濡羽色のソワレ(2/2)
揺らめく黒い炎から夜空がほんのりと透けて見えた。
下から視認できたプラモデルはいつのまにか姿を消していて、わたしが付近に辿り着いた時にはちょうど黒い炎が最上層部に登り詰めるところだった。わたしが目指していた場所はどうやら展望広場だったらしい。何やら耳に届く聞き覚えのある声に半ば確信を抱きつつ、今にも笑い出しそうな膝を抑えて最後の階段を駆け登った。
「いず、わ?!」
ようやく広場に顔を出したところで突如強い破裂音が鳴り、思わず肩を縮こめた。
その衝撃で吹っ飛んだのか、ワンテンポ遅れて足元に転がり込んできたのは出雲ちゃんと廉造くんだった。
咄嗟に2人を受け止めようとした直前、目の前を黒い炎に遮られた。わたしの代わりに2人を捕らえたのだ。禍々しく燃え盛るそれはてっきりよくない悪魔なのかもと思ったけれど、この様子を見る限りそうではないらしい。ということはもしかして誰かの使い魔なのだろうか。しかし、一体誰の。
「出雲ちゃん!」
「……! アンタ、なんでここに」
「出雲ちゃん、無事でよかった……!廉造くん、出雲ちゃんのこと先に見つけてたんだね」
「名前ちゃん……!」
わたしの声に気がついた出雲ちゃんが炎の間から顔を覗かせる。廉造くんも一瞥だけしたけれど、緊迫した表情ですぐに反対方向、広場の向かい側を見つめた。
わたしもその視線の先を追うと、そこにいたのは出雲ちゃんと同時に捜索命令が出されたねむくんだ。
いつも持っているウサギのパペットを自身の顔に押し当て、「落ちつけねむ、眠れ」なんてボソボソと呟いている。常に腹話術でしか話さない不思議な人だと思っていたけれど、今はなんだかより一層気味が悪かった。
それにしても、味方をする黒い炎の悪魔だったり出雲ちゃんや廉造くんと相対するねむくんだったり、いよいよこれはどういう状況なのだろうか。
「得体が知れなすぎやで……!さすがフェレス卿の持ち駒ちゆうとこか」
廉造くんの言葉でさらに疑問は深まる。
先程の霧隠先生然り、皆まるでメフィストさんを悪者のように扱う。
そりゃあたしかに胡散臭いし、おかしなことばかり言うピエロだなと思う。それにこの前読んだ祓魔の参考書でメフィストさんが実は時の王サマエルであることも知った。けれど200年にわたり騎士團に協力していて、人間側に加担する悪魔なのだとも聞いたのだ。それは形は違えど、所謂使い魔と似たような立場にあるのかと勝手に思い込んでいたのだけれど、そうではないのだろうか。
わからない。わたしには、祓魔に関する知識が足らなすぎる。
「あっ……そうだ」
そこでふと、出雲ちゃんを見つけ次第霧隠先生に連絡を入れるよう言われていたことを思い出した。
廉造くんが先に見つけていたけれど、既に報告が行っていたら捜索中止の連絡がわたしに届いているはずだ。ということは、きっと廉造くんも忘れていたか、それどころではなかったかだろう。
わたしは急いでスマホを開いたところで、再びはたと動きを止めた。
そういえば、まだ霧隠先生の連絡先を教えてもらっていないんだった。ああもう、今日はつくづく中途入塾を恨む日だ。
仕方がないので雪男くんの連絡先を開く。発信を押してスマホを耳に当てるけれど、いつまでもコールが鳴るばかりで、しばらくすると無機質なアナウンスが流れ始めた。どうやら通話中らしい。
そうなるともうこの任務に当たっている塾講師はいないし、とりあえず竜士くんでもいいだろうか。わたしの代わりに竜士くんから霧隠先生に伝えてもらおう。
そう考えて不意にスマホから顔を上げた瞬間、廉造くんの錫杖が出雲ちゃんを貫いた。
「………………え…………」
滑り落ちたスマホが地面に当たって音を立てた。ダラリと力をなくした出雲ちゃんが廉造くんに抱き支えられる。
これはどういうことなのか。
混乱して頭がうまく動いてくれない。さっと血の気が引いたみたいに、目の前が真っ白になった。
「出雲ちゃんに何かあったら俺、上役に叱られてしまうんや。…………大丈夫、こんくらいやったら気絶するだけやさかい」
やけに優しい廉造くんの声色が恐ろしくて足が竦む。一体、どうして、どうして。
「せや、名前ちゃん」
ふと廉造くんが出雲ちゃんを片手に錫杖を横に振り払うと、その先に灯った黒い炎が、咄嗟のことで避けられなかったわたしの胸部をすり抜けた。
「っ、あ……!」
がくんと膝の力が抜けて、その場に倒れ込んだ。どこも痛くはないのに、身体中が重くて目蓋が落ちそうだ。
「堪忍な、人呼ばれると困るんや」
まあ時間の問題やろけど、と笑う廉造くんの声が遠のいていく。近くで鳴り始めた単調な音楽に、落としたスマホがそばにあるのだとわかった。
繰り返す着信音を聞きながら、わたしは意識を手放した。