めたとかなのかな。

 そんなふうに考え込んでいれば不意に真裸の霧隠先生がすっと立ち上がり、胸の中央部分に手を添えて祝詞を唱え始めた。

「“八つ姫を喰らう……”」

 その声を聞いた燐くんがぎくりと顔を痙攣らせた瞬間、次に浴槽中に響いたのは悲痛な叫び声だった──。








「男湯に悪魔が出たんだと」

 脱衣所でフルーツ牛乳を飲んでいたら、外から戻ってきた霧隠先生がそう教えてくれた。瓶から口を離した出雲ちゃんが一体何の悪魔が、と眉間に皺を寄せる。

「んにゃ……まあしょうもない事件だったよ」
「なんですかそれ」

 なぜか詳しくは教えてもらえないけれど、誰にも怪我がなかったみたいなのでひとまず安心だ。とはいえ、この銭湯にものすごく迷惑をかけてしまったわけだけれど。

 するとふと、購入したコーヒー牛乳の蓋を開けながら霧隠先生がわたしの向かいのベンチに腰掛けた。
 そして勢いよく喉に流し込んだかと思いきや、ぷはあと大きく息をつく。ほんとにおじさんみたいなひとだな。

「……そういや名前チャン。さっきの話だけど」
「あ……! はいっ」
「とりあえず最低限の基礎戦闘力を上げたいっつーならとにかく身体動かして慣らしゃいいよ。出雲チャン、白狐で相手してやれば?」
「え、あたしですか?」

 話を振られると思っていなかった出雲ちゃんが喉を詰まらせケホと小さく咳払いをした。
 たしかに悪魔であるウケちゃんやミケちゃんに実際に特訓に付き合ってもらえば、戦闘においての立ち回り方なんかをよく理解できそうだ。

「出雲ちゃん、ウケちゃんミケちゃんにお願いしてみてもらってもいいかな?」
「……まあ、別にいいわよ。あたしも小さいときはそういうことしてよくウケやミケと遊んでたし。ある程度なら動けるようになるでしょ」
「ウシ! じゃ、決まりだな」

 そう笑った霧隠先生は腰を上げ、牛乳瓶片手に再び外へ向かって歩いて行った。
 わたしが出雲ちゃんにありがとうと言って思わず口元を緩めていると、彼女は照れくさそうにフンと鼻を鳴らすのだった。



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